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覗き看板
前編

作:赤目(REDEYE)

「お兄さん、安くしとくから。良かったら遊んでいきなされ」
 俺がその初老の客引きの、やる気なさげな呼び込みに付いて行こうと思ったのは、その夜すでにぼったくりバーで散々な目に遭っていたからだ。財布の中身は大半が消え、おまけにガタイのいい用心棒に殴られ「警察に言うな」と脅された後、路上に放り出された。
 自暴自棄になっていたところへ、陰気な初老の男が近付いてきて、俺を自分の店に誘ったのだ。顔が腫れ上がりふてくされた俺の様子から、だいたい事情を察したのだろう、男の声には同情の響きもあった。
 本当はこんな夜はもう家へ帰ってさっさと寝てしまうに限るのだが、料金を訊いてみると激安ポッキリだというし、まだ遊び足りない俺はロクロク店の説明も聞かず男に付いていくことにした。
 まさかまたボッタクリだとは思わなかったが、もうどうにでもなれという気分だったのは事実だ。こんな時は大抵何かとんでもないことが起きるもんだ。そして、その夜もやはりそうだった。
 男は路地を入ると、少し奥まったところにある古ぼけた飲食店ののれんをくぐった。どうやら元は倉庫か何かだったものを改造したような造りだ。これが遊べる店なのかと俺は不審になりながらも、男の後から店に入った。
 中は大衆食堂のようになっており、労務者風の客がぽつねんとビールを飲んでいた。誰も見ていないTVが点いていて、野球の実況が流れている。思ったとおり薄汚い店だ。
 奥の厨房から「イラッシャーイ」という声とともにエプロン姿の太ったフィリッピーナが現れた。まさかこのシロモノと寝ろというんじゃないだろうな、という俺の心配をよそに、初老の男は「アレをしにきたお客さんだから」と告げると、女から鍵束を受け取って、店の隅っこの半ば崩れかけたような階段に向かった。
 男は階段の前まで来ると、俺に向き直って料金を支払うよう告げた。どうやら二階になにかあるらしい。
 ここまで来れば、警戒心より好奇心の方が勝っている。俺は迷わず支払うと、男に付いてオンボロ階段を慎重に登っていった。
 階段を上がりきったところに扉があり、男はさきほどの鍵でそれを開けると、中に入って電灯を点けた。俺も扉をくぐる。
 そこは、以前倉庫の事務所だったらしい、天井の低い、なんの変哲もないガランとした部屋で、古ぼけたソファーとスチール棚が隅に置かれているだけだった。ちょっと異様なところといえば、部屋の中に等身大の立て看板が十数枚ほど適当な間隔で“立ち尽くして”いたことだ。よく携帯電話屋やCD屋にあるのと同じような代物で、少女から熟女まで、全てそれぞれ違う女の全身写真になっていた。
 なんだこれは? 見れば美形揃いではあるが、着衣のままだし、まさかこんなものを見ながらオナニーでもしろというのだろうか?
 あきらかに失望の色を浮かべた俺を見て、しかし男は悪びれもせず、立て看板の方へ行くように身振りで示した。
 なおも俺が躊躇っていると、初老の男は諌めるように「まあ騙されたと思って、裏へ行って覗いてみなされ」と言う。
 騙されたと思って、というより完全に騙されていると思うのだが、まさかこんな枯れた男に怒鳴ったり当ったりしてもしょうがないし、俺は不承不承、一番近くにあった制服姿のOLの立て看板の裏へ回り込んだ。
 別段裏に回ったからといって何があるわけでもない。厚紙で出来たただの板に過ぎない。
 だがよく見ると、立て看板にはちょうど両目の位置に穴が空いており、そこから向こう側が覗けるようになっていた。とはいえそれが何なのか? 穴の向こうに見えるのは殺風景な部屋と男の姿だろう。
 俺はもうどうでもいいやと思いながら、仕方なしに看板の裏に自分の顔をくっつけ、穴から向こう側を覗いてみた。垣間見える男の顔を見ながら嫌味のひとつでも投げつけてやろうと思いながら。
 ところが……。
 自分の目を看板の穴の位置に合わせた途端、突然パパパとフラッシュを浴びせられたように視界が麻痺し、俺の意識はおぼろげになっていった。

 ……。
 んもう、課長ったらまたあたしに残業押し付けてさ。他人の関係じゃないんだから、少しはこちらのことも考えてほしいものだわ。君だけが頼りだからとかなんとか、うまいこと言っちゃって、結局あたしって利用されているだけじゃないの。いつまで待っても奥さんとだって別れる気なさそうだし。
 お茶に洗剤でも混ぜて出してやろうかしら。
 ――って、え?
 俺は突然正気付くと、たった今の自分の思考の異様さにとまどい、混乱した。まるっきり他人の思考が俺の頭の中に流れ込んできていたようだ。
 だいたいここはどこだろう。あの得体の知れない部屋にいたはずなのに、いつの間にか狭い湯沸かし室のような場所に立っている。
「何がどうなってるんだ?……あ、あれ?声がおかしい、まるで女……」
 俺はハッとして手で口を押えた。
 その、手。思わずまじまじと見てしまう。
 マニキュアを塗った白く長い指で、いつもの筋ばったごつい俺の手ではない。
 慌てて自分の全身を見てみると、どこかの会社の制服を着込んでいて、下はスカートにハイヒールだった。この服は見覚えがある。さっきの立て看板の女が着ていたものだ。
 俺は信じられない思いで、制服の胸元を押し上げる豊満なバストに手をやり、荒々しく揉みしだいた。
「あ、あん」
 快感が走り思わず悩ましげな女の声が漏れてしまう。
 ――鏡、鏡はどこだ?
 俺は重苦しいような期待ではち切れんばかりになり、小部屋の隅の壁にある鏡の前に立った。
 そこにはあの看板の写真にあった通りの、ナイスバディな色白の美人の姿があった。
 驚きと期待と喜びの入り混じった表情で、女はこちらを見つめている。
 顔を撫でてみる。どうやらこれは夢でないらしい。
 なぜだか、俺はさっきの写真の女に変身してしまったのだ。まさかこれがあの初老の男の言っていたこの店のサービスなんだろうか。
 いったいどういう仕組みなのかとか、そんなことはどうでもいい。今はこの信じられないような現実を享受し、しゃぶりつくしたいだけだ。
 人がやってくる気配がしたので、俺はとりあえず何食わぬ顔でそこを出て、女子トイレを捜してそこへ入った。
 幸い、中には誰もいない。
 鏡の前に立つ。鏡の中の女は、こちらの下心をすべて見透かすような小賢しい表情をしていた。俺はニヤリと紅い唇の端を歪めた。
 今やこの女の全てが俺のものなのだ。

==続く==



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