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「美咲さんになって」 (6)


作:赤目(REDEYE)




「はぁ……本当に美咲さんになってしまった」
 亮太は姿見に両手をつき、自分の顔をまじまじと覗きこんだ。自分の顔といっても、今は美咲の身体の中に入っているため、美咲の顔なのだが。
 鏡の中の美咲は目を見開いてこちらを見ている。このパッチリとした瞳の奥にじつは赤の他人の僕がいるなんて、外から見ただけでは絶対にわからないな――そんなことを、美咲のしなやかな手で頬をなでながら思った。
 すこし鏡から離れてみて思わず声をあげる。
「きゃっ!」
 ――胸が丸見えだったのだ。そういえばさっき背中から身体の中は入るときに、ブラを外したのだった。
 「着る」前にもバストは見たが、あれはあくまで実体がなかった。いまは亮太という中身をともない、両の胸はきれいな曲線を描いてその存在を主張している。決して大きくはないが、つんと上を向いた張りのあるおっぱいだった。熟練のパティシエが流れるようにトッピングしたスイーツの上のクリームのような、えもいわれぬ形。そして乳首は、熟れかけたフルーツを思わせるような薄桃色であった。
「きれいだ……」
 隠すのも忘れて、思わず亮太はまじまじと鏡を覗きこんでしまった。それからそれが今の自分の胸なのに気付いて、視線を自分の胸に落とすと、そっと美咲の手をバストへもっていき、包むようにやさしく揉んでみた。
「あっ」
 触れた掌とバストの感触の両方が心地よく、思わずいけない声をあげてしまう亮太。これも美咲の口から出ている声なんだ、と思うと、亮太は頭がくらくらした。
 いま改めて鏡をみると、片手をバストにおき、少し斜にかまえた悩ましげな表情のたおやかな女性がこちらを探るように見ているのだった。
 本当に美咲さんに何でもさせることができるんだな……だっていま僕がその身体に入っているのだから……そんなことを考えると、また頭が沸騰しそうになる。女性の身体を着てそれを自由できることがこんなに甘美なことだとは。
 それでもなんとか理性を保てているのはビデオを回しているからであった。もしフリーハンドだったら何をしでかしていたかわからない。
 ただ、いくら自分の身体でマスターベーションを五回もされたからって、こんなことをさせてもらっていいのだろうか。ヘンに堅いところがある亮太はそう思ってしまうのだ。いま美咲の身体はあやうくパンティだけしかまとっていないが、そこは美咲の夫君への最低限の筋として、どちらにしても触るつもりはなかった。
「美咲さん、ジロジロ裸をみてごめんなさい……でも本当に細くてきれいです……本心をいうと、最初会ったときからきれいな人だって思ってました……でも、ヌードになったらここまでスタイルがいいって思いませんでした。見蕩れます」
 亮太は、ビデオに向かうでもなく、鏡のなかの美咲をみながらひとりごちた。その中の美咲の顔に照れと恥じらいと自己陶酔の入り混じった甘やかな微笑みがひろがる。
 あれ? この表情、誰かに似ているな……。
 美咲のこんな顔は見たことがないはずなのに、奇妙なことだった。亮太はその心の引っかかりがなんなのか、見当がつかなかった。
 それにしても、美咲のプロポーションは、こうして眺めてみると実にスレンダーで見事であった。少女のような折れそうな細い肩。つんと張りのある適度なおおきさの胸。腰はあくまでスリムで、おだやかな曲線をえがいて下半身へ、そしてすらりと伸びた脚へとつながっている。
 ヒップはどうなっているんだろう? そう思った亮太は、後ろをむいて鏡をふりかえってみた。
「!」
 声にならない声をあげてしまう。そのバックのラインの美しいことといったら、また絶品であった。あの抱きしめたくなるような細い肩から、背中を弓のようにしなるえにも言われぬ曲面、それはくびれた腰のところで反転し、また少しだけ大きめのヒップへと流れるような丸みある斜面をつくっている。心地よい台形の黄金律をみているかのようなお尻であった。
 そのラインはやがてかわいらしくくびれ、そのままみっちりとした細い脚へとつながっている。
「な……えっ、ちょっとこれ――」
 亮太は目をみはった。
「いや、ちょっと待ってください」
 もう一度正面をむき、身体のさまざまなところをポーズを変えて眺めたあと、また後ろを向いて鏡をみる。こんなことを二〜三度繰り返したあと、亮太は驚愕の表情で鏡をみつめた。そして叫んだのだ。
「これ、フィギュアだ! すごいですよ美咲さん、これ歩くアニメフィギュアですって! 名のある造形師のつくったフィギュアそのまんまです。奇跡だ……こんなプロポーションの人が現実にいるなんて」
 うわあああ……と言いながら、亮太は美咲の頭をかきむしった。
「信じられない――そうだ、誰かに似ていると思ったら、やっぱり! あの微笑み、『馬世紀ダヴィスタリヲン』の名奈々見レレそっくりじゃないですかっ」
 こうしてはいられない、こうしてはいられない、と言いながら、鏡の前を数回も右往左往したあと、亮太は美咲の手を動かしてぽん、と拳で掌を打った。
「今日、レレちゃんのコスプレ衣装持ってきているんです! これは試さずにはいられないっ」
 それから亮太は、持ってきたバッグから衣装とかつらを取りだすと、目の色をかえてそれを身につけていった。亮太は女の子のコスプレが趣味だけに、美咲の裸の胸にブラジャーをつけるのにも苦労しなかった。
 亮太が持ってきた衣装は、レレが巨大ロボ「ダヴィスタリヲン」に乗りこむときの白いパイロットスーツであった。アニメでは身体にぴったりとしたラバー素材のような全身スーツになっているが、これを現実に再現するとかなり高額の衣装になってしまう。そこで、亮太は白いボディコン服に、塗装したダンボールとプラ板で装着機器と装飾をつくり、下半身は厚手の白レギンスで代用していた。それらを手早く身に付けていく。体格は亮太も美咲もほとんど同じなので、サイズはぴったりだった。
 最後に、鏡をみながら青いショートカットのかつらを付け、頭にカチューシャのようなヘッドセットをつけた。
「どわっ」
 あらためて鏡を見た亮太が驚きの声をあげた。
「これ、そっくりですって……美咲さん、すごいな」
 鏡の中には、名奈々見レレほぼそのままの顔が写っている。顔のラインはすこし大人びているのだが、美咲の身体のなかに少年の亮太が入ることで、表情がその分あどけなくなっている。それがいいバランスになって激似の結果となっているのだ。身体のラインがもろに出るこの衣装を完璧に着こなせていることは言うまでもない。何から何までアニメのままであった。

『あなたは嘶くわ。あたしがしばくもの』
『ごめんなさい。こんなとき、どんなギャグを言えばいいかわからないの』
 大画面TVに映しだされる美咲は、レレのコスプレ衣装で、鏡にむかってさまざまな名セリフを言ったりしている。笑い顔、怒った顔、すねた顔などを試しては、ひとりでにやけていた。色んなポーズを試したり、軽くおどってみたり、さんざんそんなことをやりつくしたあと、『ダヴィ』のエンディング曲であるジャズのスタンダード『Moon River』を歌ったりもした。
 その後、身体がもぞもぞしだして、慌ててコスプレ衣装とブラを外し、まるで昆虫の脱皮のときのように割れた背中から、亮太が出てきた。
 ここでビデオは終わって画面が真っ黒になった。

 ビデオを美咲といっしょに見ていた亮太は冷や汗をかいた。美咲は亮太のとなりに座り、まだ黙っている。TVに映っていた映像の直後、ようやく美咲の身体が復活し、意識をとりもどした美咲といっしょにすぐビデオを見たというわけだった。
 僕はあんな恥ずかしいことをしていたのか。美咲さんの身体に入る前はこれ以上はないってくらいカッコ悪くテンパっているし、入ったら入ったで、あきらかに興奮した目で裸体を眺めまわしてるし、レレのコスプレ衣装を着てからは、とんでもなく舞いあがって美咲さんのすべてを満喫しちゃってるじゃないか。
 亮太は、超現実的で異様な体験からくる混乱と、イグアナZの副作用とでまだ頭がぐるぐるしていたが、それでもぎりぎり気丈にそんなことを考えていた。
 そのとき、となりに座っている美咲が、ふっと亮太の手の上に自分の掌をおいてきた。
「なんだ……結局あたしの身体でしなかったんだ――」
 しなかった、というその意味はこの場合明白だ。
「そ、それは……そうです。美咲さん、僕はまだ女性とそういうことをした経験もありません。いきなり、人様の身体でそんなことできるわけないです」
 亮太はとなりの美咲の顔をみることもできず、そんな言葉を吐いたが、それが正直なところだった。
「それに――」
「なに?」
「美咲さんは僕の大切な友人だって思ってます。年下の僕なんかが言うと生意気かもしれませんが。そんな大事な人の身体を持てあそぶなんて、できません」
「……そう、ありがとう。でも、それだと亮太くんの身体で何度もしちゃったあたしの立つ瀬がないな」
「あれは、赤のドリンクの効果があったから。あれ、すごかったから」
「それと、やっぱりちょっとショックかも……。年頃の男の子にせっかく身体を貸したのに何もなかったなんてね」
「だから、美咲さんの身体を見てきれいだって言ったでしょ。あれは本心――」
 亮太は、美咲の珍しくも女々しい言葉にすこし苛立ち、そう叫んで相手の顔をみた。そこで、胸のあたりにいきなりつっかえが出来たようにそのあとを続けられなくなってしまった。
 美咲が、うるんだ眼で静かにこちらを見ていたからだ。なにかを問いかけるような、すべてをさらけ出しさらけ出させるような、不思議な色あい。濡れた唇はむすばれていたが、それが語ろうとしていることは、少年の亮太にも察しがついた。
 映画やTVだとこんなとき男女が洒落たセリフを言いあったりしてるけど、あれは全部ウソだな――亮太は頭が真っ白になりながらも、どこかでそんなことを考えていた。見つめあうだけでこんなに胸が苦しいなんて。ひとことも喋らないのに互いの気持ちが全部わかってしまうなんて。
 時が止まったかのような永い瞬間がやってきた。
 僕は美咲さんのすべてを知っている――その身体がどんなにしなやかで美しいか、どんなに柔らかく感じやすいか、気持ちいいときにどんな顔をしてどんな声を出すか。一方、美咲さんも僕のすべてを知ってしまった。絶頂になったときの快楽も知られてしまっている。
 いま、となり同士に座って見つめあっている二人を隔てるものは、ほとんどないよう見えた。あるとすれば、それは堅い言葉でいえば、人間社会の倫理と良識であろう。亮太は必死にそれと闘っていた。
 僕は美咲さんが好きなのだから、このまま進んでいいんだ。――でもだめだ、美咲さんは結婚してるのに。美咲さんには愛を誓いあった人がいるんだ、お前なんかただのひきこもり中学生じゃないか。――そんなことは関係ない、好きだって気持ちに偽りはないんだ、美咲さんだって赦してくれているじゃないか。――でも。
 そんな葛藤を感じとったのだろうか、美咲がふっと視線をおとした。長いまつげにどこか哀しみとあきらめの陰りがみえた。
 あっ、美咲さん、違うんだ、僕は――

 そのときである。
 突然ダース・ヴェイダーのテーマが鳴り響いたのだ。亮太は比喩でなくまさに飛び上がった。
 部屋の隅におかれていた美咲の携帯であった。
「あ! ダンナからだ。出なくちゃ」
 つい今しがたの甘い雰囲気がまったくの夢まぼろしであったかのように、突然日常モードにもどった美咲がソファーから立ち上がりそそくさと携帯のところへ行った。
 亮太のなかで、もつれ、積み重なり、渦巻いていたなにかがとうとうキレた。
「うわあああああ」
 叫ぶと、そのまま美咲の部屋を飛びだしてMTBを猛スピードでこぎ、自分の家へ帰ったというわけである。

==続く==

●二人の恋はどうなる?――って、なんだこの展開(笑)。プロット通りなのですが書きこんでみたら予想外な結果に。それではまた次回で。(作者)


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