目次に戻る

「美咲さんになって」 (3)


作:赤目(REDEYE)




 その前日、美咲は機嫌が良さそうだった。いつものように亮太とコンビを組むネットゲーム中に、行動からそれを感じることができた。ガンダレフのバイオレンスは冴え渡り、クイズを出してくる怖ろしいモンスターも亮太とのコンビネーションでバタバタと面白いようになぎ倒していく。
 小休止をとっているとき、美咲はチャットで亮太に話しかけてきた。
「ようやく旦那からメールが来たんだ」
「やりましたね奥さん」
「奥さんとかいうな。まあ奥さんだが。今週末くらいに一度日本に帰ってくる予定だって。もー、何ヶ月ぶりよ」
「どうも機嫌がいいと思ったらそういうことだったんですか」
「あれ? やっぱりわかる?」
「はい」
「ふふ、帰ってきたらこんなに放っておかれた分いっぱい甘えるんだ」
「ヒーハー、お熱いですねー(w)」
「熱いよー、旦那のこと好きだもん」
「おおー、ノロケますね今日は。でもいつもはずいぶん悪く言ってませんでしたか?」
「お酒の上のことだからおぼえてない! こらソラッセ、大人をからうな」
 亮太はディスプレイの前で苦笑するしかなかった。
「ところで明日だけど、よかったらうちへ遊びにこない? またコスプレ大会しよう。『カリオスカルの城』のクラレッサの写真はいっぱい撮ったけど、名シーンの再現とかしてなかったじゃない? だから今度はビデオで撮ろう」
 美咲のまえで亮太が美少女キャラのコスプレ披露した日、写真はメモリにコピーして貰ってきたが、美咲は写真がなかなかうまいようだった。だからというわけではないが、またしてもいいかな、という気に亮太はなっていた。
「でも、僕なんかが何度も遊びにいって大丈夫ですか? 美咲さんのご主人に怒られないかなぁ」
「あはは、何言ってんの。そんなの気にすることないって。ソラッセとあたしはただのゲーム仲間じゃない? まあ万一勘違いされることがあってもだ、こんなにカワイイ妻をほうっておいて何ヶ月も帰ってこないヤツが悪いんだから、大丈夫だ。ガハハ」
「そういうものですか? じゃあ、新しいコスプレ衣装もあるんで、それも持ってお邪魔しようかと思います」
 亮太はまだすこし不安だったが、そう答えた。だが結局その予感はある意味的中することになる。


 翌日、亮太が美咲のマンションを訪れてみると、ドアを開けるなり美咲がこちらへしなだれかかって――というより倒れかかってきた。
「へひょーん」
「ちょっと美咲さん! へひょーんって」
 亮太はあわてて美咲の身体をささえた。軟体動物のような美咲の身体が倒れてきたため、それを抱きかかえるような形になってしまう。薄い化粧品と大人の女性の甘い匂いにまじって、強いアルコール臭がした。
「美咲さん、飲んでるんじゃないですか?」
 亮太はちょっとドキドキしながら、努めて平静をよそおって美咲を抱えおこした。
「ちゃんと立ってください。――ぐでんぐでんじゃないですか」
「ぐでん、ぐでんじゃないもん」
 美咲はふてくされたように言い放ったが、まだ一人で立っているとふらつくようで、玄関脇のサイドクローゼットに手をついている。
「もう、こんな時間からどうしたんです」
「なんでもない」
 そう言いつつもあらぬ方向をみている美咲の顔は、ただごとではない。
「もしかして今日は僕もう帰ったほうが……」
 亮太がふとそうつぶやくと、美咲がかぶせるように言い返してきた。
「だめ、帰らないで。せっかく来たんだから。――ごめん、悪かった。お酒をぬいてくるからちょっとリビングで待ってて」
 そう言うと美咲はふらつきながらも奥へ消えていった。まだ迷いつつも、亮太もスニーカーをぬいで部屋にはいる。
 リビングへ入ると、しばらくして奥からシャワーの音が聞こえてきた。手持ち無沙汰に部屋をながめてみると、部屋のすみに三脚にセットされたビデオカメラがあった。
「はぁ〜、カッコわるいとこ見せちゃった、落ちこむわー」
 そう言いながら美咲がもどってきた。髪は濡れており、しどけないバスローブ姿だった。亮太はそんなあられもない姿の美咲をみて、見てはいけないものを見てしまった気がして、はっと目を逸らす。顔が赤らむのが自分でもわかる。
「あ」
 亮太の様子をみて、美咲も立ち止まる。
「この格好……はしたないよね? 悪い、ソラッセが少年なのをつい忘るんだ…」
 そう言いつつ再び美咲は引っ込んで、今度はゆったりとした厚手のチェニックとロングのパンツルックで現れた。
「アホな人妻でスマン…」
 テーブルの上に、ドン、と五百ミリリットルのスポーツドリンクを二本おいた。
「ま、口直しにどうぞ、先生」
 そう言って亮太の向かいに座ると、美咲は返事も待たずにキャップを回しゴクゴクと飲みはじめた。
 亮太も負けじとボトルを取り、「いただきます」と断るとゴクゴクやる。競争のようになってしまい、ほぼ二人同時に飲みおわった。
「ぷはーっ」
「ふう」
 顔を見合わせて笑いあった。

「で、どうしたんですかさっきは」
 しばらくネットゲームの作戦会議をしたあと、亮太は訊いてみた。
「やっぱりそこへくるか…」
 美咲は両手の指をあやとりのようにツンツンしたあと、白状した。
「実は今朝、帰ってこれなくなったって旦那からメールがあったんだよー、うわーん」
 美咲は泣きまねをしたが、別段もう本気で落ち込んでいるわけではなさそうだった。
「そうでしたか…。よほどお忙しい仕事をされているんですね」
「うん、小さな貿易商をやってるのよ。――ここだけの話、かなりヤバそうだったりわけのわからない品もあってね。そういうのは儲かるけど買い付けや売却も難しいらしくて。……あ、法に触れるようなものはないから安心してね。あとでいくつか見せてあげるよ。先週もヘンな栄養ドリンクここに届いてたし」
「ふーん、でも、お土産を送ってくるなら、やっぱり仲が良いんだ」
「……ン、ンマー、ヤンダぁよこの子は!」
「げふっ」
 亮太に美咲からテーブル越しのキックが炸裂した。えっ、ちょ、いまなんで向かいに座ったままで蹴られたの?

 亜麻色の髪、抜けるような白い肌の少女が、その瞳に一抹の憂いをやどしつつ呟く。
「あのかたはなにも盗らなかったわ」
 少女の見つめる先は、怪盗アルセーヌ三世が愛車フィアットで仲間と逃げさったあとであった。
 だが傍らに立つ茶色のトレンチコートに中折れハットの男が、静かな確信をこめて答えた。
「いいえ、あやつはトンデモないものを盗んでいきました」
「え?」
 少女が男をふりむく。
「――それは、あなたの右の靴下です」
 男が指さす先を見れば、たしかに少女の右足だけ靴下がなかった。
「キヤァーーーッ! 靴下っ、あたしのくつした盗られたわ! ドロボウさんだと思っていたら、ヘンタイさんだったのね」
 ここで二人ともしばらくストップモーションになる。
「ハイ、カーットぉ!」
 コートの男――男装した美咲が叫んだ。といって三脚のビデオカメラを止めるでもなく、自らパチパチと拍手した。
「何度かやったけど、いまのテイクがいちばんよかったと思うわ。このへんでちょっと休もうか? ――ふふ、いいもん撮れた」
「はい」
 少女になりきっている亮太が女の子っぽい仕草でうなずいてソファーに腰を降ろそうとして――ちょっとフラついた。
 二人はコスプレして映画『アルセーヌ三世 カリオスカルの城』のラストの名シーンを再現したのだ。亮太は自前の衣装とかつらでヒロインのクラレッサになりきり、美咲は夫の服を着こんでICPOのヤマガタ警部に変身したというわけである。
「どしたの、さっきからなんかフラフラしてるじゃない」
「ご存知のとおり、連日連夜ゲーム三昧で寝不足で…」
「あっ、じゃあいいもんがあるから飲ませてあげるよ」
 そう言って美咲は席を立った。
「はぁー、それにしても美咲さんの男役ってなかなかうまいではないですか。今日は美咲さんにも女の子のコスプレしてもらおうと思って新しい衣装も持ってきたのに」
「えっ、本当?」
 もどってきた美咲がドン、と栄養ドリンクのダース入りの箱をテーブルに置きつつ言った。
「どんなキャラの衣装?」
「熱狂的ファンが多い『馬世紀ダヴィスタリヲン』ってありますよね。あれのヒロインの名奈々見レレですよ」
「あーっ、ダヴィね。ダヴィか、うーん。ダヴィはどうかな、ダヴィは」
「あ、お嫌いでしたか?」
「いや、話は面白いんだけどね。レレちゃんも好きだし」
「でしょ、美咲さんてレレちゃんの雰囲気あると思うんです。青髪のかつらつけてコスプレしたらかなり似合いますよ」
「でもね、他の登場人物がちょっとね。男キャラがちょっと…」
「というと、主人公の叱離シンジン(信心)ですか?」
「ちがうの、親のほう」
「叱離ケンドー(剣道)ですか。なんでです?」
「ケンドーって、うちの旦那にウリ二つなんだよね」
「……へ?」
 亮太にはよくわからなかった。微妙な女心というやつなんだろうか。チャットであんなにノロけていたのに……どうにも理不尽であった。

「そんなことより聞いてくれ>>1よ」
「なにを言いだすんですか」
「このドリンクよ。さっき言ってた旦那がアラブから送ってきたやつでね、効くんだから」
「栄養ドリンクですか?」
 亮太がパッケージをみると、例の独特のひっかき傷のようなアラブ文字が印刷された紙が貼ってあり、砂漠を悠然と歩く巨大イグアナの絵が描いてあった。
 箱のなかにはちょうど日本の健康ドリンク剤をもう一回り大きくしたような感じの瓶が十一本入っている。
「一本はあたしが何日か前に飲んでみたわ。ものすごい効き方だったわよ、徹夜しても全然疲れないだもん。ちょっと待ってね、旦那の書いた日本語の説明書は、っと」
 美咲は箱のなかのアラビア語で印刷された小冊子をどけると、下から半ペラの一枚の紙を取った。
「いろいろと効果のちがうドリングが入ってるんだけど、ええと、強壮剤は…赤よ。赤いラベルのやつ」
 亮太は赤ラベルの瓶をさがして取り上げた。この瓶にも砂漠イグアナの絵が貼ってある。
「灼熱の砂漠で育まれたアラビアン・トリコロール・イグアナ。その神秘の生命力を抽出しアラブの魔術師が精魂こめて作り上げた究極のドリンク――その名も『イグアナZ』……だって」
 美咲が説明をよみあげた。
 この絵のイグアナの精が入っているかと思うと正直亮太はゾッとしなかったが、美咲がにこにこしながらこちらを見ている手前、年下とはいえ男としては逃げるわけにはいかない。たとえかつらをかぶって美少女キャラのコスプレをしてる最中でもだ。
「――では、いただきます!」
 キャップを取り、勢いよくとはいかなかったが、最初はひとくち口に含み、味はわるくないことを確認すると、あとは一気に飲み干した。
「よっ大将、いい飲みっぷり。……で、効き目はどう」
「そんなにすぐ効果がでてくるわけ……えっ、な、なにこれ」
「すごいでしょ」
 だが亮太は、いままったく元気になる必要はないところに非常な違和感を感じていた。具体的にいうと股間だ。
「あ…だ、だめこれ…な、なんか熱いよ」
 亮太が顔を赤くして身をよじるのをみて、最初は美咲は冗談かと思っていたらしいが、みるみるスカートの中央のあたりが膨らむのを見て、目を見開いた。
「えっ…あっ…ソラッセ、『そこ』が元気になっちゃったの?」
「う…うん…うわあ」
 亮太は痛いようなむずがゆいような強烈な感覚に身もだえした。
「たっ…大変…どうすれば」
 なにか説明書に書いてないかとさがした美咲が「あ」と叫んだ。
「この赤のドリンクは女性には普通の強壮剤として働きますが、男性にはバイアグラの100倍ともいわれる強烈な強精剤として……あわわ」
 すでに亮太は前屈みになり、必死に股間を押さえている。端からみれば、色白の幼げな美少女が股間をおさえて身悶えしているという、ただならず図だ。
「う…う…う」
「りょ、亮太くん! もし、あ、あたしでよければね…手とか口とかで」
「な…なにをバカな…こと…言っ」
「そ、そうよね。あっ!これよこれ」
 また説明書になにか発見したらしく美咲が叫んだ。
「間違って必要ないときに飲んだ場合、青のドリンクをお飲みください。これで元通りに……って」
「青の…ですね」
 亮太はかすむ目で青いラベルのドリンクをさがして、取り上げた。キャップを回して、地獄に仏とばかりえいやっと一気に飲む。だが亮太は重大な間違いを犯していた。「進め」の信号は青か緑か、という永遠のファジーな問題と同種の混乱がここにはあったのだ。
 箱の中には青っぽい緑のビンと、緑っぽい青のビンがあり、亮太が飲んだのは青っぽい緑のビンだったのだ。
 亮太は身体中の力がへなへなと抜けていくのを感じた。ヘンだ、身体がぺったんこになっていくような異様な感覚がする。
 亮太は気を失った。

==続く==


目次に戻る

●感想フォーム
 面白い  普通  つまらない

コメント (一言頂けると作者の励みになります)

名前 メールアドレス

inserted by FC2 system