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蹴りたいド真ん中
(中)

作:赤目(REDEYE)

 はあ、猪名川の部屋かあ――あたしのなかで期待と不安が入りまじる。あたしはこう見えて男の子の部屋に入るのは初めてなのだ。
 招きいれられたそこは、思っていたよりは片付いていて、思っていたとおりヲタグッズが揃っていた。といってもひくような量はない。壁には声優やアニメキャラのポスターが二〜三枚あるだけで、グッズ類も固めてラックに整頓されている。なんだか猪名川の意外な一面をみた気がする。いや、猪名川のばあい生態がまったくの謎だったから、どんな一面をみせられても意外かもしんない。
 あたしはガラスのテーブルのところに座って猪名川を待った。座布団も猪名川が出してくれたものだ。こうなってくるとさすがに首をひねりたくなるような意外ワザのコンボ攻撃という感じ。あたしが見たかったのはこんな猪名川だったのか。
 なんで猪名川の部屋に来ちゃったんだろう。あたしは理科室のやりとりを思い出していた。
「――それより何よ、このファイルは」
 あたしは勝手に猪名川の私物をのぞいてしまった後ろめたさから、ファイルを手でバンバン叩きながら強気で問いつめた。
「あのね、りるれが強気じゃなかったことってあるの?」
 ヒトミ、あんたまだいたの! 人の心の声にまでツッこむなって言ったでしょ。……まあそれはいいわ、とにかく猪名川はそれには直接答えず、逆にあたしの心を見透かすように訊いてきた。
「もっと見たいなら、ウチにまだたくさんファイルあるけど?」
 ほかにもアイコラ集あったんだ。ならあたしはそっちに載っているのかも。そうよ、そうに決まっている。あたしの脳裏を一瞬、アニキャラらしき魔法少女の格好でラブラブ光線(死語)びんびん発射してるヒトミの笑顔がよぎった。あのヒトミのアイコラは悔しいけどかなり可愛いかった。しかも心なしか他の女子よりヒトミの写真はたくさんあったし。あたしより格下のヒトミがあんなかわいいなんて許せない。
「だーれが格下ですってぇー?」
 (無視)クイーンであるこのあたしなら、きっとアイコラも華麗で美の極地のようなものになっているはず。そうでしょ猪名川。たのむよ猪名川。
 それであたしは「行く」って答えてしまったのだ。

 猪名川がなんと、お茶を持ってきてくれた。やめて猪名川、そんな改まってかしずかれたらあたし緊張しちゃうでしょうが。
 まさかお茶のなかに何も入ってないよね。あたしは猪名川のドブに浮いた腐乱魚類のようなにごった眼をジッとみながら、お茶をぐっと飲みほした。うーんうまいっ。温度もちょうどいい感じ。この男、なかなかできるわ。
 差しだされたファイルが五冊。ふーんこれがねー、などと無関心をよそおいながら、その実ギンギンに目ぢからを入れてチェックしはじめるあたし。
 まああたしの美貌なら専用ファイル三冊分のアイコラは堅いわね、などと気楽に考えていたあたしの自信は、ページをめくり進めるにつれて砂の上のお城のようにグザザザスと崩れていった。
 ない。全然ない。あたしの写真がない。――どういうことなの猪名川。このあたしには一ナノの関心もないっての。
 徒労感。絶望という名の重いコンダラがあたしの肩に食いこんでくる。あたしは唇をかんだ。
 はっ。ところで猪名川はどこ? あたしが思わず必死でファイルを見ているうちに部屋からいなくなってる。
 ふと異様な気配を感じてドアのほうをみると、少し隙間があいていて、そこからプラスチックの筒のようなものがこっちへ突きだしていた。あっ、これ吹き矢! あたしが気づいて身体をかわした瞬間、筒からなにか飛びだしてあたしの横を飛びすさっていった。
「い・な・が・わぁ〜っ!」
 あたしはアイコラの件もあり、憤怒のパワーを大バクハツさせて立ち上がると猪名川に向かってドスドスと床を踏みしめ迫りすすんだ。
「ひ・ひ、ひえええええ」
 廊下からあたしを狙っていた猪名川は恐怖で顔をひきつらせながら、四つん這いになって逃げた。
 アドレナリンの大分泌で目の前が真っ暗になるのを感じながら、あたしは大地を震わせ樹木をなぎ倒す大恐竜になったかのように、猪名川を容赦なく追いつめていく。
 猪名川は「ひょえふゅえどひゅ」と意味不明の言葉を発しながら、ドアを開きべつの部屋に逃げこんだ。あたしも躊躇せず踏みこむ。
 猪名川は部屋の中央まで這いすすむと、とうとう腰が抜けたらしくあんぐりと口を開けてこちらを仰ぎみた。
 ああ、その顔たまんない。その表情。そのどうしようもなく卑しく見苦しいわななき。
「いながわーっ!」
 あたしは叫ぶと、猪名川を蹴りとばす。仰向になったところへ、これが決め手、股間にどすっとソックスの足を突きたてた。
 あっ、いいっ。やっぱり猪名川のって感触サイコー。
「ぐぎゃあああああああぁ」
 猪名川の恐ろしい悲鳴も天使のハミングにしか聞こえない。思っていたとおり、ううんそれ以上に大きいわぁ。グリグリと踏みしだくにつれ、ソックスの布地をとおして極上の感触がつたわってくる。
 クラスの男子全員のキンを蹴ってきたあたしにとって、これが最後の聖域。そしてはっきりわかる、やっぱり猪名川のが一番おっきい。そんであんたは、なんて苦悶に満ちたイイ顔をするの。
 ……はっと気づくと、あたしはカーペットの床にペタンとへたり込んでおり、その横で猪名川が股間をおさえてイモ虫みたいに悶絶していた。どうやらあたしも意識がしばらくあっちの世界をさまよっていたらしい。――はふぅ。
 ん? しかしこの部屋はなに? 見渡せば女物の衣服やらコスプレ衣装がいっぱいじゃないの。大きな姿見やライト、三脚に載ったカメラなんかもある。
「ううううう……」
 猪名川が苦しげにうめき声をあげた。ようやく気づいたみたい。
「猪名川〜、あんたが悪いんだからね。人のことを誘っておいて、一枚もアイコラ造ってないなんてこのあたしにシツレイでしょうが」
 そのときあたしはハッとした。床に転がるあの吹き矢。猪名川の手から落ちていたそれはあきらかにかなりアバウトな感じの代物で、「矢」のパーツなんて先にペッタンする吸盤がついていた。パーティグッズだったの?……
 そのときあたしは初めて男のキンを蹴ったことを後悔した。猪名川は猪名川なりに場を盛り上げようと吹き矢を放ってくれたんだ。それをあたしったら……ああっ、あたしのバカバカ。
「ま…まあ、せっかく誘ってくれたんだし、なんか猪名川からお願いとかあるなら言ってみなよ。場合によっては聞いてあげてもいい、みたいな」
 あたしはアゴを突きだしなかば投げやりに言い放った。これがクイーンとしては最大限の譲歩よ。
 猪名川は床からかろうじて顔を上げて言葉を絞りだした。
「それ、ホント……?」

 ローテーブルの上に置かれたアンティークなランプ。どうみてもアラビア製で、こすると魔神でも出てきそうな感じのやつだ。猪名川が棚の箱から出してきたもので、「イーベイで落札したんだ」と説明してくれた。海外のネットオークションらしい。
 蓋彩さんの写真が撮りたいんだけど、と、驚いたことにかなり照れながら猪名川は言ったのだ。猪名川が照れるなんて! そんなところは初めてみた。んもーそれならそうと早くいえばいいじゃない。ははん、だんだんわかってきた。クラスの他の女子はアイコラで満足したけど、あたしには実際にコスプレしてほしいってことね。この部屋と衣装はそのためのもの。
 なによー、猪名川わかってんじゃん。そうよ、あたしの美しさはアイコラなんかじゃ表現できないのよ、なんせクイーンだもの、おっほっほ。
「まー猪名川がどうしてもというなら仕方ないわね」
 あたしが有頂天でこたえると、猪名川は顔をくしゃくしゃにして喜んだ。
「いやあ、言ってみるもんだね。どうやって頼もうかと思ってたけど、直接、お願いするのは初めてなんだ」
「やだよ猪名川ー、なんか告白みたいじゃん」
 あたしたちは笑いあった。
 そこで猪名川がおもむろに出してきたのが、アラビアンなランプというわけ。

「で、なによこれは」
 あたしが訊くと、猪名川は黙って手をだした。
「なに?」
「髪の毛をいっぽん」
 あたしは不思議に思いながらも、一本抜いてわたした。
 猪名川はランプの蓋をあけ、それを中に入れると、ランプの腹をこすりながら「アブラアブダルアラブルアラブ……」とわけのわからない呪文を唱えはじめた。
「ちょっと猪名川なにやってんの、魔術でもみせよ……」
 そこまで言ったとき、あたしは意識がすうっと遠のくのを感じた。あれっ?天地がひっくり返った。
 気がつくと、あたしの名前を誰かが呼んでいた。
 目をあけると、そこはまださっきまでの部屋で……そしてあたしの前にいたのは、ええっ?あたし!
「ちょっとー、あなたいったい誰」
 言ってしまってから、あたしは思わず喉をおさえた。声の調子がおかしい。まるで男の声だ。
「蓋彩さん、おどろかせてごめん。質問にこたえる前に、ちょっとあそこにある鏡を見てみてよ」
 あたしそっくりの女は、まるで男のような口調でそう言うと、部屋にいくつかある大きな姿見のほうを指した。
 鏡には、その女ともう一人、不審そうな顔でこちらをみている猪名川が映っていた。え?猪名川はこの部屋のどこにもいないのに。あたしがキョロキョロすると、鏡のなかの猪名川もキョロキョロした。あたしが手を振ると猪名川も同じように――。
 え? これってまさか?
「あ、あたしが猪名川になっちゃってるーー!」
 あたしは猪名川の声で叫んだ。
「ふふ、そういうこと。で、ボクが蓋彩さんになっているってわけ。ふたりの心と身体をさっきのランプの力で入れ替えたんだ。でも安心して、いつでも戻せるから」
 猪名川、っていうか、あたしの身体に入った(やっぱり)猪名川は、満足そうな表情でいった。
「でも蓋彩さんの身体って予想通りサイコーに“着心地”がいいや。これまで着たなかでダントツ一位かな」
 猪名川は気取ったしぐさであたし(の身体)の長い髪を掻きあげた。
「ちょっとぉ、猪名川これどういうこと? 説明しなさいよ!」
 あたしはダンコ詰めよった。

==続く==



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