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天に願いを・外伝
あのコはやっぱりお騒がせ


作:赤目(REDEYE)



 イクは雄二の視線に気付くと、ハッとしてそこから立ち去ろうとした。
「待った、イクちゃん」
 その背中に呼びかける雄二。
 イクは躊躇うように立ち止まった。
「あの……うまく言えないけど、……本当にごめん。オレ、どう話していいか――でも、マヤちゃんとイクちゃんのこと、カンタンに考え過ぎていたよ。入れ替わっているときも、いやそんな時だからこそ、もっと大切しなくちゃいけないこと、もしそうしなきゃ壊れちゃうものがあるんだな、って気付いた。オレも男なのに、イクちゃんの気持ちをあんまりわかってやれなくて、本当にごめん。――オレの言いたいことは、それだけだよ」
 雄二は、のれんから顔を出した姿勢のまま、絞り出すようにそれだけ言い切った。
 イクはまだ背中を向けていたが、やがて何かを振り払うように、こちらへ向き直った。
「雄二さん……」
 その切なげな表情。
 しばし、二人は見つめ合った。
「あ、あの……」
 イクは雄二とのあいだの濃密な沈黙の重さ、快さに、いまさらながら含羞むように視線を落として、続ける。
「わ、わたしが浴場まで来たのは、雄二さんがひとりで困ってるんじゃないかって、思ったからで……」
「うんうん、困ってた。だっていざ服脱いで湯舟に入ろうとして、マヤちゃんの無い胸覗いてたら……ってあわわわわ違うちがう」
 慌てふためいて腕を振りまわす雄二だったが、それがなぜかただでさえ緩んでいたタオルの胸元をひっぱる結果になってしまい。
 ……はらり。
 雄二の、というかつまり摩耶香の一糸まとわぬ姿が晒される結果になった。
「うわーっうわーっはやく脱衣場に入ってください雄二さんっ」
 イクが血相変えて突っ込んできた。
 
「いやー、いい湯だナ」
 頭にタオルをのっけて、肩まで湯に浸かっている雄二が言った。
「やっぱ風呂はイクちゃんと入るに限るよ、なんせ自分では何もしなくていいんだもんなぁ」
 すでに湯舟へ入る前のかけ湯までイクにやってもらっている雄二であった。
「はい、はい」
 隣りで完全にあきらめ切った顔のイクが答える。イクも頭にタオルを載せていた。
「さーて、そろそろ身体を洗おうかな。……んふふふふ、また頼むよイクちゃん」
 雄二は浴槽から出て洗い場へ行くと、何を思ったか辺りありったけの風呂椅子を集め、ベッドのような形に並べた。
「じゃあ、お・ね・が・い」
 澄ました顔でそう言うと、その上へごろんと仰向けに横たわった。
 手足をだらーんと思い切り広げ、軟体動物のようにへたり込んで全てを投げ出している。色気とか艶気とかそういったものは一切ない。
 つまりは、この体勢で身体を洗ってくれと要求しているわけであった。もう座っていることすら放棄した、究極のわがままである。
「イクちゃーん、どうしたのー? カモーン」
 雄二の声が浴室にこだまする。
 イクは深い深いため息をつきながら湯を出ると、仕方なく雄二のところまで行って膝を付き、石鹸の泡をスポンジに染み込ませはじめた。
「……いくらなんでもその格好はだらけすぎでしょ。それに雄二さんがこんなはしたないポーズ取ってるの知ったら姉さんがなんて言うか……ぶつぶつ」
「あれ、なんか言った? いやー、今日は怒りんぼで泣き虫の誰かさんによる鬼シゴキに付き合わされちゃったからさー。今ごろドッと疲れが出てきて、もう座ってられないんだよねー」
「はい、はい、そうですか」 
 イクは相手にせず、手際よく“姉”の全身を泡だらけにしていく。
「お疲れさま――」
 そこへ背後から突然女性の声が響いた。
「わぁ」
 イクが驚いて足を滑らせ、雄二の上に派手にずっコケてきた。どんがらがっしゃーん、と風呂椅子の列が崩れる音が響く。
「あたた……」
「イク様、雄二くん、なにをやってるわけ……?」
 見ると、浴室の開いた扉のところにワンピースの水着を着た華枝がいた。
「あ、あやしいプレイかなんか?」
「違いますっ!」
 浴室の床の上でイクと抱きあった姿勢のまま、雄二が叫んだ。

 高沢華枝、教団信者のひとりで、三十を少し過ぎたバツイチ・シングルマザーである。八風神社の伝説の銅鐸を巡る事件では、雄二やイクを陰になり日向になり助けてくれた。
 華枝は非礼を詫びたあと、ここに来た理由を告げた。
「今日はお二人とも特訓でお疲れでしょうから、湯女をしにきました。雄二くんも、イク様も、全身をしっかり洗わせていただきますよ。湯上がりにはマッサージもして――あら、それとも、まさかお邪魔だったかしら?」
「だから、違いますって。ねえ、イクちゃん」
「そ、そうですよ……」
 顔を見合わせ、なぜかドギマギする雄二とイクであった。
 そんなこんなで。
 華枝は雄二の身体を洗いながら、あんな姿勢でイクに身体を洗ってもらっていた理由を雄二から聞くと、「そりゃ違うわよ」と言った。
「イク様は、単に含むところがあったりとかそんな理由で雄二くんをシゴいていたんじゃない。ひとえに霊能力を高めてほしいからよ。そして効果はすでに出てるわ――その証拠に、夕食のとき、雄二くんは一度も引っかからなかったでしょ」
「まあ、そういえば……」
 実は雄二は、タバスコ満載ピザや、わさびてんこ盛り寿司は全て察知して、一回もババを引いていなかったのである。
「でもあの時は空腹だったしオレも必死だったから」
「それだけじゃないよ。あの特訓は雄二くんのために特別に考えられたメニューなんだから。摩耶香様も、イク様も、雄二くんに教団顧問としてふさわしい人になってほしいとお考えなのよ。だからこその鬼シゴキ。――そうですよね、イク様?」
「は、はい……」
 イクは、湯舟から出していた頭を、顔半分まで沈めた。
「そうかぁ。――オレもフラフラしてちゃダメなんだなあ」
 雄二は自分の浅はかさに改めて気付かされた。
「じゃあ、そんなイクちゃんの特訓に感謝して、オレがイクちゃんを優しく洗ってあげよう」
 石鹸を洗い流すと、雄二は立ちあがってイクを湯舟から強引に引き上げた。
「いや、いいですよ、いいですったら」
「まあそんなことをおっしゃらずに、イク様」
「わあ、華枝さんもやめてくださいっ、そんな二人がかりで、いやあぁぁ――」
 イタイケな少年の悲鳴がこだまする大浴場であった。

 その夜、雄二は摩耶香の部屋でイクと一緒に寝た。


「摩耶香、摩耶香――」
「う、うーん、まだ起こさないで……んーねむい」
「摩耶香、こっち向いてくれよ……フフフ」
「こんなに朝早くから、だぁれ――ふぬ? なんだぁ、雄二くんかぁ……ってエエッ!お、オレ!?」
 雄二は毛布を跳ねのけてソファーの上で飛び起きた。
 目が醒めたら鏡でも見てるように自分の顔が目の前にあったのだから、無理からぬところだ。
「そんなに驚かなくてもいいでしょ」
 目の前の“自分”が床に腰を下ろしたまま言った。どこか女性的な物腰だ。
 摩耶香――つまり、雄二の身体と入れ替わった――であった。
「――なんだ、マヤちゃんかぁ。ふぁ〜あ……おはよう」
「おはよう。……入れ替わっている時、イクといっしょに寝てるってのは本当だったのね」
「ああ、さすがにオレはソファーとかで寝てるけどね。やっぱりイクちゃんと一緒だと安心できるし。着替えのとき、悩まなくても済むもんなぁ」
「別に、わたしのベッド雄二くんが使ってくれていいって言ってるのに」
「いや、そりゃさすがにオレが恥ずかしいよ。……それより、お仕事早かったんだね」
「うん、助けてくれる凄腕の行者がいたし、男の身体のお陰で山中で行動しやすかったし、予定よりかなり早く終わったんだ。――それより、ごめんねえ、雄二くんの身体強奪しちゃって」
 目の前の自分がシナを作りながら話すのを見ているのは変な感じだ。
「いや、いいよ。事情はイクちゃんからぜんぶ聞いたしさ。女人禁制の山じゃあね」
「それがねー、すごくフザけた話で、女人禁制ってのはもうかなり前から建前だけだったのよ。普通に男装して入れば、ふもとの登山口も素通りできたみたいよ。フザけてるわ、山中で女性の入山者へ見上げるような荒行者が『お気をつけてー』なんて声掛けてるしさぁ」
「あっはは、そうかぁ。そういう話はときどき聞くよ。建前をふりかざしてるのは寺社の上の方だけで、行者の人って人間出来たジェントルマンが多いから。まあ、思い付いた計画を実行する前に、せめてオレに相談してくれればね」
「でも、なんか改めて色々頼むのも悪いし、また面倒に巻き込むのもね……」
「水臭いなぁ、オレが教団顧問になってる意味ないじゃん。もっと素直になりなよマヤちゃん」
「あのね、そうは言いますけどね、あたし一人で教団まとめるがどれだけ大変――」
「……うーん……」
 ベッドの方からイクのうめき声が聞こえた。
「しーっ」「シィ」
 雄二と摩耶香は首をすくめて顔を見合わせた。
「とにかくいまギロンするのは止めよう。イクちゃんが起きちゃうよ」
 摩耶香は頷いた。
「……じゃあ」
 しばらく沈黙のあと、摩耶香がちょっと思い切ったように言った。
「元に戻らなくちゃいけないし、雄二くん、あれヤっちゃいましょうか。朝食前に」
「……やっぱり、やるの? どうしても?――あの、すっと普通にキスするだけじゃダメ?」
「一応気分を盛り上げないと、色々不都合があるでしょ」
「わかったよ」
 雄二はあきらめて大きく息を吐いた。
「服、どうする? このままでいいかな?」
 雄二は自分が着ているパジャマを指して質問した。
「服はそのままでいいわ、ガタガタやってるとイクが起きちゃうし。でも髪くらいは梳かしてよね」
「わかった」
 返事をすると雄二は立ち上がった。
「いい? 梳かしおわったら雄二くんはあたしに成り切るのよ。あたしは雄二くんに成り切るから。シチュエーションは、そうねえ、一夜を共にした二人が夜明けに再び真実の愛を誓いあうって感じ、がいいかな」
 ちょっと吹き出しながら摩耶香が言った。
「――ったくもう、マヤちゃんってもしかしてコレ楽しみにしてないか?」
 なぜか嬉しそうな摩耶香を後目に、ブツブツ言いながら雄二は鏡台のところに座る。
 そう、二人が元に戻るには、再び相手とキスをしなければならないのである。今の雄二にとってそれは、女の身体で男の自分(の身体)とキスしなければならないことを意味した。

 寝乱れた髪にブラシを入れるたび、摩耶香の長い髪はしなやかに伸びて流れるような躍動を取りもどす。まだ顔も洗っていないのに、鏡の向こうの少女はアンニュイで無防備で神秘的だった。
 摩耶香本人が同じ部屋にいるにもかかわらず、いやだから余計にというべきか、雄二は手を休みなく動かしながらも、はたして胸が高鳴るのを抑えきれなかった。素直にきれいだな、と思う。マヤちゃんがこんなにきれいじゃなかったら、ここまでドキドキしなくてすむのに――。
 髪を梳かしおわると、鏡の向こうの摩耶香はちょっと決心したかのように胸元で掌を重ねると、「お・ん・な・の・こ」と小さくしかし確かな口調でつぶやいた。

「――さぁー摩耶香、ボクの胸に飛び込んでおいで」
 しかし振り向いた少女は切なげな光を湛えた瞳で、なすがまま満ちてゆく刻を待った。
 つかのまの沈黙。
「――雄二くん……昨日は痛くしなくてくれてありがとう。あたし、うれしかったよ」
「はうっ!?……う、う、うん。そ、そうか。オレ、う、うまくできたかな」
「うん……あんな優しくしてくれて、なんて言ったらいいか……」
 頬をほんのり染めて、親指をしずかに桜色のくちびるで噛む。
「ぐぐ……あ、あ、良かったな、それは。オレだってはじめてだったし、あんな、こんな……ぶつぶつ」
「ねえ?」
 流れる髪をけだるげに掻き上げ、ゆるりと鏡台の前から立ちあがる。
「もう雄二くんが帰らなきゃいけない時間なのはわかってる……だから、その前にもう一度確かめたいの」
 言いながら、すがるような表情を浮かべてゆっくりと相手に近づく。
「な、な、にゃにを……」
 吸いつくように身体を寄せて。
「わかってるでしょう――」
 視線を落として、共犯者の含み笑いでくちびるを丸めた。
「もう一度……ふたりの永久を」
 顔を上げて、あるがままのすべてを赦し、何もかも受け入れる表情でささやいた。
「あ、あ、あ……」
 もはや抗うことなどできない、瞳を閉じ奪われるのを待つだけの少女のくちびる。
 二人はキスした。

「ハァハァ……」
 元に身体に戻った摩耶香は、床にペタリと座り込んで胸に手を当て荒い息をしていた。
 それを腕組みして勝ち誇った表情で見下ろす雄二。
「ど、どうしてそんな女の子のフリがうまいの?……まじでドキドキしたじゃないの」
「昨日の八風神社のお返しだよ。ユーワクされるとどういう気分になるかわかったろ」
「あ、あたしあんな顔とかできるんだ……あんなコト言うとあんな風に見えるなんて……ああもう、これじゃ自分大好きチャンじゃない。だいたい人の顔で勝手にあんな……う、くく、雄二くん、次はおぼえてらっしゃいよ」
「オレはこう見えて何度も同じテには引っかからないよ。へへーんだ」
 軽口を叩きあう二人だったが、イクがベッドの中で深くやるせない溜息をついたのには気付いていなかった。

==続く==


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