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天に願いを・外伝
あのコはやっぱりお騒がせ


作:赤目(REDEYE)



 天願教団の本部施設がある山の中、切り立った崖の上へさらに張り出したキャットウォークに雄二はいた。服は緑色のジャージに着替え、足元にはスニーカー。ジャージの色がやけにダサいが、それはいつも摩耶香が着ているものを借用しているからであった。普段の摩耶香のファッションセンスはあくまで「着られればいい」という人として最底辺の代物である。
 崖の下をのぞきこんで完全にヘッピリ腰の雄二がいう。
「ひ、ひええ、こんなところから落ちたら絶対死んじゃうよ。イクちゃん、やっぱり許して……」
 救いを求めるように雄二は後ろを振り返って崖のところに立つイクを見やったが、イクは冷たい眼で毅然と言い放った。
「五十六さん、やってください」
「わかりました」
 教団の荒仕事担当の巨漢はそう言うと、有無をいわさず雄二を抱え上げ、崖の下へ放り投げた。

 なぜこんなことになったのかは、まず雄二が摩耶香のフリをしてイクから訊き出した話について説明せねばらない。
 摩耶香にはずば抜けた霊能力があり、それを使った力業といえる御祓いや悪霊退治で名を馳せてきた。それが天願教団の信者獲得にもつながってきたわけである。
 ただ摩耶香の名がこの世界であまりに知れ渡ったことで、単に信者や一般の人からだけでなく、他の宗教関係者からも頼みごとが持ち込まれるようになった。今回もそれであった。
 信者の知人に隣県の古びた山寺の住職がいたが、高齢のうえ大病をして山を下りながい入院生活を余儀なくされていた。山を下りるときに神仏混交の御神体を山中に封印してきたのだが、もはや自分では寺に戻れないかもしれないため、その御神体を保護し山から下ろしてほしいというのである。御神体を安全な場所に保管してくれるなら、別に手許に戻ってこなくても構わない――。
 摩耶香はこの依頼を二つ返事でひきうけた。もともと信仰の違いなど気にしていないし、困っている人は放っておけない質だ。特に、その御神体が強力な御利益を持つ由緒あるシロモノと聞けばなおさらであった。摩耶香はこの種のアイテムのコレクターで、それは往々にして霊感を研ぎ澄まし拡大してくれるからであったが、今回は御神体を自分の部屋で保管してもいいのだから、むしろ願ってもない話といえた。
 しかし問題がひとつあった。この古寺が、地元だけで知られている女人禁制の修験道の山にあることであった。
 そこで、雄二(正確にはその身体だけ)の出番である。雄二と入れ替わってしまえば、摩耶香が山に入るのに何の問題もない。また、さすがに女一人で山に入るより、男として入った方が行動の自由度は遥かにたかくなる。
 摩耶香は山中では精神を集中させるため単独行動を好んだし、今回は特に結界をくぐって御神体を捜さなくてはならないのだ。また、山から御神体を下ろすといっても、非常に高い霊能がいる微妙な作業であり、下手をすれば災いを呼び込んでしまいかねない。そんなことから、集中して取り組むためにも一人で山に入る必要があり、雄二と強引に入れ替わって訳もいわず立ち去ったのであった。
 といって自分に絶対の自信がある摩耶香は、この作業が失敗するとは微塵も思っていないし、普通の霊能者なら何週間もかかるであろう探索と御神体下ろしを一日で終わらせてしまうつもりだった。だからこそ週末に雄二と入れ替わったのである。
 雄二にとっては、それは単に女の子として過ごすちょっと変わった週末になるだけのはずであった。そう、もし摩耶香が「いい機会だから教団で雄二くんを修行させてあげて」と言い残していなければ。そして、摩耶香のフリをした雄二のあのイケない誘惑を、イクが許してさえいれば……。

 びよぉーーーん。
「ぬあああああああああああ」
 みっともない悲鳴を上げて崖から落下していた雄二は、腰に巻きつけられたゴムロープの力により、地面に間近い位置で静止した。
「あひぇっ!?」
 死ぬという運命を認識して、走馬灯のように思い出を投影していた雄二の脳が、どうも助かるらしいと予定変更して、エンドルフィンを大量に分泌した。
 雄二、というか摩耶香の顔がにひゃらっと緩む。
 摩耶香本人に見せたら、絶対猛抗議されるような表情をしてしまっている。
 ゴムロープのもう片方は、キャットウォークの鉄骨に固定されていた。
 今度はその力で、ぐぅーんと中空へ引っ張られる。
「のひゃあああああああ」
 普通は絶対ありえない、背中から引っ張られどこまでも上昇するような感覚に、また雄二はブザマな悲鳴をあげる。
 崖の上近くまでいくと、その力も消えて、また重力に引かれて落下。
 再度雄二の悲鳴。
 これがゴムの力が消えるまで数回繰り返された。
 もう、摩耶香の長い髪があっちへ流れたりこっちへ広がったりで、ムチャクチャになっている。
 散々なバンジージャンプ特訓であった。

「情けないのことじゃのう。摩耶香様であれば、凛と口を真一文字に結んで、声ひとつ上げず流麗な姿勢で飛び込んでいかれるのじゃが」
 いつのまにか見学に来ていた轡馬が言った。
「われら天願教団の顧問がこのような体たらくでは一般信者に示しがつかん。イク様、雄二どのには一層の訓練が必要のようですの」
「はい、今回は甘やかさず徹底的にやるつもりですので」
 イクが腕組みしながら答えた。
「うむうむ、心強いことじゃ」
 上下運動が止まり五十六の手でキャットウォークまで引き上げられた雄二に向かって、イクが厳然と言い放つ。
「そんなだらしないことでは困るのですが? これは平常心と勇気を養う修行ですので、声を上げてはいけません。もっと平静を保つよう心がけること」
「ふぁあふぁあ、そ、そんにゃことひってもー(言ってもー)」
 雄二はほとんど腰が抜けたような格好でキャットウォークの手すりにしがみ付きながら、うらめしそうにイクを見た。摩耶香の長い髪はぐちゃぐちゃに乱れ、その顔は麻薬中毒患者が二日酔いの朝、納豆に当たったかのような惨状である。
「もっとシャンとして下さい」
 イクは冷たくそう言って、五十六に合図した。
「ひゃい、ま、またやるのぉー?」
「当り前です……。声を上げなくなるまでつづけるのです」
 またも雄二の悲鳴が長く尾をひいた。
 ああ、こんなことになるなんて。雄二は教団へ来る途中のタクシー内での出来事を思い出していた。

 摩耶香と身体が入れ替わってしまった以上、八風神社にいても仕方がなかった。雄二の家には女の子の服も下着もないのだ。そこでタクシーでイクと教団へ向かうことにしたのである。
 イクは、泣き止んでからは、むすっと押し黙ったまま、ただ雄二を教団まで無事送りとどける仕事だけに専念しているようにみえた。
 そんなイクの隣りに座った雄二は、さすがに申し訳ない気持ちでいっぱいになり、イクにそっと話しかけた。
「あのさ……まあこれは独り言として聞いてほしいんだけど……オレ、入れ替わっている時、たまに摩耶香ちゃんのフリをしてもいいんだけどな」
 イクは無言で前を向いたままである。
「いや、さっきさぁ、その、マヤちゃんの計画の話とか聞いてて……結構イクちゃんも愚痴とかあるんだなって思ったんだよ。マヤちゃんいつも無茶してるし、ホラ、本人には直接いえないけど、って話もあるんじゃない? まあオレが聞いても根本的な解決にはならないけど、話すだけでラクになれることってあるでしょ。――それから、えっと、本当の姉のつもりで甘えたいだけ甘えてくれていいし」
 イクはまだ前を向いたままだったが、耳に少し朱がさしてきた。
「べつに遠慮しなくていいんだよ。教団運営がどんなに大変かオレもつぶさに見ててだんだんわかってきたし。オレは一応顧問なんだから、せめてこれくらいの仕事しないと――ね」
 イクは雄二の方を見て少し口を開きかけて、しかしそのまま何もいわず、ちょっと怒ったような拗ねたようなやり切れない表情でこちらを見ていたのだった。
 ――やっぱりアレがまずかったか。雄二は天地の間を落下したり上昇したりしながら、極限状態の心のどこかで思い返していた。あんなこと言ったから、よけいにイクちゃんを怒らせてしまったに違いない。

 バンジージャンプ特訓が終わると、今度は滝に打たれ、反復横飛びをやらされ、腹筋腕立てウサギ飛び、玉乗り、皿回し、似顔絵描きに詩吟に句作と、もう罰ゲームだか隠し芸だかよくわからない世界を午後いっぱい強制体験させられた。夕食はといえば、並んだ寿司やピザの中から、わさびやタバスコをてんこ盛りにした「当たり」を避けて食べなければならないという、デンジャラスなサバイバル・バイキング形式である。
 そしてようやくその日の特訓すべてが終わり入浴タイム。そのときになって初めて、雄二は自分ひとりで入浴しなければならないことに気付いた。食事のあとイクが部屋に篭りきりになってしまったのを知ったからであった。

 誰もいない教団の大浴場。いちおう、身体が摩耶香になっている雄二は、女風呂に入るよう女官に言われていた。
 脱衣場でジャージを脱ぐときから、摩耶香のほっそりとした四肢がイヤでも眼に入る。これまで入浴のときはイクがいっしょにいたから良かったが、今日は一人で摩耶香の裸身と向きあわねばならないらしい。
 落ち着け、落ち着け、自分のヌード見て興奮するバカがどこにいる、と自らに言い聞かせる雄二だったが、やはりどうしても意識してしまう。
 とりあえず全裸になったあと、そそくさとバスタオルを身体に巻きつけ、浴室へ向かって歩いた。途中で、大鏡に映った摩耶香の全身が眼に入り、思わず立ち止まってしまう。
 どうにもこうにも、視線を吸い寄せられるような魅力があった。思わずそちらへ近づいて、そっと掌を鏡の表面におく。
 鏡の向こうの少女は、あどけなくしかしどこか物憂げな表情で、じっとこちらを見つめていた。
「はぁ……」
 思わず溜息がでた。
「まったくマヤちゃんも罪作りだよなぁ、身体入れ替えるってことがどういうことかちゃんとわかってんのかなぁ」
 伏せた眼をふたたび上げて、盗むようにそっと摩耶香の顔をみる。
 そんなちょっとした仕草も、摩耶香の場合たまらなく蠱惑的であった。
 しかも、いまはその摩耶香に、雄二はどんな表情でもどんな格好でもさせることができるのだ。
「マヤちゃん、もしかしてオレをなめてる? オレだって男なんだから、どうなっても知らな……」
 雄二はここでむくむくと悪戯心が湧き起こってくるのを抑えることができなかった。
「――いいんだよ、雄二くん」
 艶然と微笑んでみる。
「あたしが自分から頼んで入れ替わったんだよ? 雄二くんがそのあとあたしの身体でどうしたって、ぜんぶ受け入れるつもりだし。……ううん、入れ替わっているのに、あたしの身体にぜんぜん興味持ってくれなかったから、その方がショックだな。――だから、構わないんだから。あたしの秘密を、なにもかも知ってもらっても」
 いたずらっぽく挑発的な眼。
 バストにかかったタオルに手を伸ばして、胸元をちょっと開くようにして――
「ふぉっ」
 突然強烈なめまいに似た感覚に襲われ、フラフラとよろめいて後ずさり危うくござ張りの椅子にへたり込む雄二。
「だ、だめだ、刺激がつよすぎる」
 胸が早鐘のように高鳴っている。
「あうあう、バカなことするんじゃなかった。マヤちゃんごめん……」
 雄二は天井をふりあおいだ。やっぱり摩耶香の身体を弄ぶのは、雄二にはできそうもなかった。
 それにしても、バストをちょっと覗くフリをするだけでこのありさまである。いや、別段着替えのときも、摩耶香の全身は否応なく目にしているのだが、扇情的な状況を自分でつくって“そう”するのとでは、意味あいがぜんぜん違ってくる。あのいたずらのせいで、今までわざと意識しないようにしてきた女としての摩耶香の身体を強烈に思い起こすことになってしまった。
 これではもう今日は入浴なんてできそうにない。
 同時に、摩耶香のフリをして自分自身をユーワクしてみることで、それがいかに重大な結果をもたらす罪深い所業であるか、ようやく身に染みてわかった。
「イクちゃん、ほんとうにごめんよ……」
 昼間の自分の行ないを思い返して、ポツリとつぶやく雄二であった。
 とにかく、ここに座りこんでいても仕方がない。
 雄二はもう自分で着替えるのはあきらめて、摩耶香付きの女官を呼ぶため、立ち上がって脱衣場の出入り口までいき、ノレンから顔を出した。
「あ……」
 そこで雄二が見たのは、うつむき加減に廊下の壁にもたれ、入浴道具と洗面器を抱えてぽつんと立ちつくしている、イクの姿であった。

==続く==


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