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すすめ!さざなみ児童合唱団

第二楽章 あおいの森の子供たち(二)


作:赤目(REDEYE)



 三十人からの子供たちが見事に声を合わせて、相沢のオルガンの伴奏で次々と童謡を歌ってゆく。発声や音程は正確で、声量もかなりのものであった。何よりその歌声の無垢で澄みきったかわいらしさ。
 一希は、小さくなった身体全体でその音の波紋の中に浸りながら、ただただ音楽の美に圧倒されていた。もといた平成の時代に聞いた、熟年になった鈴原さち子が率いるさざなみ児童合唱団、その歌声の直系の祖先にあたる血統が確かに感じられた。時代は変わろうとも、ひとつの合唱団の奏でる音色、本質的な個性は受け継がれてゆくものらしい。
 昭和十八年現在で指折りの実力を持つ合唱団――この練習場へ来るまえ井上から聞いた話は、どうやら本当らしかった。
 子供たちは、ときどきオルガンを止めた相沢に指導され素直に従いながらも、十数曲の歌を楽譜も歌詞カードも使わず、すべて諳じて歌い続ける。歌詞を間違えることも、つっかえることもない。これくらいは当り前らしい。
 一希はあとで知ったことだが、この合唱団では、基本的に譜面は使わず、直接相沢が口伝えで歌を子供たちに教えていた。ちょうど一希が入団試験で歌を教えられた方法と同じだ。その方が譜面を読めない子にもよく憶えられたし、何よりそれが暗譜の力を自然に養っていた。

「どうかな、ゆりのちゃん。この合唱団の歌を聞いた感想は。おにいちゃんが言ってた通りすごいだろ」
 一希と並んで窓際に立って練習を見学している井上が、保護者然と一希の頭を撫でながら訊いてきた。
「うん、やさしい井上のおにいちゃん。ゆりの、とっても感激しちゃった。やっぱりいつも素敵な井上のおにいちゃんの言う通りだったよ」
 一希は井上を見上げながら、精一杯媚びた少女の笑顔で答えた。
 井上は満足そうに頷く。
 研究所を出る前に、今後の合唱団内偵の都合もあり、井上はゆりのと仲が良いという点をさりげなく匂わせて、なるべく一緒に行動しようと打ち合わせてきたのだ。前日、電気椅子騒ぎがあったばかりということもあり、なんとか恵理子さんの前で男を立ててくれ――というのは井上の個人的な頼みでもあった。
 だがそんな二人の様子に、井上とは逆隣りの恵理子が俯いてクスッと聞こえるか聞こえないかの笑いを漏らす。
 一希が恵理子の顔を見上げると、恵理子はいたずらっぽい表情を向けてきた。
「ゆりのちゃんも大変ね」
「はい、おばさま」
「ちょ、ちょっとゆりのちゃん、なに言っているの」
 井上が慌てていた。

 ゆりのこと一希は、そんなやりとりをしながらも、歌う子供たちのさりげない観察も忘れていなかった。霧島研究所から与えられた任務遂行のためだ。なるべく先入観なく調査できるよう、あらかじめ最小限の情報しか教えられていない。
 といっても、どの子も比較的育ちが良さそうという他は、ざっと見て取り立てて目立つような点はない。戦時下に合唱団へ子供を通わさせる親たちは、けっして高くはないが月謝のこともあり、自然に教育熱心ということになって、井上の話でもやはり余裕のある家庭が多いようであった。さち子を通わせている恵理子も、商いを手広く営むやり手である。
 それにしてもいざ歌いはじめてからの子供たちの結束力、ひとつのチームとしてのまとまりの強さは相当なものに思えた。ついさっきはやりあっていたツネ坊と早苗も、もちろん懸命に声を合わせて歌っているのがなんだか可笑しいくらいだ。ツネ坊も声変わりはしておらず、他の男の子と同じく澄んだボーイソプラノで、完全に女の子主体のハーモニーの中に溶け込んでいる。
 だがそんな中でも、やはり鈴原さち子と、さきほどの巻き毛の背の高い女の子の存在感は格別であった。伸びやかで、合唱のパートにあってさえよく通る芯のある声である。
 二人は事実上合唱団のトップであるらしく、ほぼ交互にいくつもソロパートを歌った。
 二人が看板ソリストであることは、全員での練習が終わり、今度は二人だけのために個人練習が始まったことで、一希の確信になった。巻き毛の女の子は寂光院春江という名前らしい。

 個人練習が始まったので、他の子たちは板張りの床に座っておとなしくその様子をみたりしている。早苗が一希たちのところへやって来て、井上と恵理子に挨拶した。
「いつも姉が研究所でお世話になっています」
 やはり小雪の妹であった。大人びた子だ。挨拶を済ませると、一希に話し掛けてくる。
「ゆりのちゃんだったよね。あたし、四年生で室田早苗っていうの。以後よろしくね」
「あ、はい、こちらこそ。えっと……まだ一年生の、霧島ゆりのです。いろいろおしえてください」
「そんな堅くならなくてもいいよ。この合唱団はみんな仲が良くて、団員はほんとの姉妹か家族みたいなんだから」
「チェッ、また学級委員気取りの早苗が新参者を取り込もうとしてやがら」
 いつの間にか近くまで移動してきていた恒夫が、座ったまま聞こえるように“口撃”してくる。
「ああいう奴も中にはいるけど、気にしないでね」
 振り返りもしないで、早苗がいう。
「あはは……」
 二人は結構ライバル関係にあるらしい。
「おい、赤リボン」
 恒夫が一希に話し掛けてきた。そんな風に呼ばれたのは、頭に大きなリボンをつけているからだろう。
「何か困ったことがあったらおれっちに相談してもいいんだぜ。女はいざというとき役に立たないからな。鬼畜米英をやっつけるのも男の仕事だ。まあお前は女だが、おれの子分になるっていうなら、特別に早苗の弱点を教えてやっても……」
「弱点ってなによ、あっちいけツネ坊」
 早苗が邪険に恒夫を追い払った。
 ゆりのは子供らしく人畜無害な素振りをしようとしたが、思わず苦笑してしまった。
 それにしてもツネ坊はなかなか面倒見が良さそうであった。
「だけど、ゆりのちゃんて歌うまいよね」
「ううん、そんな……」
「うまいよー、相沢先生も感心してたもん。ここへ通って練習していっぱい歌を憶えたら、きっと楽しくなると思うよ。放送局のお仕事だって近頃よくあるしさぁ。もっとも、練習は厳しいけどね」
 そろそろ、さち子の個人練習が終わろうとしていた。もう一度合同練習を最初と同じ曲順でやるというので、一希は歌詞のガリ版刷りを早苗から渡された。今度は他の子に合わせて少し歌ってみるつもりだった。
 “事件”はその時起こった。
「先生、ちょっといいですか」
 とさち子の声が響いた。
「ゆりのちゃんに、もう一曲歌ってもらっていいですか」
 ちょっと練習場がざわついた。子供たちは、一希の方を見たり、さち子や相沢の方を見たりと興味深そうにしている。
 さち子と一希の目が合った。
 さち子は、挑発とも違う、悪戯心とも違う、もっと確信のようなものが篭った目で静かに一希を見返してくる。
「困った子……」
 恵理子が小さくつぶやいた。
「そうだね……どうしようか」
 相沢が、一希とさち子を見比べながらつぶやいた。やはり困惑しているようだ。
「ゆりのちゃんさえ良ければ、まあ歌って貰っても良いけど……今日入ったばかりだしね」
「憶えたての歌じゃなく、よく知っている歌、ううん、大好きな歌を思いきり歌ってほしいんです。あたし、ゆりのちゃんが歌うところもう一度聴きたい」
 おっ被せるようにして、さち子が言った。
 どうやら言い出したら聞かない子らしい。そして、わがままをおし通すような実力も持っている。子供たちの中から反対意見が全く出ないのがその証拠だった。
 相沢は半ばあきらめた様子だ。
「どうする、ゆりのちゃん?」
 オルガンの前から一希に訊いてきた。
 本来なら初日からこんなに目立つのはここに潜入した目的からして得策でない。しかし、いま引いたら、さち子が一希に向けようとしているひたむきな信頼の芽生えを裏切ってしまう気がした。さち子に近づくきっかけを作るためにも、ここは乗ってみよう――一希はそんな言い訳を内心でして、頷いた。
「わかりました。じゃあ、とっても恥ずかしいけど……せっかくだから歌ってみようとおもいます」
 子供たちがまたどよめいた。早苗もツネ坊もちょっと驚いたような顔をしている。それはそうだろう、合唱団トップの子の挑戦を、入団初日の一年生が堂々受けて立とうというのだから。
 寂光院春江は、あきらかに燃えるような嫉妬をこめた視線を送ってきている。霧島かなみは、わざとらしくため息をついて窓の外を見やった。
 そんな中、一希は子供たちの中を横切って、オルガンの前に立った。
 相沢は「ふう」と肩の力を抜くと、やさしい目を一希に向けてくる。口には出さないが、キミも負けん気が強いねえ……とその表情が語っていた。
「じゃあゆりのちゃん、どんな曲を歌いたい?」
 一希はもう心に決めている歌があった。合同練習の中で歌われたものの中に、もちろん二十一世紀まで残っていた有名な童謡もあった。だが、いま歌うべき歌はそれではない。
 自分が知っている童謡の中で、心をこめて歌え、きちんとさち子と対峙できる曲といえば……。
「『星めぐりの歌』って……先生しってますか」
「ほう。というと、あの……」
 相沢はちょっと意外そうな顔をした。少し歌い出しをオルガンで弾く。
「そう、それです」
 一希は、精一杯女の子らしく微笑んで頷いた。相沢は研究熱心な新進童謡作曲家でもあり、この時代まだほとんど世間に知られていないその曲を識っていてもおかしくないと踏んだのだが、当たっていた。
「ゆりのちゃん、練習しなくて大丈夫かい?」
「はい、たぶん……。せんせい、よろしくおねがいします」
 一希は深々と礼をした。
 子供たちの方へ向きなおり、もう一度目礼する。
 相沢が前奏を弾きはじめた。
 一希は、ガールソプラノで歌い始めた。詩人が夢みたあの理想郷の夜空を思い描きながら。

  『星めぐりの歌』
   (一)
    あかいめだまのさそり
    ひろげた鷲のつばさ
    あをいめだまの小いぬ
    ひかりのへびのとぐろ
    オリオンは高くうたひ
    つゆとしもとをおとす

   (二)
    アンドロメダのくもは
    さかなのくちのかたち
    大ぐまのあしをきたに
    五つのばしたところ
    小熊のひたひのうへは
    そらのめぐりのめあて


 オルガンの奏でる最後の和音が消えると、練習場に静寂がやどっていた。
 みな、ゆりのこと一希の歌に引き込まれていた。
 そんな中、小さな手で懸命に拍手をする一人の女の子がいた。
 さち子だった。
 さち子はわが意を得たりという満面の笑顔で、手を叩き続けた。
「とっても上手だったよ、ゆりのちゃん」
 一希は首をふった。
「ううん、いっしょうけんめい歌ったけど、やっぱりさち子おねえちゃんやみんなの歌にはまだまだ、全然かなわないと思いました。――なまいきなことして、すいませんでした」
 頭を下げるゆりのと微笑むさち子を見比べて、相沢がふうと大きく息を吐いた。
 寂光院春江は――意外にも、やはり一希を見て微笑んでいた。だがよく見ればその目は完全に据わっており、こわいような危険な光をたたえていた。

==続く==

(註・『星めぐりの歌』 作詞・作曲/宮澤賢治)


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