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すすめ!さざなみ児童合唱団

第二楽章 あおいの森の子供たち(一)


作:赤目(REDEYE)



 その森の懐に抱かれ心静けくたたずめば、風に乗り清らかな木霊のささやきが聞こえることがあるという。誰がいい始めた話か定かではないが、それもまたむべなるかな。
 その森、帝都の山の手の一角にある“葵の森”は、市街地にあるにもかかわらず広く、深く、緑陰の濃さは里山の自然に匹敵するものであった。
 森を分けるようにして建っているのが葵鼎寺(きていじ)。この森すべてが寺の敷地なのだ。
 そしていくつかある葵鼎寺の建物の一角に、さざなみ児童合唱団の練習場があった。森を散策するひとが聞く精霊の囁きは、さざなみの子供たちの歌声なのだった。

 足踏みオルガンを弾きながら、こちらを見て微笑んでいる優しげな顔立ちの男。励ますようにうなずいたり時にジッと耳をすませたり、とにかくこちらから注意を逸らそうとしない。
 霧島ゆりの、こと幼い少女に変身させられた抱炉一希は、ついさっき教えられた歌を教えられた通り、オルガンの伴奏に合わせて懸命に歌っていた。
 完全にガールソプラノ、それも最も高い音域まで出るようになった自分の歌声を、なんとか音を外したり歌詞を間違えないよう注意して操りながら、喉だけでなく身体全体を使うようにして伸びやかに歌い上げる。
 実年齢は二十歳を超えているのだから子供よりうまく歌えて当然ではあったが、男のオルガンの演奏技術の賜物か、それとも欧州製らしいオルガンの気品あるまろやかな音色のせいか、不思議と思ったより良く声が出た。
 寺の古びた木造の集会所を転用した練習場に、少女の歌声とオルガンの音が溶け合うように流れ続ける。板張りの床は、音をよく響かせた。
 午後の暖かな日差しがガラス窓からいっぱいに差し込んでいる。
 オルガンの男、さざなみ児童合唱団の主宰者である相沢淳司は、一希が歌い終わると鍵盤に手を置いたまま、「うーん」と感心し切ったように唸った。
「ゆりのちゃん、とても、とても良かったよ」
 丸眼鏡の奥のやさしげな目が、いっそう細められた。
「ありがとうございます」
 一希は小さな身体を折るようにペコリと頭を下げる。
 今日の出で立ちは襟元をレースで飾ったブラウスに、動物の刺繍が入ったジャンパースカート、頭には真っ赤なリボンまでつけている。霧島研究所で強引に着せられた余所ゆきであった。デザインもそうだが、子供服とはいえ、スカートを履くのは男としてかなり抵抗があったし、着用後も足元の風通しが良すぎて哀しくなったが、まだブラジャーしなくていいだけましとあきらめるしかなかった。
「いかがですか、相沢先生」
 そう声を掛けてきたのは、鈴原恵理子であった。
「恵理子さん、本当に良いお子さんを紹介して下さいました。ぜひ、うちの合唱団に欲しいですよ、ゆりのちゃんは」
「では、合格でよろしゅうございますね」
「はい、合格です。――よろしいですか、井上さん?」
 そう声を掛けられた恵理子のとなりの井上大助は、「かなみちゃんに続いて、ゆりのちゃんがお世話になります」と頭を下げた。合唱団の入団試験に、ゆりのの付き添いとして研究所から来たのであった。
「霧島博士もよろしくとのことでした」
「また近々合唱団で研究所へ慰問に伺わなければなりません」
 相沢は上機嫌であった。
「――じゃあ、みなさん立ってください」
 練習場の床に腰を下ろして試験の終わり待っていた合唱団の子供たちに、相沢が声を掛けた。
「はーい」
 元気のいい返答があって、三十人ほどの子供たちが、衣服の乱れを直しながら立ち上がる。ほとんどが女の子で、男の子は数えるほどしかいない。年齢は六歳ということになっているゆりのと同年代から、上は十二歳くらいまでだろうか。ちょうど国民学校初等科(現代でいえば小学校)の生徒に当たる年齢の子供たちがさざなみ児童合唱団の団員なのであった。
 一希はそちらへ向き直って子供達と対面した。
 たくさんの澄んだ瞳が興味津々といった感じでこちらを見つめている。
 一希はさすがに少し緊張した。まさか自分の正体がすぐにバレはしないだろうが、ちゃんとこの子たちの中に入ってやっていけるだろうか。おまけに合唱団の秘密を探る、という仕事も密かにこなさければならないのだ。
「では、新しくみんなの仲間入りすることになった、霧島ゆりのちゃんにひとこと自己紹介をしてもらいましょう」
 相沢の合図で、一希はペコリと頭を下げて自分でも名乗った。
「まだ右も左もわかりませんけど、いっしょうけんめい練習して、早くみなさんのようにうまく歌えるようになりたいです。これから、いろいろとおしえてください。よろしくおねがいします」
 子供たちが拍手してくれた。
「先程も言いましたが、ゆりのちゃんはかなみちゃんの妹です。みんなも仲良くしてあげて下さい」
 相沢の言葉に、子供たちは頷いたり囁きあったりして、すっかり転校生を迎える仲良し学級といった雰囲気になっている。
「また女かよー。男なら良かったのに」
 いかにも腕白そうな色黒の男の子が、手を頭の上で組んでわざとらしくボヤいた。十歳(国民学校四年生)くらいだろうか。
「ツネ坊、あんたは男の子分が欲しいだけでしょ」
 霧島研究所の小雪によく似た利発そうな同年代の女子が、すぐに男の子へおっ被せた。たぶん団員だといっていた妹だろう。
「うるせー早苗、ツネ坊と呼ぶなって言ってるだろ」
「じゃあツネグロ」
「もっと悪いだろが、このじゃじゃ馬」
「はいはい、それくらいで二人ともやめて」
 相沢が微笑みながら止めに入った。
「山田くんも、このところ男の子の団員がどんどん減って寂しいとは思うけど、女の子とも仲良くね」
「やーい、ツネ坊おこられたー」
 他の女の子たちが囃し立てる。
 ツネ坊こと山田恒夫は、頭上で手を組んだまま「フン」とソッポを向いた。
 ――なるほど、これだけ団員が女の子ばかりだと、男の子は大変だろうな。
 ゆりのこと一希はツネ坊を見ながら思わずクスリと笑ってしまった。次の瞬間、なぜか恒夫と目が合う。ツネ坊はちょっと慌てて目を逸らした。どうやら悪い子ではなさそうだった。
 それより、一希も気付かざるを得なかったのだが、こうしてゆりのとしての自分を見つめる視線の中に、あきらかに友好や好奇心とは違う種類のものがいくつか混じっていたのだ。
 ひとつは、背の高い巻き毛の澄ました感じの女の子のもの。隠そうとはしているが、チロチロと敵意といっても良いようなものが伝わってくる。
 もうひとつは、一希にとって意外なことに、恵理子の愛娘、さち子のものであった。やはり、じっと探るようにこちらを見つめるその真摯な瞳には、どうにも計りかねるものがあった。
 そして霧島博士の孫であるかなみの様子も気になった。かなみには霧島が直々にゆりのを妹とする話をしたと聞いたが、今かなみはこの場の微妙な状況を把握して、ちょっと愉しむかのような微笑みを浮かべている――ような気がする。一希は思い過ごしであることを願った。
「じゃあみなさん、そろそろ合同練習をはじめましょうか。ゆりのちゃん、しばらくみんなが練習するのを見学して、要領がわかったら一緒に入って歌ってみて。それでは、始めましょう」
 相沢がオルガンの前に再び腰掛けながら声を張り上げた。
 一希が井上たちのいる窓際へ移動すると、まだかなみがこちらを見ていた。

==続く==


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