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すすめ!さざなみ児童合唱団

第五楽章 わざうたと月の夜(十三)


作:赤目(REDEYE)



 同じころ葵鼎寺の社殿は、しずかに静かに夜のしじまの中で沈んでいた。異形のものどうしが対峙する山門前の緊迫した空気も、ここまでは及んでいない。
 灯がおとされた木造の建築物は、ふけゆく春の宵のなかでおだやかな眠りをむさぼるようにみえた。
 だがそのなかで動く影がひとつ――装束姿の少年僧が、うすぐらい廊下に膝をそろえ、大広間の障子をそっと開ける様子がみられた。その部屋には、さざなみ児童合唱団の子供たちが布団をならべて眠っているはずであった。
 だが障子のむこうは、人の気配がまったくない。薄暗がりに眼が慣れてくると、そこには布団だけがならんで子供たちは一人もいないとわかった。
 少年僧はふうとため息をつくと、またそっと障子を閉めた。
「やはり和尚様のおっしゃった通りだ……」
 ひとりごちると、そっと立ちあがり、息をひそめるようにして今度は闇のかなたの山門をじっと推し量るようにした。しばらくして、その姿は廊下の奥へ消えた。
 ふたたび少年僧が現れたのは、廊下をかなり奥へとすすんだ一室のまえであった。
 障子の前で正座し、軽く会釈の姿勢をとる。そのままかなりの時間じっと動かない。
 やがて少年僧は決心したように、低く呼びかけた。
「和尚様。……お邪魔をしてもよろしいでしょうか」
 返答はない。ただあたりを圧するような静謐があるだけだ。
 少年僧は、決意をひめて、そっと障子を開ける。部屋の灯りはともっており、袈裟姿に数珠を手にした外寛が床の間の仏像の前に座っていた。その横顔は静かだが、ひとめで槍のように鋭い張りつめた集中のなかにいるとわかる。
 少年僧は、部屋に入りそっと後ろ手に障子をしめると、急須と茶碗をのせた盆をもち傍らへとすすんだ。
「八糧(はちろう)か」
「はい」
 少年僧は頭をさげた。
「お茶をお持ちしました。和尚様、夜も更けました。もうかなりの時間そうしておられます。少し休まれてはいかがでしょうか」
「ふむ、そうじゃの。物の怪どもはかなり静かになったわい。茶を一杯貰おうか」
 八糧はうなづくと卓袱台を用意し、外寛にお茶を差しだした。
 外寛はそれをうまそうに口へ運びながら訊いた。
「眠れぬか」
「いいえ。……和尚様がそうしておられますから、わたくも眠るわけにはいきませぬ」
「ふふ、こいつめ」
「それにほかの僧侶の方々が――あっ、これは言うなと言われておりました」
「なんだ、ゆうてみよ」
「――は、はい。我が寺の一大事、襲ってくる妖怪変化どもを成敗してくれると。山門から一歩でも足を踏みいれれば目にものをみせてくれると、境内各所に潜んでおります」
「まったく未熟ものどもめ、どうもこそこそやっておると思うたら。わし一人で充分じゃというのにまだわからんのか。今日の件を誰が言うたのじゃ」
「い、いえ、それは勝手に察知されたようです……和尚様にまた叱られますから」
「ふむ、まあよい」
 外寛は茶をのみほした。
「……和尚様」
「なんじゃ」
「さざなみ合唱団の子たちのことが心配です」
「うむ」
「本当に大広間からいなくなっておりました。こんなことが起こるとは……。あの子らに不思議な力があるというのは事実なのですね」
「そうじゃ。いつの頃かはわからぬが、少しづつ不可思議な力を宿すようになっておった」
「あの子らはどこへ行ったのですか」
「そうじゃの、極楽浄土でもなく、無間地獄でもない。死者も生者も本来行けない場所じゃ……仏となった者だけがいけるかもしれぬ世界じゃろう」
「そ、そんなことが……」
「案じるな、八糧。あの子らはきっと帰ってくる。おぬしら不肖の弟子どもよりよほどしっかりしている子じゃからの。かか」
 その時、異様な気配が部屋のなかを駆けぬけていった。
「むっ、いかん」
 八糧が中腰になった時には、外寛はさっと立ちあがって、庭へつうじる障子を開け放っていた。
 その途端、地の底からいでて闇を切り裂くような尋常ならざる咆哮がくらい空に響きわたる。
 それは、山門の方角であった。

(こやつ、捉えどころがない――だが、やはり相当な使い手)
 紅葉は、秘術と体術のかぎりをつくして闘いながら、相手の力量をぎりぎりのところで推しはかっていた。
 暗い路の向こうから気配も消さず悠々とやってきた魔人とも思えたものは、自分とおなじ黒の装束に身を包んだ忍びであった。もちろん徳川の手の者ではない。そやつは、最初からここに紅葉がいることを知っていたのだろう、完全に気配のない状態から誰何されても如何ほどもひるまず、正確に紅葉のいる場所へ攻撃をしかけてきた。
 その刹那、手裏剣と忍者刀がひらめき影と影が空中と樹々のあいだを駆けまわる、忍び同士のすさまじい剣戟がはじまっていた。
 紅葉はきびしい修行と訓練に耐えてきた日本でも最高位の忍者のひとりである――そうでなければ徳川皇帝のお庭番はつとまらない。だがその紅葉でさえ、相手の力量を計りかねていた。敵の技量を知るための探針が、ことごとく実体にとどかず果てしなく奥へ沈んでいってしまう、そんな奇妙な感覚であった。
 これはどうしたことだろう。試しに火遁・水遁系の術で攻撃してみたが、簡単にかわされてしまった。それでいて、自分からは忍術では攻撃してこない。
 そしてもっと奇妙なことに、山門から葵鼎寺のなかへ侵入しようという意思が、相手の動きに本当には感じられないのであった。あるのは巧妙に偽装されたおざなりな所作だけである。それに気付いたのは紅葉の眼力があってこそだが、意図まではつかめない。もちろん敵が結界をやぶっての侵入へと意識をむけた途端、紅葉には一撃必殺の技を放つ自信がある。それを警戒しているのだろうか――。
 だが、連綿とつづく目まぐるしい攻守のなか、紅葉の眼はとうとう、相手の密かなたくらみをとらえていた。
 こやつ、印を結んでいる――?
 確かに、ぎりぎりのところで繰りひろげられる激しい戦闘の間隙をぬって、相手は巧妙に隠蔽しつつ次々に印を結んでいるではないか。
 紅葉は戦慄した。
 こやつ何時からこれを始めていた? もし戦闘の始めからなら、気付かれることもなくかなり長大な術式をおこなっていたことになる。自分の攻撃はそれをまったく止められなかったし、敵は余裕綽々とこちらの相手をしていただけであろう。
 紅葉は自分の迂闊さを呪うより、彼我の絶対的な力の差を冷徹に心にしみこませていた。
 相手の眼が、ふっ、と笑ったように見えた。
 紅葉がたくらみを察知したことに気付いたのだろう。
 力の差が歴然としているとき、焦って攻撃したりやぶかぶれで突っこむのは自殺行為である。こんな場合はじっと耐えて、万にひとつの相手の失態を待つしかない。それがわかっていながら、紅葉は相手の挑発にのらざるをえなかった。
「いま一度問う。きさま、何やつ!」
 意外なことに――まるで紅葉の力をようやく認めたとでもいうように――答えが返ってきた。
「わが名は狂言回し。今後お見知りおき願いたい」
「愚弄するのは止めよ! 甲賀の残党か」
「われも徳川の者よ――永久欠番のな」
「!」
 こんな命のやりとりの最中にもかかわらず、その返答をきいて一瞬紅葉に動揺がはしった。
 徳川皇帝親衛部隊、いわゆるお庭番の永久欠番といえば、不世出の忍者といわれた鈴村辰之介――霧島研究所の極小確率攪拌装置の実験にながらく協力し、最後はその失敗によってこの世から消えうせた男のことだ。公的には死亡扱いとなっているが、事実はいまだ生死不明。その妻は恵理子、そして娘はさち子――さざなみ児童合唱団のトップの少女歌手であった。
 この事実を知る者は日本でも数少ない。国家機密の実験と裏の世界の人間が関わった出来事だ。恵理子でさえ、夫は内務省の人間と信じていたし、その死亡も霧島研究所での業務中の事故としか知らされていなかった。
 だからこれは相手の見え透いた罠であった。
 しかし紅葉がはっと我にかえったときには、取り返しのつかない失敗にとらわれた自分を発見せざるをえなかった。空中から地面におりた際、そこに土遁の術がかけられており、紅葉の身体は底無し沼のようになった土中にはまりこんでしまった。瞬間的に逃げ出そうと跳躍をこころみるが、生き物ようにうねうねとうごめく土に全身を絡めとられ、逆に肩まで土中に引きずりこまれてしまう。
 こんな初歩的な術にひっかかるとは。万事休す、紅葉は死を覚悟した。
 だが相手は、樹上からそんな紅葉を見下ろして、冷ややかな一瞥をくれたのみである。まるで殺す価値さえないとでもいいたげに。
 いまは隠そうともせず次々に印をむすび、呪文を唱えていく。
 相手は、長大な術式にわりこませて土遁を操れるほどの手練れであった。
「くっ、無念」
 紅葉は屈辱に震えたが、なんとか相手の術式を分析する冷静さは持ちあわせていた。
「この形式は……そうか。貴様、陰陽の――」
 まるでそれに答えるかのように、相手はふところから和紙でつくられた形代を取りだすと、空中にさっと放った。
「バン、ウン、タラク、キリク、アク」
 術式の最終段階なのだろう、金剛界五如来の名を唱えつつセーマン(五芒星)の形に指を動かす。
 その途端。
 空中を舞っていた形代が静止し、こんどは水面にゆれる落ち葉のようにゆらゆらと揺らめきはじめた。揺れはだんだんと大きく激しくなっていき、形代を中心として球形に膨らんで闇を巻きとってゆく。
 膨らみきったよどみが凝固すると、それは突然巨大な怪物の姿へと変貌していた。
 式神――陰陽道の奥義をきわめた者だけがあつかえる禁断の秘術であった。
「ギ ギ ギ ギ ギ」
 異形の式神は、聞く者のはらわたをすり潰すような破壊的な声で吠えた。
 悪夢のような姿――頭は猿、胴は狸、手と脚は虎、そして尾は蛇――それはぬえであった。
 紅葉ですら、直接見るのは初めての伝説級の式神だ。
 とうに死を受けいれていた紅葉であったが、ここにきて湧きあがってきた感情は怒りであった。ふがいない自分への怒り。こんな凶悪な式神が暴れはじめたら一体どうなるのか。
 激情で目のまえがまっ暗になりつつも、紅葉の頭の一部分はまだ冷徹に違和感を告げていた。どこかおかしい――相手の男は、まだ次々と印を結びつづけている。なにをしている? もうとっくに式神は出現したというのに。


「和尚さま、あれを」
 八糧は山門の方角にあらわれた怪物におののいて叫んだ。
 だがその時にはもう、外寛は数珠をふりかざしてするどく経文をとなえている。
 突如して夜空が爆発したように燃えあがった。
「わあ」
 八糧は熱気と風圧に吹き飛ばされて、畳にころがっている。
 外寛の術であった。
 炎のヴェールが空を覆うようにあらわれ、それが怪物をめがけて四方八方から殺到する。
 どんなあやかしさえ焼き尽くす仏法の究極の奥義であった。
 が――。
 炎の津波がとどく前に、怪物の上空にぱっくりと円形の光があらわれ、意外にも怪物はその光のなかに飛びこむと、光ごとすうと消えうせてしまった。
 殺到した炎は、目標をなくして互いに衝突しあい、むなしく散り散りになっていく。
「しもうた! なんという術者じゃ。式神をあちらの世界へ送りこみおった」
「ま、まさか、あちらの世界といいますと――」
「そのまさかじゃ。子供たちが危ない。すぐに本堂で大蓮華祈祷を行う。すべての僧侶を集めよ!」
「はい!」
 走りかけた八糧であったが、ふと空を見て声をあげてしまう。
「和尚様! あ、あれはなんでしょう」
 少年僧が指差す天空をふりあおぎ、外寛もおどろきのつぶやきをもらした。
「むう。これはどうしたことじゃ……」

==続く==


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