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すすめ!さざなみ児童合唱団

第五楽章 わざうたと月の夜(十二)


作:赤目(REDEYE)



 丘の上で対峙する子供たちとツキミーナのあいだを、まるで謀ったかのようにあまやかな風がとおりすぎていった。風は心もち桜の木をゆらし、梢からわずかに花びらをうばい虚空にきらめきを散らしていった。
 ツキミーナ――一希はその姿をしっかりと見据えた。いや、正確にはほかの子供たちと同様、その姿に目をうばわれて視線を外すことができないのだが。
 確かに、一見女性のようにみえる。それに性別があるならたぶん女性ということになるだろう。だが全体的なフォルムは、いわば鳥人とでもいうべきものであり、鳥類特有のしなやかさとたくましさが同居していた。顔はキツネのように細くするどく、くちばしのようなものも認められる。その身体は、ゆらゆらとゆらめくぼんやりとした光のヴェールに覆われていた。人に似てはいるが人に非ざるもの――それが一希の見た印象だ。
 そうやってツキミーナを見つめていたのは数刻とも、数分とも思え確かなことは判然としなかった。夢のなかの時間は、指のあいだからこぼれ落ちる砂のように失うにまかせれば際限なく消えさっていく。
 だが凝固したような時間を、一希は破らねばならなかった。人に似たこの未知の存在に、新子のふたごの姉・市子が連れ去られたのだ。
 一希は一歩踏みだした。
「ツキミーナ――あなたがツキミーナなのですか」
 自分の叫び声が、『霧島ゆりの』としての幼い少女のものであることがこんなときこそ情けない。大人の姿であれば、もっと強く詰問したいところだ。だが、相手を刺激しすぎるのもまずい。いったいどういう存在なのか、なにを目的に市子をさらったのかもわからないのだ。
「エエ、エエ、そうデス、ソウデス」
 相手は何度もうなづいた。
 一希は、ちらっと居並ぶ子供たちの顔を見てみた。どの顔も食い入るようにツキミーナの一挙一動を見ている。向こうの端のかなみと眼があった。お互い目で合図しあう。いよいよだ。
「市子ちゃんをさらったのもあなたですか。――なぜそんなことをしたのですか」
「ナゼ?」
 ツキミーナは、一希の言葉に首を傾げたようにみえた。
「ナゼとイウのはナゼ?」
 これでは対話にならない。なんとか人語を解するようだが、思考方法が人間と同じとは限らないし、そもそも自我や人格のようなものが明確にあるかのさえわからないのだ。
 だがツキミーナは、傾けた首をふっと起こした。
 ツキミーナはそのまますっと片腕をあげ、おどけたようにステップすると、今度は光のヴェールをふり回すように両腕をひろげてくるくると速度をあげて回りはじめた。
 一希はその一連の動きの不思議な美しさに目を奪われた。それは居並ぶ子供たちにしても同じだった。これが、あの噂になったツキミーナの舞踊か――それはとりも直さず相手が本物のツキミーナであることの証しであった。
「歌ウ、歌オウ、歌ヲ」
 ツキミーナは、くるくると回転しながら、地を蹴ってふわりと飛翔した。一希があっと思う間もなく、ツキミーナは宙に舞い、桜の木のてっぺんにつまさきで立った。
 優雅に身体をくねらせながら歌いだしたのは――。
『スアシにスズシ ナガルルスナを……』
 高く透き通った、しかし芯のある声であった。
 意外すぎてすぐには思い当たらなかった。だがこれは、さざなみ児童合唱団の団歌ではないか。一希がそう気づいたとき、異変はおきていた。
 ざわざわと胸をかき乱すような強大な力が周囲にみちてきて、それがこの世界と化学反応をおこして“なにか”を変化させていくのが皮膚感覚としてわかった。
「あ、あれ見てっ」
 子供たちのなかから声があがった。指さすほうを一希がみれば、いまいる丘の頂上からなだからな斜面をへて暗い平原の見渡すかぎり、幾千本もの緑が芽ぶき、うねうねと萌えたつとそれはたちまち大きな樹へと成長して、かがやくような花を咲かせた。
 まるで大地に幾多の満月があらわれたかのような妖しいゆらめき。
 それは――桜であった。
 見渡すかぎりの桃色の爆発。美しいというよりは、いっそ凶々しい光景というしかない。
 ツキミーナは丘の桜のうえから軽々と飛翔すると、広がる桜の平原へ踊りながら戯れ歩いていく。
「みんなー!」
 呆気にとられたかのようにそれを見ていた一希と子供たちは、聞き覚えのある声にいっせいに振り向いた。
「あ、お姉ちゃんっ」
 最初に気付いたのは新子であった。
 丘の頂上、灰色のもやがかかったように薄暗かった一角が晴れ、そこに背のひくい柵でかこまれた小さな公園が現れていた。そこでブランコに乗っていたのが市子であった。
 子供たちは喜びを爆発させていっせいにそちらへ駆けよった。
「お姉ちゃん! ようやく会えた! やっぱりここにいたんだね。どこもケガとかしてない? 大丈夫なんだよね」
 一番に公園の入り口まで駆けつけた新子が、他の子の声に負けないようにさけんだ。
 不思議なことだが、その公園には足を踏みいれてはならない暗黙の禁忌が感じられるのだった。だから子供たちは公園の入り口のところで鈴なりになって新子のほうへ身を乗りだすようにしている。
「ばかねえ。大丈夫に決まってるじゃない。妹のくせにナマイキなんだから」
 そんなことを言いながら、市子はブランコから降りるとすたすた歩いてきて公園の入り口のところで止まった。
「みんな、来てくれたんだね。嬉しかったよ、ぜんぶこっちの世界から見てた」
 ――それはしかし、当然のことのように思われた。
 ようやく子供たちをかきわけて新子のとなりまで辿りついた一希が訊ねた。
「市子ちゃん! ずっとあのツキミーナといっしょにいたの?」
「うん。ずっとツキちゃんと遊んでたの。こっちの世界ではお腹もすかないし眠くもならないんだよ」
「どうして逃げなかったの」
「ツキちゃんは悪い子じゃないもん」
 これはいわゆるストックホルム症候群だろうか。ライターとしての一希はピンときた。長期間の立てこもり犯などに人質が過剰な共感を抱いてしまう特殊な心理状態のことだ。だが――。
「わかった。その話しはあとでみんなといっしょにゆっくりしよう? ――この公園から出られる? いっしょに帰りましょう」
「それはダメ」
「お姉ちゃんっ」
 新子が叫んだ。
「ダメだよ、ツキちゃんが悲しむから」
「市子さん、みんな心配しています。新子ちゃんも、先生も、お父さまもお母さまも」
 春江が身を乗りだして手を差しだした。
「寂光院さん……」
 その手を見ながら、市子は目をふせた。
「帰れないの。ツキちゃんをひとりぼっちにはできないから。これだけは寂光院さんのお願いでも」
「市子、なんでだよ! またみんなといっしょに歌いたくないのか? 帰って新曲の練習しよう、もうすぐ園遊会なんだぞ。お前がいなきゃさざなみはかんぺきにならない」
 恒夫がたまりかねて叫んだ。
 それでも市子はただ首を振るだけであった。
「お姉ちゃん……」
 新子は悲しげにつぶやいた。
「――ツキちゃんはね、お歌の神さまなんだよ。神さまだからその気になればなんだってできる。みんなを一人残らずさらっちゃうことだってね」
 一希は暗澹たる気分になった。怖れていたとおりであった。ツキミーナをなんとか説得しなければ、いまここで市子だけを取り返しても意味がないのだ。
「だから、お姉ちゃんがみんなの代わりにここにいるの? そ、そんなのいやだよ。ねえいっしょに帰ろう!」
「聞き分けのない子ね。新子、あんたがしっかりしなくてどうするの」
 いまにも泣きださんばかりの新子の様子をみて、一希は慰めるように言った。
「だいじょうぶ、みんなでいっしょに帰れる方法は、きっとある。それをかんがえましょう」
 その一希の肩を、ぽんと叩く子がいた。
「それより今はね――」
 かなみであった。
「ねえ市子ちゃん。あたしたちは、あなたをツキミーナから取りもどすために、知恵をだしあって、合宿までしてこの夢の世界に来たんだよ。ここところ、みんなそれだけを考えてた。さっきだってホラ」――と彼方を指差し――「あんなところからみんな一挙に飛んできたの。いまのあたしたちには怖いものなどない。なんだってできるし、なんだってする。……それはね、ぜえんぶ市子ちゃんを取りかえすためなんだよ。――ねえ、そうでしょ? みんな!」
 かなみが問いかけると、子供たちはたちまち同意の歓声をあげた。
「だからね、ホラ」
 かなみはずしん、と公園のなかに足を踏みいれた。
「こんなもん、なんでもないっ」
 わあ、と子供たちから声があがり、みんなどっと公園のなかへ流れこんだ。禁忌の場と外部をへだてる柵は押したおされた。
 市子はみんなに囲まれ、もみくちゃにされてしまう。
「いい? これでみんな同じだよ。市子ちゃん、あなただけじゃない。帰るときはみんな同じ」
「……かなみちゃん、みんな……ありがとう」
 市子が新子に抱きつかれ頬をこすりつけられながら、嬉しさと恥ずかしさが半々の顔でいった。
 一希は子供たちと一緒にもみくちゃになりつつも、この人は本当に姉御肌なんだなあ――とかなみを見て思った。修羅場でも人をまとめるのが上手いのは、レコーディングスタジオで多くの演奏者を使う作曲家という仕事柄もあるのだろうが、結局は資質だろう。
 だが、感心してる場合ではない。一希たちが踏みこんだ公園は、けっして禁忌の属性を変えたわけでなく、押し倒された柵は音もなく立ち上がると、今度はぐんぐん背をのばして見上げるような高さにまでなった。ひとつだけあった公園の出入り口にも扉があらわれ閂がかかったのである。
 はしゃいでいる子供たちはまだそれに気付いていない。一希が見つめていることに気付いたかなみが見返してくる。どうするんですか姉さん。そんな一希の視線に、お前が考えるんだよ、とやはり眼だけで答える多貴子。
 まいったな――一希は思わず頭をかいた。

==続く==


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