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すすめ!さざなみ児童合唱団

第五楽章 わざうたと月の夜(十一)


作:赤目(REDEYE)



 あの日のことをどうして忘れていられたのだろう。一希にはそれがどうにも腑におちなかった。
 あのJOAKでのラジオ生番組出演の日、大きなスタジオのなかで集まったさざなみの子供たちと一緒に、ぎりぎりに追い詰められた気持ちを落ちつかせるため、みなで手をとりあって合唱団歌をうたったのであった。その途中で、すささまじい酩酊感覚におそわれ、意識がとんだ。
 気付けば本番が終わっており、すべてがうまく行っていた――そこまでがあとから思い返したとき覚えていたすべてであった。緊張のあまり一種の興奮状態がきわまり、てっきりトランス状態から記憶がおぼろげになったのだと思っていた。
 だが、実際は、意識がとんだあと信じられないようなヴィジョンを見ていたのではないか――ヴィジョンというより、宇宙的規模での飛翔、はるかな時空間を横切って世界の中心まで旅したような心持ちさえする。あれがただの幻覚とは思えない。だが同時に、現実の世界のスタジオでけんめいに歌をうたっていた感覚も残っている。むろん、どちらもさざなみの子供たちが一緒にいた――。それをいま、一希は思いだした。
 いま。
 あのときと同じ、ならんで布団をひいた大広間で、いっしょに夢のなかで出あえるよう、もぐりこんだ布団のなかから皆で手を握りあい、心をひとつにした。夜間であり、お寺のなかということもあって、団歌は歌わなかった。でもそんなものはたぶん必要なかったのだ。全員が澄んだ集中のなかに没入したとき、すぐ同じ強烈な陶酔とめまいがやってきて――一希は意識を失った。
 そしてふと気付けば、もう夢のなかにいたのだ。
 夢の世界。奇妙に暗く、おなじくらい奇妙に明るい。あさっての方向に焦点があたり鮮明になったか思えば、肝心のところが滲んだようにぼやけて判然としない。流れる水をとおしてのぞき見る水底のように、陽炎のむこうにおどる刺すような木漏れ日のように、ふわふわとゆらめき、時にくっきりと輪郭がたちあがってくる、そんな両面性が共存する場所。現実であり、同時に非現実の領域。そのなかで、はっきりと意識を覚醒させたまま、思うがまま行動しようとしている。
「――みんな、いるかな?」
 一希は呼びかけてみた。小さな女の子ゆりのになってしまった自分の声が周囲に溶けこんでゆく。
 しかしたしかにさざなみの子供たちがここにいることはわかっている。皮膚感覚よりも近しい、共鳴するような心の鼓動がしっかり感じられる。
「いるよ!」
 そう答えたのはさち子であった。ふとみれば一希のすぐとなりに立っていたのだ。
「うん」
「います」
「来てるよ」
 声がつぎつぎにあがり、その度に子供たちがすぐ近くにいるのがわかった。単に姿が現れたというわけではない。子供たちの存在が一希のなかで識閾をこえ、そこにいることが明確に認識できるようになったのだ。たぶん夢の一人称性が他者への認識をさまたげていたのであろう。
 だが完全に独立した他者の存在をみとめた瞬間、夢は一人称が支配する世界ではなくなり、なにか異質なものへの変化した。それはほかの子供たちにとっても同様だろう。
 子供たちはたがいに顔をみあわせ、その存在を確認しあった。
 まちがいなく全員の姿がある。みんなスカートだったり男子はズボンだったり、ふだんの服装のままだ。
「これが夢のなかかぁ。へんな感じ」
 さち子が周囲を見まわしながら言った。
 “ここ”が何処ということはわからないが、何処でもない“ここ”、ゆえに何処でもある“ここ”であることはなんとなくわかった。だが、どうやら下は地面で、周囲は雑木林のあるごくありふれた野原のような場所のようにも思える。空はうすぐらく、半透明の霧のような流れのなかに、木々の姿が影絵のようにうかんでいた。ほとんど色彩のない白黒にちかい風景であった。
「おれ、初めてだよ、夢のなかでこれが夢だって知っている夢をみるのは」
 恒夫がちょっと興奮ぎみにいった。
「あたしは時々あるなー。でもこんなにみんながたくさん、はっきりと出てくるのは初めて」
 早苗がそう言うと、恒夫がまたつむじを曲げた。
「なんだ、そんなこと自慢するな」
「べつに自慢してないでしょ」
「こらこら、二人とも」
 間にわって入ったのはかなみである。
「けんかしてる場合じゃないのよ。これならあたしたちには大事な使命があるんだから」
 普段とはちがい、有無をいわさなぬ威厳ある態度であった。
 実は、今回の作戦にあたって、一希と多貴子(かなみ)はあらかじめ話しあい、まずどんなことがあっても自分たちが盾となって子供たちを護ること、またツキミーナとの交渉は一希が代表しておこなうこと、そして集団行動の指揮監督は多貴子がおこなうことにしていた。
 その点は子供たちにも説明済みであったが、恒夫と早苗は、急に姉御肌を丸だしにしたかなみに気圧され、思わず素直に「ごめんなさい」と謝った。かなみは鷹揚にうんうんとうなずいる。それがなんだか一希には可笑しかった。
「ゆりのちゃん」
 そんな一希の袖を後ろからそっとつかむ手があった。ソーコであった。
「ボクちょっとこわい……」
 可憐な瞳を不安のかげりでくもらせながら、少年は身を寄せてきてつぶやいた。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。みんなもいるから。和尚さまも仏様がたすけてくれるって言ってたし」
「う、うん、そうだね」
「――いい? みんな聞いて」
 かなみが呼びかけている。
「ここは夢の世界ですから、なにがおこるかわかりません。だから、みんなひとかたまりになって行動してね。ひとりで勝手にどこかへいってはいけません。まずは、目指すはツキミーナのところです」
 言いつつ、かなみは野原のかなたの丘のほうを見やった。
 そう、ツキミーナがどこにいるか、わかりすぎるほどわかった。ほぼ白黒のぼんやりとした風景のなかで、その丘だけはまるで強烈な光があたったかのようにはっきりと浮かびあがっている。丘の頂上のかがやくように咲きほこる桜花、そのまぶしい一本木のもとに、ツキミーナは間違いなくいるはずであった。夢特有の超論理の洞察といってもいい。そうでなくてはならないのだ。
「あそこにお姉ちゃんもいるかな!」
 新子が薄桃色のけぶりの立ちのぼるようなそちらを見つめながらわれ知らず叫ぶように言った。
「いるわ。きっといます。いまから迎えにいきましょう」
 春江が力強くうなずいた。
「よおし、突撃ぃ!」
 恒夫が駆けだす。
「あっ、コラ」
 かなみが止めようとしたが、すぐその必要はないことがわかった。恒夫は、まるで水のなかにいるかのように、いくら全力疾走しようとしても動きが緩慢になり前へすすめなかった。むしろ歩いたほうが早いくらいのものだ。
「うぅぅぅぅっ、……な、な、なんだこりゃあ」
「もう、恒夫くん! 言ってるそばから、なんて子なの」
「しかたないだろ。あそこまで、どれくらい遠いか近いのかも全然わからないんだぞ」
 それは事実だった。その桜のある丘までの距離感がまったくつかめない。
「きっと夢のなかだからうまく走れないんだよ。急げば急ぐほどのろくなることってあるでしょ」
 一希の言葉に、恒夫はようやく悪戦苦闘をやめた。
「あっそうか」
「……ねえ、夢のなかってことは、お空をとべないかな?」
 さち子がふっとそんなことを口にしていた。
 そこにいる全員が、はっとその可能性に思い当たって言葉をのんだ。
 一希も考えた――そう、確かに、歩いていてはあの丘のところまでどれくらい時間がかかるのか、そもそも辿りつけるのさえわからない。そんな気が強くしていた。だが、あそこまで飛んでいけたら、たぶん……。
 一希はかなみのほうを見た。多貴子もおなじことを考えているようだった。
「飛べるかな?」
 早苗の言葉に、新子がうなずいた。
「――飛べると思う!」
「みんな、どうかな。やってみようか? 空を飛ぶ自信はある?」
 一希は、ほかの子供たちに訊いてみた。やる、飛びたい、そんな威勢のいい返事がいっせいにかえってきた。ソーコだけは少し不安そうだったが、一希と眼があうと、小さくうなずいた。
「やってみる価値はありそうね」
 かなみはすこし考えてから続けた。
「いいわ、せっかく夢のなかなんだもん、ためしてみましょう。……みんな、横一列にならんで、手をつないで!」
 その言葉に、三十人からの子供たちが丘のほうへむいて立ち、ぎゅっと手と手をとりあった。一希とかなみはそれぞれの両端だ。
「いい? たぶんなわとびの要領でやればいいと思うの。みんなでいっせいに、長い長いなわとびの輪にはいるところを想像して。――いくよ? はい、いち、にい、いち、にい、ハナコさん、お入いんなさい」
 かなみの掛け声にあわせて、子供たちがいっせいにジャンプしている。
「いいわ、いい感じ! このまま、跳ねながら、飛びますよ! 手は離さないで。あの桜のとこだけを見て。いくよ――ハナコさん、とびますよっ!」
 瞬間、身体を地上に縛りつけている重力がなくなった――と思ったときには、一希は子供たちといっしょに空中に舞いあがっていた。
 その疾走感、浮遊するというよりすべての呪縛から解き放たれてまっすぐに彼方へと疾駆する、すべるような飛翔。
「わーすごい」
「きゃはははは」
「イーヤッホー」
 子供たちが歓声をあげている。
 一希も思わず声にならない歓喜の声をあげていた。桜のある丘はぐんぐん近づいてくる。
 だがかなみは冷静だった。
「みんな聞いて! 着地も大事だからね。――そうね、寒天よ! 地面がぜんぶ寒天で、その上に降りるところを想像して」
 子供たちから笑い声があがった。
「変なのー」「わかった」という返事がかえってくる。
「いい? ゆっくり、そーっと、猫みたいにかろやかに地面へ降りるのよ」
 もうぐんぐん桜は近づいてきて、このままでは衝突しそうな勢いだったが、かなみの「はい、おりまーす」の掛け声とともに急速に速度はよわまり、木のてっぺんから地面に達するころには、雪が舞いおちるほどの勢いになって、最後は全員が手をつないだままストン、と地面に降りたった。
 夢の世界を飛翔して一瞬で目的地までたどりついたのだ。
 だが――一希もかなみも、子供たちからもひとことも声はなかった。視線は集中していた。
 桜の下に、『それ』がいたからだ。
 さざなみの子供たちは一列にならんで手をつないだまま、丘の上で対峙していたのだ――ツキミーナと。相手がそれであることは、一目でわかった。
 「ヨウコソ、ヨウコソ」
 ツキミーナはまるで至高の喜びにうち震えるようにくりかえした。

==続く==


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