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すすめ!さざなみ児童合唱団

第五楽章 わざうたと月の夜(八)


作:赤目(REDEYE)



 美しい下弦の月が夜空をかざっている。春の夜の空気は、ぬるみはじめた風に甘い花の香がどこか漂うようで、一希は柄にもなく心がうきうきするのを感じた。
 さざなみ合唱団臨時合宿の日の夜がやってきていた。場所はといえば、かわりばえもせずいつもの葵鼎寺である。合唱団の合宿にはピアノかオルガンがいるし、演奏をしても迷惑にならない環境が必要だが、そもそも練習場のある葵鼎寺なら心配ない。またこんなに急に三十人もの子供を泊めてくれる施設で、安心でき、近場で交通の便もよいところといえばここだけであった。葵鼎寺の和尚は昔からさざなみに並々ならぬ好意をしめしていてくれるので、無理なお願いもたぶん聞いてくれる。親だって葵鼎寺で合宿したいといえばまず断らないし。――そう早苗からきかされた一希は、そのしたたかな戦略に感心した。事実そのとおりにコトが運んだのだから、この国民学校四年生の少女は大人顔負けのしっかり者であった。
 日が落ちて寺の別棟の大座敷にあつまった子供たちは、ならんで精進料理の夕食をとった。
 すっかり旅行先にいるような雰囲気だ。
「ゆりのちゃん、おいしいね」
 一希の隣の席のソーコが話し掛けてきた。今はかつらも脱いでいるが、相変わらずスカートを履いており、やっぱり髪のとても短い女の子に見える。
「うん、今日はみっちり練習したから。いくらでも食べられそう」
「ゆりの、しっかり食べておいた方がいいぞ」
 ちょっと抑えた声で、そのまた隣の恒夫がいった。
「決戦は夜中だからな。腹がへっては戦はできぬってやつよ」
「バカねー、あんまり食べてお腹でもこわしたらどうするの。身体を動かすわけじゃないのよ」
「だまれじゃじゃ馬。なにがバカだよ、いつも突っかかって……」
 早苗の言葉に声を張りあげかけた恒夫は、慌ててうつむいた。
 今日は上座に葵鼎寺の和尚が座っていて、いっしょに膳をつついている。
 和尚は小柄で眉も髭もしろくなった、柔和な顔立ちの老人だが、その顔は時として非常に若々しい。さざなみ児童合唱団の結成のはるか前、作曲家をめざして上京した相沢をはじめから陰に陽にささえてくれた大恩人なのだ。この人の厚意がなかったら合唱団は存在していなかったろう。
「山田くん、お食事中はお静かにね」
 小さいが燐とした声で、恒夫の前の席の寂光院がいった。
 その隣で新子がそれみたことかとばかりに笑っている。
 新子も少し元気になっていて、一希はほっとした。みんながこれだけ姉のことを想ってくれている、という事実が少女の心をふるい立たせたのだ。両親が合宿への参加をゆるさないのではないか、と一希は心配したが、場所が葵鼎寺であること、また家にいると却って姉のことで塞ぎこんでしまうのではという配慮から、許可がでた。
「先生もいっしょにお泊りできれば良かったのにな」
 そうつぶやいたのは、ソーコとは一希の逆隣に座った、いつもマイペースのさち子であった。
 でも……という言葉を一希は飲みこんだ。この日は園遊会の打ち合わせがあり、相沢はそれに出席するために練習が終わるとその足で現地へむかっていた。会合といっても後半は酒盛りだから、今夜は葵鼎寺にはかえってこない。実はこれも早苗の作戦であり、わざわざこの日を選んだのだ。合唱団と相沢のスケジュールは父兄会につねに報告されており、適当な日を見つけるのはたやすかった。子供たちだけで寝たほうが、この「夢ものがたり」作戦は成功しやすいとふんだからであった。いや、むしろ子供たちだけで集まって寝る、というのは必須条件かもしれない。
「いっしょにお風呂にはいって背中を流してあげたかったの。いつもお歌をおしえてくれてありがとう、って」
 さち子は相沢をもしかしたら父親のように慕っているのかもしれない。さち子の父はおらず、母の恵理子が一人で育てているのだ。

 夕餉のひとときをおえると、みんなで手を合わせて声をそろえ、ごちそうさまを言った。つづけて、機転を利かせた早苗が代表して今日のお礼をいい、ほかの子供たちも声をそろえてそれに倣った。
 子供たちをみる老人の柔和な目がさらにやさしくなった。
「みなさん、今日は一日ご苦労さまなことじゃ。さぞ疲れておるじゃろう、風呂に浸かったら、ゆっくり休まれるとよい。わしは音楽のことはよくわからんので訊くのじゃが、園遊会にむけての仕上がりはいかがかな?」
 和尚がみなを眺めまわしながら言った。
 それにはさち子が答えた。
「和尚さま、とてもよい感じだと思います。新しい曲もいっぱい練習できました」
「今日一日練習できたのも、合宿をみとめてくださった御陰です。ありがとうございます」
 その続けたのは、寂光院であった。
「ほほほ、そうですか。それではわしも園遊会でのみなさんのご活躍を期待することにしましょう。……ときに」
 老人はふと思いついたように、片眉をあげたおどけたような表情でつづけた。
「拙僧も永く生きておるうちに妙な勘がはたらくようになりましての。園遊会ための合宿、それもよくわかるのじゃが、どうも少しひっかかるものもあるのじゃ。……いやはや、ただの老僧の勘違いなら良いのじゃが。――今回の合宿は、ほんとうに練習だけが目的でみなさんはいらっしゃったのかの」
 いたずらっぽい顔でそうたずねた。
 居並ぶ子供たちは、全員はっとして息をのんだ。それが答えになっているようなものだ。
 ばつの悪い空気が流れたが、すぐに誰からともかく、和尚さますいませんでした、という声が次々とあがった。
 みんな顔を見合ったりしていたが、一希のほうをみている顔が一番多い。ここはやはり自分が説明するしかなかった。一希は立ち上がって、子供たちを代表して今回のことを謝罪したうえで、これまでの経緯をあらいざらい素直に話した。ツキミーナの夢のこと。さらわれた市子のこと。みんなで同じ夢を見て取り返す計画。
「和尚さまにも隠していたのは、たとえ話しても大人は誰も信用してくれないと思ったからです。黙っていたことについては、言い訳できません。ごめんなさい。もし危険だからやめろとおっしゃるなら、今日はなにもせずにただ寝ます」
 老人は智慧深い表情でしばらく黙していたが、すぐになにかを決したようであった。
「よろしい。おやりになったら良い。みなさんの言うことはもちろん信じましょうぞ」
 子供たちの間に喜びのざわめきがひろがった。
「ただし、拙僧がこれからする話をよく聞くことが条件じゃ。……ゆりのさん、おすわりなさい」
 老人の頭には合唱団全員の顔と名前がしっかり入っているようであった。
 一希が一礼して腰をおろすと、老人はちょっとまぶしそうに子供たちを見やった。
「みなさんのことは、拙僧は孫のように思うておる。相沢さんはきっと素晴らしい音楽家になるとわしは信じておったが、こうしていま日本中に名を知られる童謡合唱団をひきい、そしてみなさんのような良い子たちばかりが団員となられるということまでは、正直予想しておらなんだ。御仏のお力もあるが、相沢さんやみなさんのがんばりがすべての善きことを引き寄せたのじゃ。――それは、合唱団の成功だけにとどまらず、童謡の力で暗い日本に光を灯しておるとわしは考えておるよ」
 和尚はちょっと目を閉じて合唱団結成からこれまでの歳月に思いを馳せているようだっだが、すぐにまた子供たちを見やってつづけた。
「みなさん、『わざうた』という言葉を御存知かな?」
 一希は知らなかった。子供たちも首をひねっている。
「日本書紀にでてくる言葉で、ある種の歌をさすのじゃが、まあこういうことじゃ。……京の都である夕刻、位のたかい貴族が路をあるいておると、幼い少女が鞠をつきながら、歌うとでもなし歌をうとおておった。意味は通らないものだったのじゃが、貴族が気になってそれをよくよく聞いてみると、これから世の中におこるであろう悪い出来事をそれとなく予言した歌じゃったのじゃ。貴族は青ざめたが、いつのまにかその子はどこかへ消えておった。……しばらくして、その歌に歌われた通りの怖ろしい出来事が起こったということじゃ。また別の説では、この歌は都中の童たちのあいだで流行したともいわれる。これが『わざうた』で、神為歌とも書く。またこれは、災いの歌というところから来ているかもしれぬ」
 老人は子供たちを見ながらつかみどころのない笑みをうかべた。
「まだ人の世でけがれておらぬ童が無意識にうたう歌に神が宿り、真実があらわれたのじゃ。それで、まつりごとを司る者ども――つまり偉い貴族のたぐいじゃな――は『わざうた』に怖れおののき、必死に耳をかたむけようとした。地位も名誉もある大の大人が、純粋な子供の力にかなわなかったわけじゃな。……『わざうた』は、実は『童謡』とも書く。むしろ『童謡』は最初はわざうたと読まれておったのが、のちに変化したじゃよ」
 あっ、と一希は思った。不思議な符合であった。童謡を歌うこの合唱団のまわりに起こるさまざまな変異現象を連想させる話だ。もしかしたら住職は合唱団の秘密についてなにか重要な情報をもっているかもしれない。後日“取材”してみる必要がありそうだった。
 まだ意味が判然としていない子供たちのなかで、「はい」という声とともに手があがった。
「それは、子供の純な歌のなかに、秘められた力があるってことでいいですか? わたしたちが歌う童謡のなかにもそれがあるんでしょうか」
 住職に指されて立ち上がり、そう訊いたのはゆりのの“姉”のかなみであった。こんなに目立つことをするのは珍しい。
「そうじゃな、わしが言いたかったのはそういうことじゃ。年寄りの話はわかりにくくていかんの。みなさんの童謡が災いをよぶという意味では決してないよ。むしろ、日本の世情を明るくしておるし、もしかすると誰も気付かないところでもっと大きな力を働かせておるかもしれん。そんな気がしてならんのじゃ。だからこそ、あの妖怪変化のたぐいかもしれぬツキミーナに、みなさんならきっと“歌い負けない”と思えての。市子さんがそんなことになっておるのなら尚更じゃよ」
「和尚さま、もうひとつお教えください。それは、相沢先生の作った童謡の力でしょうか。それとも、歌うわたしたちの力でしょうか」
「良いところに気付かれた、かなみさん。相沢さんの曲の力が半分、そして歌うみなさんの力が半分。ただしどちらが欠けても力を発揮できないとわしはみておる。だから、夢のなかでそれを忘れず、いつもの歌をうたうときの連帯感と心構えでいきなさい」
 かなみは納得したらしく丁寧に礼を言って座った。正体はプロの音楽家だけに、音楽のことになると我慢できなくなってしまったのかもしれない。
 和尚は居並ぶ子供たちを隅から隅までみやって、最後に言った。
「みなさんの歌はまことに『神が為す歌』としての童謡(わざうた)じゃ。もともとの意味も、わざうた自体が何かを引き寄せたのではない。ただの予言だったのじゃ。それをおろかな大人がおそれ大騒ぎしたのじゃな。神為歌でツキミーナと交渉するのに、みなさんはもっとも良い場所をおえらびになった。この葵鼎寺ならば、かならず御仏の加護があります。無理をせず、あくまで夢のなかにお話にいけばよい。それでもあぶなくなったら、すぐに帰ってらっしゃい。――なあに安心めされ、拙僧はこうみえて口が堅い。今夜のことはみなさんとわしの間だけの秘密にしておきましょう」
 老人は茶目っ気たっぷりにそう言って、何度も目をパチパチした。どうやら慣れないウインクをしようとしているらしかった。

==続く==





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