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すすめ!さざなみ児童合唱団

第五楽章 わざうたと月の夜(七)


作:赤目(REDEYE)



 ここはどこだろう。……そうか、あたしツキミーナに捕まったんだ。きっとまだあの夢のなか、それとももうこの世でないところ。
 新子はどうしたかな。あの子だけでも逃げられていたらいい。見当たらないから、たぶん大丈夫。
 どのくらい時間がたったかな? もう朝になったかな? 朝になってあたしがいなかったら、おとうさまもおかあさまも悲しむだろうな。あたしをさがしてくれるかな? 新子がちゃんと説明してくれるといいけど、ちょっとたよりない。
 そうだ、ツキミーナはどこにいるんだろう。霧ばかりでなにもみえないよ。
 すこし歩いてさがしてみよう。
 それにしても、ふしぎな世界。ふわふわして、暑くも寒くもなくて、へんに明るいのにどこから光がきてるかわからないし。
 こわいけど、呼びかけてみようかな。
 出てこい出てこいツキミーナ。どこにいるのかツキミーナ。
 いない。……あ、いた、あんなところに。白い石の柱のかげに。
 ツキミーナ、どうしたんだろう。なんかしょんぼりしてる。
 ねえツキミーナ、どうしたの。なにかあったの? あたしが聞いてあげるから。
 あれっ、むこうを向いちゃった。
 ねえ、もしかして……拗ねてるの。



 五芒星と三日月の社章があしらわれた名刺には「醒貝篤津志」の名があった。
 木下は顔をあげるとあらためて相手をみた。職業柄ひとを見る目に自信はあるが、どこか得体のしれない匂いのする男であった。上背があり色白の顔には貴族的な雰囲気もあったが、それは新聞記者という職業には似つかわしくない類のものであった。
「それで、醒貝さん。今日はどういうご用件ですかな」
 確かにはじめてみる顔だが、新聞記者が訪ねてくるのは日常茶飯事である。
 だが木下は無意識に平静を装おうとしている自分にきづいた。別にここで無理にでも隠しておかねばならないことではないのだ――娘の失踪の一件は。しかし警察官である木下でさえ理由のわからない居心地の悪さを感じるほど、醒貝の眼は独特の光をはなっていた。
「昨晩失踪した幼い娘さんのことでお話をうかがいにきました」
 いきなり木下の不安を見抜いたかのような醒貝の言葉――だがそれで却って木下は意識を切りかえることができた。戦闘意欲がわいてくる。
「ほう。どなたからお聞きになりました」
 そう言いながらも木下は数人の部下や同僚の顔をいそがしく思いうかべ、新聞記者に軽率にもらすような人間はいないことを確信していた。
「警部、ご安心ください。あなたの失態を――みすみす同床の愛娘をさらわれて気付かなかったというしくじりを論いにきたのではありません」
 木下はむっとするより先に、相手の態度をいぶかしんだ。それにいま娘はさらわれたと言ったのだ。
「どういうことですかな」
 知らず、言葉を強めていた。身を乗りだしている。
 醒貝は戯れるように、ふふ、と笑いをもらした。
「言葉どおりですよ。娘さんはすくなくとも自らの意志で出ていったのではない。さらわれたのです」
 訪問者はここで言葉をきり、こちらを探るようにみている。
 これでますます木下は相手の意図がわからなくなった。こういう時はむこうの出方を待つにかぎる。
「大阪城公園でツキミーナを大捕り物のすえ見事捕らえたのは、警部が指揮する特捜班だった」
 木下は虚を衝かれた体で、目をしばたいた。
「ああ、その通りだが」
「今そのツキミーナを名乗る女はこの警視庁で取り調べをうけている」
「そうだ」
「まことに残念ながら、其奴は本物のツキミーナではない」
 そう言ってこの得体の知れない記者は薄い微笑みをもらした。
「なんですと」
 さすがに木下は色をなした。先ほどまで自分もツキミーナの取り調べをしていたばかりだ。警視庁の捜査が間違いだったと言下に否定されては面目もなにもあったものではない。
「では、貴方の説ではどこに本物がいるというのですかな」
 木下は挑発するように言った。
「そう、それは娘さんと同じところでありましょう」
「な……! ツキミーナが私の娘をさらったと……」
 醒貝は答えるかわりに、じっと木下の目をみていた。
「警部、あなたにもお心あたりがあるのではありませんか。娘さんがいなくなった時の状況はどこか尋常ではなかった。そう、まるで神隠しのようだった――」
 木下は背中をいやな汗が流れおちるのを感じた。
「ツキミーナについて、とある奇怪な噂がながれている。咲き誇る桜花のしたであやしくも魅惑的なツキミーナの舞いをみた者は、かならずや大いなる運命の変転に見まわれると。ある者は大金を得、ある者は破産した。ある者は令嬢と恋に落ち、ある者は婚約破棄の憂き目にあった。行方不明になる者あれば、生きわかれの家族と再会する者あり。嗚呼その情状のかずかず、かくも劇的なこと」
 芝居がかった口調で言葉をきる醒貝。
「警部もこの噂はお聞きおよびかもしれません。が、それは流言飛語のたぐいではない。事実です。実際にツキミーナによってそういうことが引き起こされているのです。
「つまり……」
 木下は柄にもなくつっかえたように言葉が出てこなかった。
「そう――ツキミーナはこの世のものではないのです。人心と世情を大いに乱す存在、などという生易しいものではい。放置すれば大日本帝国に取り返しのつかない災禍をおよぼすやもしれぬ。あるいは……」
 僥倖を運びくるか、と醒貝がつぶやいたのを木下は聞いていなかった。知らず、市子のことを強く思い量っていたからであった。
「ツキミーナは近々、この帝都の夜にあらわれるでしょう。いまや帝都の桜も満開だ。見世物サーカスの女などを締めあげている暇があるなら、警視庁の沽券にかけて“本物”の脅威を取り除く算段をつけていただきたい。――今はまだあやつらを放し飼いにするには早すぎる」
 呆然としていた木下がはっと顔をあげた時には、すでに醒貝は席をたっていた。

==続く==


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