目次に戻る 前へ 次へ

すすめ!さざなみ児童合唱団

第五楽章 わざうたと月の夜(五)


作:赤目(REDEYE)



「あなた、お帰りなさい。お疲れさまでした」
 木下が警視庁での報告をおえ帰宅すると若い妻が玄関口でむかえてくれた。
「ほう、おまえがここまで出てくるとは珍しいではないか」
「いやですわ、そんなこと。子供たちがお待ちかねですよ」
「お父さま!」
 奥から走りでてきた女の子二人をみると、木下の仏頂面もさすがに緩んだ。
「市子、新子。わたしが留守のあいだもちゃんといい子にしていたか? またわがままを言ってお母さんを困らせてたんじゃないのか」
「わががまなんていってないもん」
「いい子にしてた」
 双子の少女は木下の巨きな身体にしがみつき父の優しい目を見上げて微笑んだ。
「じゃあ、ご褒美に大阪のお土産をあげようか。おまんじゅうと大丸百貨店で買ったお人形だ」
「きゃあきゃぁ」
「やったぁ」
 双子ははしゃいだ。
「あの子たちお父さまお父さまって、あなたの出張のあいだその話ばっかり」
 木下が背広を脱ぐと、それをハンガーにかけながら妻はクスリとした。
「大阪はいかがでした」
「ああ、思ったより寒くなかったよ。桜も満開できれいだった」
 木下は仕事のことは家族に話さない主義だ。だから大阪出張の目的がツキミーナ捕縛だとは知らせてなかったが、それでもツキミーナ逮捕がこれだけ大きく報じられている以上、妻もうすうすわかっているようだった。もっとも、夫がそれを口にしないのだからわざわざ訊ねることもない。ただ、主人の仕事の成功と無事の帰宅を心からの笑顔で祝うだけであった。
「そういえば今度、市子と新子が通っている合唱団が春の園遊会に出演するんですよ」
 木下が食卓にすわると、妻はかいがいしく給仕しながら語りかけてきた。
「ああ、さざなみ児童合唱団だったな。最近ずいぶんあちこちで歌声が流れているようじゃないか」
「ええ、あなたもたまにはラジオを聞いてみてくださいな。JOAKでなかなか人気のある番組に出ていますから。……それで、あの子たちかなり頑張っているんです。――ねえ、市子、新子。お父様にお願いしたいことがあったのでしょう?」
「うん!」
 二人の少女は遊んでいた土産の着せ替え人形から顔をあげて、木下のところへよってきた。
「お父さま、お仕事おいそがしいでしょうけど、今度の園遊会……」
「観にきてください!」
「二人とも、この一年でお歌はうまくなったのか」
「はい、なりました」
「じゃあ合唱団で他の子たちともちゃんとやっているな」
「はい」
「ちょっと、最近入った生意気な子はいるけど……」
 姉の市子が妹の新子をこづいた。
「ちゃんとやってます!」
 二人はそろってひたむきな顔になった。
「ねえ、どうですか。会場は桜田門から歩いてもそんなにかからないところです」
 妻まで真摯な顔をむけてくる。木下は苦笑を漏らしそうになった。
「わかったわかった。当日は警備でまた警視庁はいそがしくなるかもしれんが、なんとか時間を作ってのぞいてみよう」
 娘二人と妻が手をとりあって喜ぶのをみて、自分の作戦負けだな、と悟る木下であった。なんせ自分と妻より、妻と娘のほうが歳はちかい。

 その夜、木下が寝床にはいって、すぐ横でやすらかに眠る二人の娘の顔をみつめていたとき、これから起こることの前兆すら感じられなかったのは、あとから思い返せば悔やんでも悔やみきれなかった。
 夜更け、木下がわけのわからない悪夢から目覚め、寝汗をべっしょりかいた額をごしごしとこすったとき、すぐに異変が起きたのに気づいた。
 寝室から市子の姿だけが忽然と消えていたのだ。
 警察官としての自分の第六感が異常事態をつげていた。
 すぐに妻を起こし、家中を二人で探し、さらに灯りを持って近所中を探しまわった。だが市子は見つからなかった。
 じつは木下は探す前からこの結果をどこか予想しており、心底ゾッとしていた。
 最初から市子は家から出た形跡がなかったのだ。いや、寝室から出た形跡もなかった。そもそも布団はめくられてさえおらず、ただ少女が寝ていた形のままを保っていた。
 娘は神隠しにでもあってこの世から消えうせてしまったか、と木下は戦慄しながら思いかけて、あわてて理性をふりしぼって否定した。いや、そんなことがあるものか。あるはずがない。



 春江は新子のふるえる肩を抱きながら、やさしく語りかけた。
「さあ、泣いてばかりいてはわかりませんよ。もう一度、さっきの話を今度はみんなに聞いてもらいましょう」
「寂光院さぁん……」
 新子は泣きくずれた。
 その日、午後の練習のため葵鼎寺にあつまったさざなみの子供たちがみたのは、憔悴しきった新子の姿だった。市子のことを訊いても、ただ悲しそうに首をふるばかり。そのうちようやく敬愛する春江に抱きつくようにして、ぽつりぽつりと昨夜の出来事を話しはじめたのだった。

「市子ちゃんが、消えちゃったっていうの?……」
 まだ嗚咽のとまらない新子と、それを慰める春江を囲むように集まった子供たちのなかから声がした。早苗だった。
「うん。夜中におとうさまとおかあさまが探したんだけど……見つからなくって。ぐすん。朝になっても全然わからなくって……でも本当はあたし知ってるの。ツキミーナよ、ツキミーナがお姉ちゃんを連れてったんだ」
 えっ、という声が幾人かの子供たちからもれた。だがそれは、純粋なおどろきとは少し違う色合いの声だった。
「昨日またツキミーナの夢をみていて、そのときは前とちがって夢のなかでお姉ちゃんもとなりにいて。二人でよろこんでいたんだ、最初は。夢のなかで会えるなんて面白いから。でも、そのうちツキミーナが……」
 いやなことを思い出したくない、とでもいうように新子は身体をぶるっと震わせた。
「踊りながらスーッと近づいてきて、あたしたちの周りをくるくる回りはじめた。それで話しかけてくるの、ウタオウ、ウタオウって――」
 新子は、春江の手をぎゅっと握りしめた。
「それで、なんだか頭がクラクラしてきて……そのうち、ツキミーナが細くて長い腕をおおきくひらいて、あたしたちを抱きかかえようとしたの。あたしはもう、ツキミーナにこのまま捕まるんだってわかった。このまま捕まってこの世じゃないところへ連れて行かれるんだって。――でも手があたしに触れる直前に、お姉ちゃんがあたしのことをドンって思いっきり……」
 新子はふたたびしゃくり上げた。
「もしお姉ちゃんがあそこで突き飛ばしてくれなかったら、あたしもいっしょに連れていかれるところだった。お姉ちゃんはあたしを助けてくれたの……。目が醒めたら、お父さまとお母さまがこわい顔でそこら中をさがしてた。でも見つかるわけがないわ、お姉ちゃんは向こうの世界へ連れていかれたんだもん。――でも誰にもいえなかった、こんなことは信じてくれないし。だからみんなに聞いて欲しくって」
 新子はそこまで言うと、またあふれる涙を抑えられなくなりワッとくずおれた。
 それをそっと巻き毛の背の高い少女がなだめる。

 奇妙な沈黙が子供たちをつつんだ。なにかこの春の午後の空気の底に得体の知れないものを見つけてしまったかのように。もどかしく、じれったいような時間がほんのひととき続いた。沈黙をやぶったのは、さち子であった。
「ねえ、わたし昨日その夢みたよ。市子ちゃんと新子ちゃんがツキミーナといっしょにいる夢」
 さち子は、隠されたカードを言い当てる手品師のような確信をこめて、思いを声にした。
「それで、市子ちゃんだけがツキミーナに連れていかれちゃうの。びっくりしてそこで目が醒めちゃった」
 そうしてこの合唱団トップの少女は、さぐるような、はにかむような表情でみなを見渡した。最初からわかっている答えを聞くための儀式のように。
 ほとんどの子供たちが頷いたり「あたしも」と声をあげた。昨日は合唱団のほぼ全員が同じ夢を見ていたのだった。
 さすがに新子も泣きやんで、春江に抱きかかえられながら呆然とした顔をしている。
「……じゃあ、寂光院さんも?」
「――ええ」
 ささやくように春江は答えた。
「ただの夢、ぜったいに正夢になってはいけない夢だと思っていました。今となってはあのとき何もできなかった自分が悔しい」
「寂光院は悪くない!」
 めずらしく恒夫が叫んだ。
「おれだって見てるだけで何もできなかったんだ。みすみすツキミーナに市子を連れていかれるなんてヤマダ軍の名折れだ。なあ、お前らだってそうだろ」
 恒夫はソーコと佐伯をどやしつけた。二人は弱弱しく頷くばかりだ。
「クッソー、どうしたらいいんだ。なあ、ゆりの、なんとか思いつかないのか。市子をとりもどす方法を」
 ことの展開にただただ驚くだけだった一希は、恒夫に訊かれても「う、うん」と頼りない少女そのままの返答しかできなかった。
「そうよ、名探偵リボンちゃんだ」「きっとなにか思いついてくれる」
 子供たちの視線が一希に集中した。みんなひたむきな顔をしている。願いはひとつだった。「わからない」というのは簡単だったが、いまはそれを口にしたくはなかった。
 そのとき、一希の頭のなかである霊感がひらめき、その意味と影響を具体的に検討するまえに、ひとりでに言葉となって声にだしてしまっていた。
 それは――

==続く==


目次に戻る 前へ 次へ

inserted by FC2 system