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すすめ!さざなみ児童合唱団

第一楽章 とこしえは刹那のなかに(三)


作:赤目(REDEYE)



 突然、水を浴びせかけられた。
 一希はむせかえりながら目を覚ます。
 見れば目の前には、波打つような白髪にたっぷりとした白髭を蓄えた、いかつい顔立ちの白衣の老人が立っていた。手にバケツを持っているところをみると、いま水を掛けたのはこの人なのだろう。
 その顔にニッと微笑みが広がった。一希は自分がどこかテラスのようなところに居て、イスに縛りつけられているのを認めつつ、なぜか相手から目を離せずこの人は笑うと目尻のあたりが柔和になるな、と場違いなことを考えていた。
「すまんかったな、手荒なことをして」
 老人は悪びれる様子もなくそう言うと、「井上君、もういいから解いてやりたまえ」と一希の後ろにいるらしい人物に語り掛けた。
「わかりました、霧島博士」
 井上と呼ばれた男はそう答えると、椅子の背に回された一希の手を縛る縄を解き始めたが、かなりいい加減な縛り方だったらしく、しばらくすると結び目ごとずるりと外れてしまった。両足を固定していた縄も同様で、一希が足をもぞもぞやると簡単に抜けてしまう。
 一希が濡れた頭を撫で付けながら取りあえず立ち上がると、やはり白衣姿の井上が清潔な手拭いを渡してくれた。度の強そうな丸眼鏡を掛け、少し気弱そうな一希と同年代の若者である。
「まあこんなところではなんだから、中へ入りたまえ」
 老人はそう言って一希を促すと、返答も聞かずに室内へ入っていった。
 一希は仕方なく後へ続いたが、一瞬外を振り返ると、どうやら何か大学か研究施設のような場所らしく、緑の多い広い敷地に人々が三々五々行き交っているのが目に入った。ここは建物の三階で最上階、時刻は午後遅くか。一希は目ざとくクラシックな軍用車両や旧日本軍の軍服を着た将校らしき姿も認めていた。
 室内に入ると、そこは霧島博士と呼ばれた老人の個室らしき部屋で、古びているが落ち付いた調度とぎっしり詰まった壁一面の本棚が目を引いた。
 白衣の老人は使い込んだ木製の重厚な机の向こうに腰を下ろすと、一希にも椅子を勧める。井上は一希の横で立ったままだ。
「わしの名前は霧島厳十郎という。この霧島研究所の所長じゃ。この研究所は大日本帝国陸軍省管轄のさる特務機関の依託を受けておる」
 そう言って霧島は一希の反応を楽しむかのようにこちらの目を覗き込んでくる。
「まさか……本当に昭和十八年だというのですか」
 一希は自分の言葉を自分でも非現実的だと感じながら、なんとか苦しげにそれだけの声を絞り出した。
「ほう、いきなりそこへ来たか。君はどう思うね……ああ、抱炉一希君だったな」
 霧島は、机の上に置かれた一希のバッグから出したらしい免許証を見ながら言った。
「悪いとは思ったが、持ち物はひと通り調べさせて貰ったよ。――ふふ、わしらからすると、君は半世紀以上未来、輝ける二十一世紀からやって来た人間ということになる」
 一希は、そうすれば悪い夢が醒めるとも言いたげにかぶりを振った。
「あの忍者はいったい何だというのですか。帝国日本に忍者がいたなんて話は聞いたことがない」
 一希は相手の言説のわずかな破綻でも見出そうと疑問を突き付けた。
「彼らは特務機関の人間だよ。この研究所の依頼で極秘任務をこなしてもらっておる。存在自体が秘密なのだ、未来にその記録が残っていなくても不思議ではない――そうは思わないかね」
 霧島はそう言って意味深な微笑みを浮かべた。
 到底納得できる説明ではなかったし、まだ何か隠していそうだが、今の一希にはそれが何かわからなかった。
「あなたの言うことが本当だとして、なぜ私は五十年以上も時間を遡ってしまったのです? まさか、日本軍が開発した秘密兵器のせいだとでも」
 一希は挑発をこめたつもりだったのだが、相手は唐突に謎めいた笑い声を漏らすと、「失礼」と言って続ける。
「君は若いのにやはりなかなか鋭いな。実際、時間旅行もこの霧島研究所の研究テーマのひとつではある。正確には、起こりそうもないのに起きる現象を解明する、さらに人為的に起こす学問とでもいえば良いか。変異現象学と呼んでおるがね。忍法や魔術のメカニズムを解明して一定の成果を上げておるよ」
 目を剥いて何か言いかける一希を霧島が制した。
「まあまあ、それほど馬鹿にしたものでもないぞ。確かに君を未来から連れてきたのは我々ではないが、君がこの時代にやって来たのをいち早く察知できたのは我々の研究成果があったからだ」
 一希は、果たして霧島の言うことをどこまで信じて良いのか、全く判らなくなってしまった。
 一希の傍らの井上がおずおずと話し掛けてくる。
「実際、二〜三日前から研究所の変異励起確率計の数値がはね上がっていたんですよ。それどころか、あなたがこの研究所に運ばれてきてからは針が振り切れてしまいました。元々この世界に存在するはずのない未来人のあなたは、変異励起確率がいっとう高いんです」
 一希はそう言われても正直ちんぷんかんぶんだったが、どうやら超自然現象のようなものに巻き込まれて時間を遡ってしまったのだと、今のところは思うしかなかった。
「君を、少々手荒な方法でこの研究所にご招待申し上げたのには理由があるのだ。まずひとつは、未来人と現代人の無防備な接触をできるだけ避けたかったこと。そしてもうひとつが今言った変異励起確率のことだ。とにかく確率値が高いうちにぜひ我々の実験にご協力願おうと思ってね」
 霧島は見事な白髭をゆっくり撫でつつニヤリとした。


 やはりこれは悪い冗談だとわかった。たぶんTVのドッキリカメラなのだろう。そういえば先月、ある編集者に紹介されてキー局のプロデューサーと会ったばかりだった。あの時相手はジャーナリズムの現状やらワイドショーで使うコメンテーターの人選やら、とりとめもない相談を持ちかけてきただけだが、あれでカモだと認定されたに違いない。じゃあさっさと終わらせてしまおう。もう少し経てばレポーターがTVカメラと一緒にその辺りから飛び出して来るはずだ。
 一希は、そう思うしかなかった。
 なぜって、今の一希の格好ときたら――。口には真言がぎっしり書き込まれた巻物をくわえ、わけのわからない装置の上で四つん這いになっている。
「はい、抱炉さん、もっと朝顔の方を向いてください」
 装置から飛び出しているクランクのところに取り付いた井上が声を掛けた。
 その装置は巨大な蓄音器に見えなくもない。円形をした四畳半弱ほど面積の“ターンテーブル”から、ちょっと赤金の植物のような“朝顔”が生えていて、その顔をターンテーブルへ向けている。
 だがターンテーブルの表面は複雑な配置でぎっしりとコイルが敷き詰められており、その下からは九本の巨大真空管の橙色の光が漏れていた。その真空管もただの電子部品ではないらしく、ターンテーブルの上からくれぐれも無理な力を加えないようにと一希は井上に注意された。なんでも高真空の中から変異確率を増大させるエネルギーを汲み出すユニットらしい。
 一希はそのターンテーブルの上に、おそるおそる四つん這いになっているというわけである。装置に乗る前に衣服を全て脱ぐように霧島に言われたのだが、一希は断固拒否した。代わりに白い貫頭衣を着せられている。
 巻物は、装置の横にあった、現代でいえばプロッタ(プリンタの一種)のような器械で書き上げられたばかりの代物であった。ペンに当たる部分にはなぜか筆が付いていて、見事な“達筆”で真言の呪文を書き上げたのであるが……。
 そんな一希と装置の様子を、研究所の所員たちが少し離れたところから取り囲み期待を込めて見つめている。
「始めてくれたまえ」
 霧島の合図で、井上がクランクをゆっくりと回し始めた。
「井上君、しっかりな。君にしかそのクランクは回せんのじゃ。今の技術ではまだ複雑で滑らかな回転軸制御を行なうことはできん」
「はい、しっかりやります、霧島博士」
 井上は何種類もの計器を見ながら、身体全体を使って微妙な速度でクランクを回してゆく。
 それにつれてコイルの下の真空管のまたたきが、次第にある周期と規則性を持ってきているのに一希は気付いた。
(いよいよ始まったか……)
 一希は馬鹿馬鹿しいと思う反面、研究員たちの真剣そのものの表情を見て、次第に不安を高まらせていた。

「君に、さざなみ児童合唱団へ団員として潜り込んで欲しいのだ」
 実験を始める前、霧島の部屋で一希はそう言われていた。我と我が耳を疑う一希。
「団員として?……私にどうしろと言うのです。まさかあの忍者のように忍術か何か使って、小さな子供にでも変身しろと?」
 霧島の顔に再び笑みが広がった。
「持ち物からするとどうやら君は新聞記者か作家のような職業らしいが、さすがに怜悧な頭脳を持っておるようだ。その通りじゃよ」
「え」
 絶句する一希。
「この研究所では忍術を科学の力である程度解明し、再現することに成功したと言ったじゃろう。変身の術もその中に含まれておるんじゃ。人工皮膚を使った変装ではないぞ、あくまで変身じゃ。……もっとも、最高度に熟達した忍者でも、装置を使って術を成功させられる可能性は極めて低い。だが、変異励起確率が極めて高い未来人の君なら、たやすいじゃろう」
 あまりの話の内容に、言葉もなくただポカンと霧島を見つめる一希。
「――君が断るのは勝手じゃが、その場合、誠に不本意ながら、君の身柄を不審人物として特高に引き渡すことになるな。身元も身寄りもなく、あきらかに昭和十八年の日本人としておかしな点だらけの君がどうなるかは……」
 霧島はわざとらしく横を向いて小声になった。
「脅迫ですか、博士」
 一希は唇を噛んだ。
「え、ええと、抱炉さん」
 井上がおずおずと声を掛けてくる。
「そんなにご心配には及びませんよ。実験はきっと成功しますから。それにさざなみ児童合唱団には、『何か』あるのです。あの合唱団自体、なぜか変異励起確率が非常に高いんですから。あなたが未来からこちらへ飛ばされたメカニズムがわかるかもしれない。それを解明できれば、元の世界に帰れるかもしれないんですよ。――ご承知のように、わが国はいま対米国戦争で苦戦しています。この研究がもしかしたら何らかの新兵器開発に繋がるかも……。だからこそ、団員となって合唱団に潜り込んで、色々探って欲しいのです」
 敗色濃い戦争か……。なぜ霧島も井上も戦争の行く末を未来人の一希に確認しないか不思議だったが、そう言われてみれば、一希には返す言葉もない。確かに変異は二十一世紀でさざなみ合唱団の歌声を聴いていたとき起こったのだから。
「そういうことじゃ。君の職業柄、そういう情報収集は得意中の得意ではないのかね。これも、何者かの『意志』が働いた巡り合わせかもしれん。どうじゃ、やってくれんか。実験に付きあってくれたら、君のことは霧島研究所で全て面倒をみよう」
 こうして一希は半信半疑のまま押し切られ、研究所の二階にある広い共同実験室へ連れていかれ、測定機器やら実験器具やら書類やらに埋もれて多くの研究員が働くなか、巨大蓄音器の上に乗らされた。正式名称は極小確率攪拌装置というらしい。そして、傍らにあった筆プロッタで、子供に変身するための呪文が巻物に書き込まれると、それを口にくわえさせれ……という訳であった。

 足元の真空管の明滅が早くなるにつれ、一希が見上げる赤金の朝顔の中から、次第に低い音声が流れてきた。人の声のようにも、機械で合成された声のようにも聞こえる。
「秘豆 升多亜図 募異巣……秘豆 升多亜図 募異巣」
 意味はまったく解らない。
(くそ、こんなことがあってたまるか。絶対ドッキリカメラに決まってる)
 そう思いつつも、一希の不安は最高潮に達していた。こんな馬鹿な実験、インチキか失敗するかどちらかに決まっているんだ。そうすれば、この過去の世界だって本物じゃないと証明されるじゃないか。こんな考えで大人しく実験に付きあっている一希だが、さっきから背中のあたりをわさわさと異様な悪寒が駆け巡っている。
 あの朝顔からの声が、だんだん甲高くなっていく。それが可聴周波数の上限を超えるころ、なぜか一希の周りに白い霧のようなものがもくもくと湧き出てきた。
(わっ、なんだこれは)
 口に巻物をくわえているのと、実験中は無言でと言い渡されていた一希は、それでも律儀に声ひとつ上げず四つん這いの姿勢のままでいた。
 霧が全身を包み、極小確率攪拌装置の上の一希の身体を隠した。霧は渦巻き、一希の方向感覚と平衡感覚を失わせる。一希は身体がふっ、と軽くなり宙に浮くような感じを味わった。
 ……。
 次に一希が気付いた時、“ターンテーブル”の上で仰向けにされており、霧島や井上を始め、多くの研究員たちに見下ろされているような格好になっていた。
「あれ、わたしはどうなっちゃっちゃっちゃ……あ、ありぇえ?」
 自分の声に驚いた。甲高く可愛らしい子供の声になっていたのだ。しかも舌がうまく回らない。
「成功だ」
 霧島を始め人々の顔に微笑みが広がった。
「ちぇ、ちぇいこうって……うんしょ、うんしょ」
 一希は身体を起こそうとしたが、大きすぎる衣服のせいで、うまく動けない。服の方はもとのままであった。
「抱炉君、だから裸になっておけとわしが言っただろう。どれ、脱がせてやろう」
 霧島が貫頭衣から一希の身体を取り出し始めた。
「ほら、身体まで完全に変身しておるぞ。ちょっと髪が長いが、あとは実にかわいらしい子供の身体じゃ。六〜七歳というところか、この年代の子はまだ肌も無垢でまるで天使のよ……」
 そこまで言って霧島は動きを止めた。
 ちょうど衣を取り去って、一希を降ろし、その全身が露になっていた。
「?」
 気付いた他の研究員たちも、同様に固まっている。
 その視線の先は、一希の股間であった。
「ちょっと、予想外のことが起こっておるかな、井上君」
「……は、はい、そのようですね」
 一希が視線を下げて、ぺったんこの胸と小さなおへその下の該当部分まで辿り付いたとき、思わずその口から叫び声が上がっていた。
「な、ない! あしょこがない」
 代わりにあったのは、まごうことなき女性のしるしであった。
「どういうことでちゅか、男の子じゃなくて女の子じゃないでちゅかぁ」
「……ま、まあ、落ちつけ抱炉君。わしは子供になってくれとは言ったが、性別までは保証しておらん」
「あの呪文は、確かに性別までは指定していませんからね。抱炉さんはいっとう変異確率が高かったので、より『起きるはずのない』現象、つまり性転換まで起こってしまったと……」
「かいちぇつはいいの! 女の子なんてやだやだぁ!」
「抱炉君、君は精神まで子供になってしまったのかね。落ち着きたまえ、合唱団入団になんの支障もない。そうだな、今日から君はわしの孫娘『霧島ゆりの』と名乗りたまえ」
「いやだぁ! 女の子なんていやだぁ! いやなのぉ!」
 パニックなって、しかしなんともしまらない抗議をする一希。もう声も身体も完全に子供なのだから仕方がない。だが、その子供へと本当に変身してしまったこと自体がいやなのだ。それを認めてしまえば、もう自分が別世界に来てしまったことまで受け入れざるを得なくなる。
「やだっ、やだ、やだーっ」
 泣き喚き、装置の上で手足をバタバタさせる一希。――いや、もうゆりのと言うべきか。
「やめなさい、この装置は精密機械なんじゃぞ」
 霧島たちが慌ててゆりのの身体を押え付けようとしたその時。
「そんな小さな女の子に寄ってたかって何をなさっているんです!」
 毅然とした女性の声が、人垣の後ろから聞こえた。一希には聞き覚えのある声であった。
 研究員たちが、ハッとしてそちらをふり返る。
 そこに、和服姿の艶やかな女性が立っていた。表情は厳しい。
 井上がポカンとした表情でつぶやく。
「鈴原……恵理子さん。なぜあなたがここに」

===続く===

●作者より
 次回、井上がゆりのと恵理子にとんでもない狼藉を!?
 だんだん、ライトノベル風味になってきました(笑)。


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