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すすめ!さざなみ児童合唱団

第五楽章 わざうたと月の夜(四)


作:赤目(REDEYE)



 昼下がりの霧島研究所は倦怠からはほど遠い空気につつまれていて、といってこの変異現象学の府が閑散としていたためしがないのだが、そんな多忙な組織のもっともせわしない部署である応用研究部中央研究室で、一希はどうにも場違いなのを承知で新聞を大きくひろげていた。あくびを噛みころしつついかにも分別くさい表情で活字をおう幼女というのもわれながら可笑しいな、などと考えながら。
「暇そうですねえ抱炉さん。することないなら手伝ってくださいよ」
 ここの研究員で、なりゆき上一希や多貴子の世話役になっている井上から苦情をいわれた。
「だーめ、今日はひさびさにさざなみの仕事も練習もない日なの。ゆりのね、久々の休日をマンキツしたいの。それにお兄ちゃんたちのけんきゅうは難しくてわからないよ」
 最近は面倒くさいことを頼まれると少女の振りをしてやり過ごす一希である。
「ちぇ、こんな時だけ子供なんだから。だんだんわがままなところは多貴子さんに似てきましたね。はあ、明日までにこのデータをまとめなくちゃいけないのに、ブツブツ……」
 井上が眼鏡をいじりつつしつこく愚痴るので、しかたなく一希は新聞をおいた。
「――手伝ってもいいけど、それなら極小確率攪拌装置でたまには大人の身体にもどしてくれなくちゃ」
 もともとここへ来たのもそれを頼むためだった。
「それはダメです。さっきも言ったでしょう、あの装置はいま点検中です。それにそんな理由で何度も使うわけにはいきません」
「おにいちゃんのケチ」
 再び女の子にもどって新聞に目をもどす一希.
 井上はしばらく書類と格闘していたようだが、やがて計算尺とペンを放り出した。
「あーあ、やーめた。あとで基礎研究部の小雪くんに頼んでしまおう。僕には数値転記みたいな単純作業はむいていない。はぁ〜肩がこる。――ん、それは?」
 一希が顔をあげると、井上が一希の読んでいる新聞をのぞきこんでいた。そこには大きなポイントの活字で『ツキミーナ捕縛さる』とあった。
「ああ、例のツキミーナの記事だよ。大阪で警視庁の特捜班に逮捕されたんだ。さざなみの子供たちもガッカリするだろうな、あんなに会いたがっていたから。夢にまでみた、というか、幾人かの子たちはほんとうに夢にみていたけど。その報告書は一応変異現象の可能性ありとして、井上さんのところへ上げておいたよ」
「いや、僕はまだその書類は見ていませんでしたが」
 一希は井上の机に山と積まれた書類をみて納得した。
「それより、ツキミーナが逮捕されたというんですか?」
「ああ、捕まえてみれば巡回サーカスに所属する若い歌姫と、サーカス専属の楽師の男ふたりだったというんだ。自分たちの腕試しにと花見の席へいって踊っていたら、いつしかツキミーナと呼ばれチヤホヤされて、やめられなくなってしまった。今は世間を騒がさせ深く反省している、と記事にあるな。まあ捕まえてみればなんだって話。神秘のベールはつくづく軽々しく剥がすものではないよ」
「ふーぬ」
 井上は妙な顔で腕くみして考えこんだ。
「そんなことがあるだろうか。それが警察庁のでっち上げという可能性はありませんか? ほかに何も特別なことはないんですよね」
「この犯人逮捕がでっち上げということ? それはないな。この戦時下にお上が流す情報だからわからないが、警察は相当力を入れていたようだ。万一虚偽の逮捕情報をながしてあとでまたツキミーナが出たとなったら面目丸つぶれだから」
「うーん、ではそのツキミーナは偽者かもしれませんよ。偽者というか、模倣犯というべきか」
「え? それはどういうこと?」
「僕は陸軍機で今朝出張から帰ってきたのですが、それは京都の研究拠点に測定装置を設置するためだったんです。この研究所にあるものと同様、高精度の変異励起確率測定器です」
「それって、おれや多貴子さんが未来から偶然やってきたのを……」
「そう、検知した装置ですよ。それで向こうで数日試験的に動かしていたのですが、強い反応が日を追うごとに遠くから近づいてきて、なんだろうと思っていたところ、さすがに気づきましたよ、この騒ぎですからね。ちょうど新聞で報道されたツキミーナの出現日時とデータが近似していました。ときどき測定できない場合もありましたが、調整不足の可能性はあるものの、それが偽者のほうだったとも考えられます。つまりツキミーナは変異現象の可能性がきわめて高いのです」
「そんなことが……」
「まあ詳しいことは持ち帰ったデータをちゃんと整理して解析してみないとなんともいえませんが……」
 井上は書類と測定用紙の山をうらめしそうに見つめた。
「とにかく、あれは普通の反応じゃありません。その捕まった人たちがなんの変哲もないサーカス団員だとしたら、本物のツキミーナが他にいるってことになります」
「ふーん、そこんとこが確認できればいいんだが。なんとか霧島博士の政財界のツテを辿ってあたってみようか?」
「いや、そんな暇があるならやっぱりデータの整理手伝ってください」
「おいおい」
「この量じゃ小雪くんと二人がかりでも終わらない。――それに、放っておいてもたぶん近々警視庁は赤っ恥をかくことになるでしょう、ツキミーナが桜花のしたに現れることで」
「どうして」
「ここの測定器には反応が出ていませんからね。警視庁で取り調べをうけているのが『本物』なら捕捉できるはずです。もっとも、京都でもいつも反応が出てたわけではないのですが」
「なるほど……。じゃあツキミーナが変異現象と関係あるなら、やっぱりさざなみの子供たちの夢の件も案外なにか意味があるのかもしれない。何人かの子供たちが申し合わせたように歌うツキミーナの夢を見るんだ」
「そうですね、でもそれだけではまだ何ともいえないな。夢のなかでツキミーナと会話できたりは?」
「それはない」
「ふむ、なにか正体の解明につながればいいのですが。――じゃあデータ整理のほうお願いします」
 井上は無情にも測定用紙の束を一希に投げてよこした。
「ちょっと、まだ手伝うとは――」
「ゆりのちゃーん、これ何かなー」
「あー、お土産の生八ツ橋だー。わーい、おにいちゃんだいすきー」
 一希は心底身悶えした。身体が少女になってからは甘い物のとりこなのだ。
 結局手伝わされる羽目になった。



 『それ』――人間にツキミーナと呼ばれるもの。
 『それ』が桜のしたで見つけたは、邂逅という名の偶然であった。
 はるかな地で生まれて以来、『それ』は桜が咲く場所から場所へ影のように移動して、人間たちをかきまわし驚かせつづけてきた。動きつづけるうちに、だんだんとあの約束の場所へ近づいているようにも思えた。それは福音だった。
 『それ』は、その夜も桜咲く場所へやってきた。
 だが奇妙だった。いつもの人間たちに混じって、異質の感情をひめた人間が混じっている。『それ』が初めて知見することであった。いったいこれはなんだろう。大いなる虚空にむけて問いかけてみたがいつものように答えはなかった。
 『それ』は好奇心とおそれを持って世界の狭間からそっと桜の下の光景をみていた。
 そうこうするうちに、異質の人間たちの間につよい感情がわきおこり、やがて爆発した。はじめて知見するおののきと混乱がいつもの人間たちの間にひろがり、それはすぐに収まったが、ウツクシイモノを祝福する感情は完全にきえうせてしまっていた。『それ』は悲しんだ。
 ――そのとき見つけたのだ。異質の人間のうちのひとりに、あの神々しいものの気配を。約束の場所、永遠の地へつらなる鍵とのつながりを。
「ミツケタ……」
 この人間とともにゆけば必ずや出会えるだろう。『それ』は歓喜をひめてそうおもった。

==続く==


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