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すすめ!さざなみ児童合唱団

第五楽章 わざうたと月の夜(三)


作:赤目(REDEYE)



 自分はいつ生まれたのだろう。
 自分はいつここに来たのだろう。
 『それ』、存在であって実在しないものの中で、そんな疑問が形づくられた。
 いつ生まれたかはわからないが、どこで生まれたかはわかる。
 あの地――あの祝福された地からはるかに遠い場所であった。見上げると、そこに薄桃色のかすみがたゆとうっていた。
 ―ウツクシイ イタイクライ ウツクシイ―
 『それ』が初めておぼえた感情であった。
 後に、それが桜と呼ばれるものなのだと知った。満開の桜。春の訪れと喜び。
 それらは、桜を見に集まってきた、なんとも不可思議で騒々しい生き物の心から学んだ事項であった。人間。
 その人間たちもまた、自分と同じ感情をもっているのだと知った。
 喜びだった。『それ』は、世界の狭間から姿を現して、喜びのままに歌い舞い踊った。人間たちは最初こそおどろいていたが、すぐに賞賛と歓喜の感情を自分に向けぶつけてきた。
 諾。わたしは踊りつづけましょう、あなたたちがウツクシイモノを祝福するかぎり――。



 桜の名所、大阪城公園は大勢の花見客でにぎわっていた。日も落ちたというのに外灯の明かりのした、いよいよ人々のどんちゃん騒ぎは盛りあがりをみせている。ここだけ見ていれば到底大戦争中だとは信じられない陽気さであった。
 そんななかで、特に盛りあがっている一団があった。上半身裸でみごとな腹芸をくりひろげる恰幅のいい紳士に、やんややんやの歓声がとんでいる。鼻の下にくるりとカールした髭をたくわえた紳士のあまりに剽軽な動きに、周囲の酔客からも拍手とかけ声がたえない。
 だがもしこの空間に素面の人がいたら、この集団はどうもおかしい、ということに気づいたかもしれない。集団のだれも顔が朱くないこと。喋っている大阪弁がインチキくさいこと。その他、いくら腹芸がみごとでも熱狂しすぎていること。もしここに迷いこんだ酔っ払いが集団の手にしている酒をひとくち飲めば、いっきょに酔いが醒めるだろう。水だからだ。
 腹芸をつづける紳士に、なんとなくわざとらしい千鳥足で若い男がちかづいた。「うぃーっ」「へべれー」などと奇声をあげつつ、いっしょに踊りはじめたが、どうやら合間合間に声をひそめてなにか話しているようだ。
「木下警部、報告であります」
「よし、聞こう。……アラエッサッサー!サッサーコリャホイ」
「…は、はい、第ニ班から第七班まで、異状なし。怪しき者はいまだ発見できずとのことであります」
「ホリャホリャホリャ!……警戒を怠らないよう各班に伝えよ。――ところで、そないな堅いナリはアカンでー、アンサンも脱ぎなはれー!」
「はい、え? ――ぐっひゃーっ」
 若い男は紳士に無理やり上半身の服をはぎとられた。ヤンヤヤンヤの大喝采の中、飛びかかってきた集団に下半身も全部脱がされて、泣く泣く扇子でまえを隠しながらその場をはなれる。それを見ていた周辺の花見客からも笑い声と歓声があがった。こうして乱痴気さわぎの夜は更けていくのであった。
 だが、そんな中にあっても、この紳士――もうおわかりのように警視庁から派遣されたツキミーナ捕獲隊の指揮官、木下警部は、全方位に細心の注意をはらうのをわすれていなかった。
 だからこそ、こんなどんちゃん騒ぎの空間で植えこみがじりじりと移動しているのに気づいたとき、そのあまりの怪しさに一瞬ギクリと動きをとめてしまったのだ。痛恨の失態であった。一瞬、静止した植えこみと“視線”が合った気がした。まずい、と思った瞬間に、木下は「イテテ……踊りすぎでギッキリ腰が再発したがなー」と叫んで、その場にでんと寝転がった。
 しばらくしてからそっと木下が植えこみの方をうかがうと、なんとか誤魔化すことができたらしく、また木は移動を開始していた。
 木下は気づかれないよう部下に合図を送ると、いそがしく頭を働かせた。ツキミーナと関係あるのか? いや待て。酔客が余興をしようとしているだけかもしれん。あるいは物盗りの類という可能性もある。あわてるのは禁物だ。
 そうこうしているうちに、植えこみは三〜四集団くらいはさんだ向こうの小高い盛り土のところへ達して止まった。突然ボーンという爆発音とともに七色の煙がたちこめ、その煙が晴れたとき、そこに肌もあらわなアラベスク風の衣装をまとった美女が立っていた。どこからか民族楽器の音が聞こえはじめ、その音にあわせて艶然と微笑みをうかべた女がしなやかに踊りはじめる。
 周囲の酔客からどよめきと歓声があがった。
「ツキミーナちゃうか」
 誰かが叫んでさらにざわめきと興奮がひろがった。たしかに万人を魅了する舞踊であった。周囲の酔客たちが酒をあおるのも忘れて見とれるうち、突然「着手!」という声があがると、気づかれないよう周囲を取り囲んだ私服警官たちがいっせいに飛びかかった。
 怒号と悲鳴が交錯するなか、「警察だ」「動くな」といった威嚇的な叫びが宴を切り裂く。
 すべてが終わったとき、木下警部のもとには、ツキミーナとおぼしき妙齢の女と、楽器を手に植えこみに隠れていた男二人が捕縛されて連れてこられていた。
「おまえたちが世間を騒がすツキミーナか」
 木下の問いかけに、女は「いえ……はい」と先ほどの堂々たる舞踊からはうってかわって消えいりそうな声で答えるのみであった。
 三人は連行されていった。
「木下警部、さすがであります。作戦は大成功でありました」
 さきほど全裸にされた若い刑事が、なんとかそれだけ身につけたパンツ姿でやってきて、やはり腹芸のなりのままの木下をたたえた。
「ああ、お前たちもご苦労だった」
 木下はようやく張りつめていた緊張をとくと、大きく息をはいて夜風へと振りかえり、いまはじめて気づいたかのように絢爛たる桜花をみた。
 咲きほこる桜は美しいがゆえに物哀しかった。咲いた花は必ず散る。こんな時勢である、アジアから太平洋にまたがる広大な戦線で散っていった多くの同胞のことを思わずにはいられない。いまこの瞬間にも戦いは続いているのだ。こうしてみると花見の宴も一瞬の夢のようであった。
 もちろんこの苦しい戦争を勝利にみちびくためにも、治安をみだすツキミーナのような存在を取り締まるのが自分の役目である。だが、この程度の愉快犯をつかまえてなにか変わるのか、かえって市民生活のささやかな楽しみを奪っているだけではないかという気がしなくもない……。
 そんなことを木下が考えていたとき、突然背中を名状しがたい悪寒が走りぬけた。
 思わず振りかえると、若い刑事は木下の表情に不思議そうな顔をした。
「警部、どうかされましたか? ああ、お寒いのですね。いま上着を持ってまいります」
 刑事は小走りに去った。
 いまのはなんだ? 木下は成功に酔っていた足元をすくわれるような不安にかられた。一瞬、悪寒と奇妙なめまいのなか、耳元で「ミツケタ……」という声を聞いたように思えた。

==続く==


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