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すすめ!さざなみ児童合唱団

第五楽章 わざうたと月の夜(一)


作:赤目(REDEYE)



 昭和十八年春。大日本帝国がアメリカ合衆国を相手に戦端をひらいておよそ一年半、いくら大本営が美辞麗句を散りばめて戦績を飾りたてても、すでに戦局が悪くなる一方なのは誰の目にも明らかであった。人々は待ちうける未来に重苦しい不安をおぼえつつも、訪れた春にひととき心を和ませ、精一杯このうららかな季節を愉しもうとしていた。年に一度咲きみだれる桜をみれば皆がみな来春の戦況に思いを馳せずにはいられなかったが、それは口に出してはならない事柄であった。口にすればきっと良くない言霊が産まれてしまう。
 そんなこともあってこの春のお花見は列島各地で隆盛をきわめていた。暗い時勢のなかの最後かもしれないほのかな灯火。さすがの軍部も庶民のそんなささやかな楽しみまで阻むことはできず、戦時に不謹慎とも不忠ともいえないまま黙視しているしかなかった。いや、そもそも陸海軍最高統帥部の鬼将官でさえ、絢爛たる桜花の咲きっぷりにあえばきっと口元を緩めるのではないか。この国で花見を禁止することなどできようはずがなかった。
 だが、この春の花見については、軍部や警察、治安維持関係者をいらだたせるある特異なうわさが流れていた。花見の宴がたけなわの席にあらわれ、人々の前で奇妙な歌をうたい舞い踊り、その心をとりこにしてしまう妖女がでる、と。それは欧州の民族衣装のような、あるいは天女の羽衣のようなものを着た少女だという者もある。ひどく美しく、木々の間を軽やかに飛翔さえするといわれるこの怪人を、人々はいつか『ツキミーナ』と呼ぶようになっていた。その歌で月のない晩にさえ天空に満月を引きよせるというのだ。
 春の魔女は、戦争に疲れはじめた帝国日本を跳梁した。


 一希は姿見のまえに立った。鏡に写っているのは六歳くらいのかわいらしい女の子だ。頭には大きすぎるくらいの瑠璃色のリボン、そしてレースのフリルがついた乳白色のブラウスにさくら色の肩ひもスカート。素足は白のソックスで包まれている。全体的に育ちの良さそうな子らしい品のあるいでたちであった。
 ただ、その顔にはややげんなりとした表情がうかんでいた。ああ、いかんいかん。名士霧島博士の孫娘なんだから、もっときりりと快活そうにしていなければ。
 そこで一希は精いっぱい女の子らしく、「こんにちは、霧島ゆりのです。はやくおっきくなりたいな」と鏡にむかって微笑んでみた。さらにスカートの端をつかみ首をかしげてポーズをとる。
 ――よけい気が滅入ってきた。
 せめてリボンだけは勘弁してほしい。大人の男として心からそう思ったが、それは周囲がゆるしてくれなかった。多貴子だけではなく、合唱団の女の子たちからもリボンをしていないと「今日はどうしたの?」「いつものしましょう」と一希にやんわりと強要してくる。新入りで最年少の(ということになっている)霧島ゆりのとしては、従わざるをえないのだ。
 それどころか、最近では『名探偵リボンちゃん』という戦慄するようなあだ名さえつけられてしまっていた。それについては、一希のある行動がきっかけなのであったが――。

 三月も終わるころになってさざなみ児童合唱団は格段にいそがしくなっていた。葵鼎寺の練習場にはほとんど毎日子供たちの声がひびくようになり、ラジオ出演から通常の演奏活動にくわえて慰問目的の演奏までふえ、団員がそろって都内を移動することも多くなった。
 そんなせわしない団の活動の合間をぬって、一希は子供たちひとりひとりをつかまえて面談をつづけていた。たとえば葵鼎寺境内の練習場で――。
「あの、ちょっといいですか」
「はい、いいですよ」
「じつは、お話ししたいことが……」
「まあ、立ち話もなんですから、お座りになって」
「はい」
 一希が女の子らしくスカートをうまくさばきつつ膝を揃えてすわると、相手も板張りの床に正座してこちらをまっすぐ向いてくる。
「このたび、見習いから正式な団員になりました、霧島ゆりのともうします。姉のかなみはしばらく前からお世話になっています。今後いろいろとご迷惑をかけるかもしれませんが、どうかよろしくお願いします」
 床に手をついて頭を下げると、リボンがずり落ちそうになる。
「丁寧なご挨拶ですね。こちらこそお願いしますね」
 そう言って相手が頭をあげるかあげないかのうちに、一希は訊きはじめる。
「ところで、合唱団で歌っている最中なにか不思議な感じがしたことはありませんか? あとは身のまわりでなにかおかしなことを体験したりとか……」
「え……?」
 たいてい相手はきょとんとしていた。

 かなり強引だったが、正式な団員になったいまこそ子供たち全員に直接「取材」できる絶好のチャンスだったのだ。
 もともと幼女に変身して合唱団にはいったのは変異現象学をあつかう霧島研究所の命で、ときに異常な変異励起確率をしめすこの合唱団の秘密をさぐることであった。いわば子供の姿をしたスパイなのだ。はじめのうちこそ環境の激変に戸惑うばかりの一希だったが、いざ慣れたあとはライターとして持ち前の好奇心が頭をもたげてきた。
 一希がゆりのとして、目立たないよう合唱団の内部をしらべ始めてわかったのは、霧島研究所はまだなにもこの団のことをしらない、ということであった。一希よりさきに子供の姿で団に潜入していた仲町多貴子も、音楽的なことは別にしてほとんど研究所に情報をもたらしていなかったのだ。
 一希があきれたことに、団員や関係者の戸籍調査さえ行われていなかった。やはり研究所はひとの良い学究のあつまりなのだ。これで戦局をひっくり返すような新兵器が開発できるのか心配になってくる。
 そこで一希は、思いきって団の子供たちひとりひとりと面談してみることにしたのである。紙の資料ではけっして見えてこないのに、実際に会ってみれば一目瞭然ということがままある。取材の力は職業柄よく知っていた。
 先日のラジオ出演の際の奇跡のような手品の一件もある。この合唱団になにかあるのは確実であった。月星新聞社の醒貝記者のことも気にはなったが、いまは優先順位をさげていた。

「へえ、わたしにも挨拶してくれるの?」
 早苗はにこにこしながら一希の挨拶をきいてくれた。
「わたしいつでも力になるからね! なんでも訊いて。 ――でもゆりのちゃん歌うまいし覚えるの早いし、いまにわたしのほうが教えてもらわなくちゃいけなくなるよきっと」
「そ、そんなぁ……」
「でもさち子ちゃんも言ってたよ。近いうちにリボンちゃんはソリストになるって。さっちゃんの耳はとてもいいから大抵予言がほんとうになるの」
「うう……(リ、リボンちゃんか――)」
「ところで、もう『犯人』は見つかった?」
 早苗は悪戯っぽくわらった。
「えっ、犯人って」
「なんかみんなにジンモンしてまわってるんでしょ、挨拶のついでに。みんながゆりのちゃんは名探偵だって話してるよ」
 早苗にくすくす笑われて、はじめて自分の面談が強引すぎたことが一希にもわかった。

「ゆりのさん、とうとうあたくしのところへも来ましたね。どんな罪状で犯人さがしをしているのか知りませんが、いやしくも男爵家・寂光院の娘として人様に後ろ指をさされるようなことは生まれてこのかたしたことなどありませんわ! 無礼もほどほどにしてはどうです」
 寂光院春江には睨まれた。
「あの、ち、ちがいますぅ……」
 なぜか謝る羽目になった。
「え? そう、正式なご挨拶にね。――ふむ、それは良い心掛けだと思います。ところで、この機会によろしいかしら? ゆりのさんは歌うときの姿勢がいまひとつ良くありません。いいですか、背中をこう、ちゃんと伸ばして――」
 ついでに行儀を教えられた。うるさいようでもあるが、春江が団員の挙止を直してくれるお陰で、この合唱団は人前で見た目にも美しい立ち振るまいをとることができるようになっていたのだった。
「あのねえ、寂光院さんに気軽に話しかけないで」
「あなた新入りなのに生意気なのよ」
「だいたいあなたは……」
 いつも春江といっしょにいる双子の木下姉妹には例によって連続ダブル攻撃をうけた。

「ねえ、やっぱりリボンちゃんどんどん上手くなってるよ。もう三人目のソリストになれると思う。相沢先生も、ソリスト三人で掛けあいみたいする、ワルツみたいな童謡を書いてくれるって」
「さち子ちゃん、ま、また〜。わたしなんかがさち子ちゃんや寂光院さんみたくソリストなんて、とんでもないよー」
 一希がこの合唱団トップの一人のところへいくと、『ゆりの』がなぜか大のお気に入りらしい少女は満面の笑みで、ほかに誰も知らない秘密の新曲のことをナイショめかして教えてくれた。
「なんで? 寂光院さんと三人で歌ったらきっときれい。たぶん今度の園遊会にはおひろめできるから」
 潜入調査の関係上、一希にとって団のなかで目立つことは避けなければならないのだが、名の知れた童謡歌手でもあるこの少女に見込まれてしまったのがどうやら運のつきらしい。多貴子にもさんざん小言をいわれたが、時すでに遅しであった。

「こら、ゆりの。おれたちへの挨拶はいちばん最後か! ヤマダ軍をなんだと思ってるんだ」
 恒夫はおかんむりであった。
「だってえ……恒夫くんたちとはいっつも一緒にいるしねえ。いまさらって感じだもん」
 一希は変にうまくなってしまった媚態とも拗ね顔といえない微妙な幼女の表情をみせながら、ヤマダ軍の三人、つまりこの合唱団で三人しかいない男の子たちをみつめた。
「うん、まあね」とどっちつかずの答えはよく太った少年、佐伯。
「だって、ゆりのちゃんは犯人さがしをしているんでしょ? ボクらあやしいところはないもん」
 とかばってくれるのは、妖精みたいなかわいらさの擬似少女(女装少年)、ソーコであった。
「いえ、えっと、ホントは……」と言いかけた一希の言葉は、恒夫にさえぎられた。
「とにかくケシカラン! まずおれたちのところへ来い。でないとヤマダ軍から除隊ショブンだぞ」
「除隊っていっても……あの、恒夫くん。ほんとうはヤマダ軍がいちばん重要だから最後にきたの」
「む……それ本当か?」
「そうよ、きまってるわ」
 一希は少女のキラキラ眼と邪心のない笑顔で恒夫をみた。平気で嘘をつける女の子の能力なのだが、一希はこんなこともできるようになっていた。
「ふむ、じゃあ許す! おれたちに何でも訊いていい。なんなら今朝の朝ごはん何だったか教えようか。えーと焼き魚と納豆、たまご……」
「それはいいから」
「そう? だいたいお前どんな犯人さがしてんだよ」
「ううーん、犯人さがしじゃないの、ただ不思議なことが周りで起こった人いないかって……」
「ふしぎなこと? おれは、女のくせに早苗がなんであんなお転婆なのかふしぎ……いてっ」
 恒夫が振り向くとうしろで聞いていたらしい早苗が腕をまくりあげていた。
「いてーなこの! 奇襲とはヒキョーなりぃ」
「なによどっちが卑怯よ、男のくせに陰口ばっか!」
 またいつもの口喧嘩をはじめた二人を尻目に、佐伯が言った。
「うーん僕は……戸だなにかくしておいたおまんじゅうが消えてしまったことだな」
「あはは、そう」
「えっとあたしは――いま思い出したけど、おとといくらいに変な夢をみたこと」
 と小首をかしげながらソーコ。
 子供は夢の話が好きだし、また大人よりよく夢をみるものだ。
「月明かりのしたで、女の人がなにか歌っているの。聞いたことがあるような、ないような、不思議な歌。ゆっくり風がふいてきて」
「……それで、その歌は日本語だった? 女のひとに見覚えは?」
「日本語だとおもうけど、はっきりわからないの。歌ってたのは見たことないきれいな人。……それだけなんだけどなんか気になるのね」
「ふーん、なるほど」
 思わず一希は幼女の演技をわすれて真面目に思索する顔になった。
「……」
 そんな一希の顔をソーコが興味深そうにのぞきこむ。
「――え?」
「うふふ、やっぱり名探偵リボンちゃんだね」
「ち、ちがう……これはちがうの」
「ねえ、そういえばソーコちゃんの話を聞いて思い出した。あたしも同じような夢をみたよ」
 練習場のなかで、二三人の子が声をあげた。
 これはどういうことだろう? ほとんど毎日歌っている子たちだから、こういう夢をみても不思議ではない。しかもいつも行動をともにしている者同士、似たような夢をみることは可能性としてありそうだが……。
「もしかしてそれって、ツキミーナじゃない?」
 組み合った恒夫の顔を片手でぐいぐい押し返しながら早苗がいった。
「ツ、ツキミーナっていま世間をさわがせているあれかよ? 花見の夜にでるっていう……イテテ」
 恒夫は押され気味だ。
「よし、決めた!」
 恒夫は早苗をドンとつきとばした。
「きゃっ」
「ヤマダ軍で少年探偵団をケッセイだ! 日本の治安をみだすツキミーナをおれたちで捕まえる」
「ツネ坊、女の子をつきとばすな!」
 三四人の女の子が早苗を助けおこしながら恒夫に迫った。
「う……仕方ねーじゃんかよ、早苗のやつが万力パンチ入れてくるんだから」
「なんなら女の子全員でパンチいれましょうか?」
 場の空気は不穏だ。他の女の子たちも穏やかならぬ視線を恒夫にむけている。恒夫はタジタジとなった。
「あのね、あなたたちだけで少年探偵団なんてゆるさないから。やるんなら少年少女探偵団にすべきよ。さざなみ少年少女探偵団よ」
「さんせーい」
 早苗の言葉に、何人もの子が声があげた。
「おいこら、おまえらヤマダ軍の任務をうばうんじゃねえ」
「それと、団長はゆりのちゃんだからね」
 恒夫の言葉を思いっきり聞かないフリして早苗が微笑みかけてくる。
「えっ?」
 意表をつかれる一希。
「――さあみんな、そろそろ練習をはじめるよ」
 練習場に相沢がはいってきて、子供たちに声をかけた。この合唱団の主宰者にして若き童謡作曲家だ。
「はーい」
 小さな歌い手たちの元気な声がひびいた。

==続く==


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