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すすめ!さざなみ児童合唱団

第四楽章 歌はよい子のお仕事(六)


作:赤目(REDEYE)



 仕立てのよい背広を着こなした背の高い男が進みでて、子供たちのかたわらに立つ相沢へ名刺をさしだした。
「月星新聞社・第二文化部の醒貝篤津志ともうします。以後どうぞお見知りおりおきを」
「月星……新聞社のかたですか」
 相沢は、相手のおよそ記者らしくない色白で気品ある顔立ちと、五芒星と三日月――月星新聞社の社章が刷られた名刺を見くらべながら言った。年齢は三十歳くらいであろうか、ただそれも定かではない。
「昨夜の江戸城空襲で混乱する世情を一刻もはやく治めんと、当代一の児童合唱団がラジオで新曲披露するときき、本日は参上した次第。――いやあ、素晴らしい演奏でした。さすが天下のさざなみ児童合唱団の歌声だ。これを聴いた日本中の少国民は胸をときめかせ、帝国の永劫の未来を信じて心躍らせることでありましょう」
 醒貝は芝居がかった仕草で言葉をきった。
「だが……新曲の『青のいろ』、あれはよくない。――なぁに、演奏と曲に問題はありはしない。しかし、歌詞が決定的によくない。『青』というのはアメリカ人どもの瞳の色を連想させる。しかも星条旗にも使われている色だ。殲滅すべき敵国を利するような歌を絶対に放送させるわけにはいかないのですよ。だから」
 醒貝は手にもった書類挟みを相沢にわたした。
「この歌に差し替えてください。正確にいうと、これは歌詞だけしか完成していない」
「歌詞だけ……? 私にどうしろとおっしゃるのです」
「言わずと知れたこと。あなたは当代屈指の新進童謡作曲家のはず。あなたが今からこの詩に曲をつけるのです。そしてあなたのかわいい合唱団に歌わせればよい」
「なんですって」
 叫んだのは相沢ではなく、すぐ横で話を聞いていた伊東ディレクターであった。
「馬鹿なことを言わんでください! 醒貝記者、あなたはなんの権限があってJOAKの放送に介入するんだ。いいですか、番組がはじまるまであと一時間しかないんですよ、それでどうやって……」
「伊東君、いいんだ」
 そう口をはさんだのは、禿頭の浅黒い壮漢であった。先刻リハーサルが終わったとき、調整室からマイクを通して伊東に呼びかけたのもこの男だ。
「な……! し、しかし、海老原部長……」
「醒貝記者は日本少国民文化協会の委員でもある。少国民の情操教育にふさわしくない楽曲は取り締まり正していくのが仕事だ。ここは私が責任をもつ。自由にやらせてあげなさい」
 なかば呆然として口をパクパクさせている伊東を尻目に、醒貝がつづけた。
「――そういうことですよ、相沢先生。あなたの力に期待しておりますよ。それと、他の二曲も少文協推奨の軍国童謡に差し替えましょう。安心してください、そっちは曲もついている。どうもさざなみ合唱団の歌う童謡は帝国陸海軍と縁遠いものばかりでいけませんな。なあに、いまJOAK内部で放送児童合唱団候補の筆頭といわれている団だ。きっと子供たちもうまく歌ってくれることでしょう」
 醒貝は居並ぶちいさな歌い手たちを見わたして、不可思議な微笑みをうかべた。

 思い上がった月星の記者め、権力をかさに好き放題しやがって――一希はこのやりとりに唖然としてしまい、伊東ディレクターではないが叫びたくなった。もちろん六歳かそこらの少女の姿でそんなことができるわけもなく、ただ地団駄を踏んでいるしかなかったが。さすがにさざなみの子供たちもざわついて不安そうにしている。目が合ったかなみは憮然としてため息をつき、この横暴な闖入者への不満を露骨に表明した。
 海老原といっしょに調整室へかえる醒貝を後目に、伊東はがっくりとうなだれて言葉をしぼりだしていた。
「も、申し訳ない……相沢さん。わたしに力がないばっかりに、あんな言いがかりを……」
「いや、これが少文協の意向というならしかたないですよ。たぶんこれからはラジオに出る以上似たようなこともたくさんあるでしょう。ご迷惑をかけないよう、なんとかやってみます」
「あ……ありがとうございます」
 一希がきいていると、隣の空きスタジオにピアノがあるというので、相沢は子供たちに声をかけたあと、渡された歌詞をもち伊東の案内でそちらへ向かった。
「そうだ! 相沢さん、ご愛用の欧州製オルガンの用意もできています。明日のご出演番組用に、葵鼎寺の練習場から業者に運ばせておいたんです。お借りする手筈になっていましたからね」
「おお、それは心強い。あのオルガンだと作曲がすすむんですよ」
 そんな会話を残して、相沢は去った。果たしてこの一時間ですべてが間にあうだろうか。
 だが一希には、それにもまして心配なこと――というより一種の悪寒のようなものをおぼえて心を乱していた。
 あの醒貝という記者が、帰り際に一瞬、たしかに鈴原さち子を見やって邪悪といっていい笑みをうかべたのだ。一希もルポライターとしてさまざまな人間に会ってきたが、子供にあんな顔をむける人間は犯罪者以外考えられない。巨大な権力をもつ月星新聞社の記者が、もしなにか企んでいるとすれば非常に危険なことであった。あるいはこの無茶な検閲騒ぎには、裏があるのかもしれない。

「みんな、落ち着いて。相沢先生を信じるのです。先生ならきっとすぐに新曲をもってもどってこられます」
 寂光院春江が、居並んだ団員たちに向かって語りかけている。相沢の指導は独特なので、楽団の人に手伝ってもらって先に二曲覚えることもままならない。相沢がいなければどうしようもなかった。
 だが、そういう春江自身も、掌をぎゅっと握りしめているくらいだから、他の子供については推して知るべしであった。
「だってもどってきてから三曲覚えなくちゃいけないんだよ」
「今から新しい曲なんてうたえない」
 そんな声が漏れている。
「ったく女どもは情けねーな。おれたちヤマダ軍はこんなの屁でもないけどな。なあ、ソーコ、佐原?」
 恒夫は両隣の男の子ふたりを見やったが、ふたりとも「そ、そうだね」「う、うーん」などと気弱に答えるのみであった。
「あーら」「カッコわるーい」
 振り向いた木下姉妹がそんなヤマダ軍をせせら笑う。
「うるせーぞお前ら。こんなの去年の夏の、太陽ギンギラ三時間ぶっつづけ野外公演にくらべたら大したことないだろうが」
「くっくく。ツネ坊ってバカねー」
「体力で乗りきれると思ってるなんてねー」
「なんだと」
「三人ともやめて」
 早苗が止めにはいった。
「今はみんなの力を合わせるときよ。相沢先生がもどってきたとき、わたしたちがケンカしてたら恥ずかしい」
 一方、最前列の真中にならんでいる鈴原さち子と寂光院春江は、頬をよせて小声で話していた。
「寂光院さん、震えてるの?」
「……! 震えてなんかいないわ、あなたこそ」
「そう、それで安心した」
「え?」
「寂光院さんならこんな時でも平気だろうって思ったの。わたしも平気。二人してオロオロしてたらみんなもどうかなっちゃうよ」
「そんなのわかりきったことだわ。あたしたちは合唱団のトップなんだから」
「うん。――じゃあ、あれやろうか」
 そう言ってさち子は春江の手をぎゅっと握った。
「いいわ、やりましょう」

「ゆりのちゃん! ゆりのちゃんもこっちへ来て?」
 さち子に呼ばれて、離れたところで調整室の方をそれとなく観察していた一希は振りかえった。
 見れば、さざなみの子供たちが手を取りあって輪をつくっている。せまいスペースなので円形ではなくちょっといびつな長方形ではあったが。
「あ、うん……」
「ゆりのさん、早くしなさい。あなたも見習いとはいえ相沢先生に入団を許された身でしょう」
「はい」
 一希が小走りに駆けよると、さち子が手を差し伸べてきたので、その輪のなかへ入る。
「ゆりのちゃん、さざなみの団歌はうたえるよね?」
「うん、なんとか」
「今からみんなで団歌をうたいます。こうすると不思議と落ち着いていい演奏ができるの。でもこれは相沢先生にはナイショ」
 言い終わると、さち子は瞼をとじた。
 ピイン、と澄んだ緊張が子供たちを包んでいくのがわかる。さち子のように目を瞑る子や逆に開けたままの子もいるが、その顔にはひとしく真摯な集中があった。
 それは握った手をとおしても一希に伝わってきた。
 静寂。
 ありえないはずなのに、スタジオ内のさまざまな音も消え去った。いやそれは、一瞬のことだったのか。
 つぎの瞬間、誰が合図をしたわけでもないのに歌は始まっていた。
『朝霧にけぶる 浜にてあゆむ――』
 あっ。
 一希はゆりのとしてガールソプラノで歌いながらも、声にならない声を心のなかで上げていた。
 強烈な酩酊感覚。両手に握った手は離していないし、脚はそこから一歩も動いていないのに、子供たちの輪の真中へ足もとから引きずりこまれそうな眩暈。
『素足に涼し 流るる砂は――』
 !
 ドッと陶酔の波がおそってきて、もう正常に意識をたもっているのが難しくなった。それでも、なぜかまだ自分はちゃんと歌っているし、隣りのさち子や他の子供たちの歌声が聞こえているのもわかった。
 ふわ、と身体が浮いたような気がしたとき、一希の意識は飛んだ。

 混沌。
 一希はどこともしれぬ空間を漂っていた。周囲には誰もいなかったが、それでもみんな一緒にいることはわかっていた。
 赤い車と海。
 時間も空間も意味をなさない場所であることは直感でわかった。さまざまな事象が、乱舞する蛍の群れのように浮かんでは消え、近づいては遠ざかった。
 白い気球と空。
 それは過去にあった出来事、未来に起こる出来事、過去になかった出来事、未来に起こらない出来事。その片鱗と構成要素、種と残滓であった。瞬間、燃えさかる帝都がよぎり、それが暗転すると、燃えさかるニューヨークの摩天楼がかすめた。
 駆けぬける草はら。
 無限にながれ渦巻くあまたの事象のともしびは、始源の天界からうまれ、終局の虚空へと消えていくのであろうか。ここは、世界の始まりと終わりを見渡せる場なのかもしれない。あるいは神だけに許された座。――それでも不思議と怖れはなかった。さざなみの仲間たちがいっしょにいるから。年齢や性別など肉体的な差異などすべてふきとばす強烈な魂の共振と連帯感。
 霧。十二本の白亜の円柱。

 拍手の音が聞こえていた。ここは――? JOAKのスタジオであった。はっと正気にかえれば、一希はさざなみ児童合唱団の子供たちといっしょに並んでマイクの前に立っており、掛け時計は番組の放送終了時刻をしめしているのだった。
 拍手は、集まったスタッフや放送楽団の人たちが、さざなみ児童合唱団にむけているものであった。
「ブラボー!」「よくやったおチビさんたち」などと掛け声も聞こえる。
 伊東ディレクターも満面の笑みで、手が腫れるほど力をこめて拍手をしている。
 合唱団の前に設置された愛用のオルガンから、相沢が立ち上がった。
「みんな、本当によくやった。最高の演奏だったよ」
 それを聞いて子供たちもわっと沸いた。
 隣からポンと肩を叩かれた。
「ゆりのちゃん、うまく歌えてた。もう見習いなんかじゃない。かんぺきな団員だよ」
 さち子の満面の笑みがあった。
 とすると、いつのまにか自分も子供たちに混じって相沢の指導をうけ、新曲を三曲おぼえて歌ったのだろうか?
 ふと、異様な気配に気づいてそちらを見れば、醒貝記者が腕組みをしてスタジオの隅からこちらをみていた。番組終了したばかりのこの時間にスタジオにいるということは、本番中も調整室に入らなかったのだろうか。
 醒貝はふっとその場をはなれると、スタジオを出ていった。


「ゆーりのちゃん?」
 ソーコが身体をくっつけてきた。
「うん?」
 まだ頭がボーッとしている一希は気のない返事をするだけであったが、すぐにソーコの苦情を聞かされた。
「もう忘れたの? 本番終わったら手品見にいくって」
「あ……えーと、そうだったわね」
「わたしも行く!」
 さち子も食いついてきた。
 話を聞きつけてどんどん人数が増え、一希が説明する間もあればこそ、結局「じゃあみんなで」という流れになってしまった。かなみに目で合図して助けを請うたがムダだった。
 こうなれば能都が奇跡的にいい芸をみせてくれることを祈るしかない。帰り支度をしている相沢にことわって、ぞろぞろと歩き出す。ふと見ると背の高い少女と取り巻きふたりは動こうとしない。
 今から見せられるものを考えればどちらかといえばホッとした一希であったが、相沢がひとこと勧めると効果覿面、結局ついてきた。寂光院は相沢の言葉にはほんとうに素直だ。
「……あのー、能都さん。ちょっといいですか?」
「おー、ゆりのちゃん、みんな。きみらすごい演奏だったねえ、おれ感心しちゃったよ。――え、手品?」

「おいおい能都くん、本当にやるの?」
「当たり前だろ、超一流の歌い手には超一流の奇術をみせてやらないとね」
 スタジオの片隅のテーブルに移動した能都は、まぜっ返す仲間のバンドマンを適当にあしらいつつ、手品の準備をしていた。
 テーブルの前にはさち子やソーコをはじめ、さざなみの子供たちが目を輝かせて控えている。一希は奇跡が起こるのを祈った。
「だってさあ、その手品って、本当にタネがないんだろ?」
「うるさいの、俺の手品は全部タネも仕掛けもないんだから」
 やっぱりダメか。
「……さてお待たせしました紳士淑女のみなさま。大奇術師のダーイ魔術ショウの始まり始まりィ。ここに取りいだしました赤青黄・三つのサイコロとコーヒーカップ。これをこのように」
 と言って能都はサイコロをカップにいれ、テーブルの上に伏せて置いた。
「このサイコロの目を、中を見ずに、皆様の言われたとおりの数字にしてさしあげましょう」
「本当にそんなことができるんですか?」
 ソーコが興味津々とした様子で聞いた。
「もちろん、ワガハイの術に不可能はなーい。じゃあお嬢ちゃん、試しにサイコロの色と数字を三ついってみたまえ」
「あ、はい……じゃあ、赤・三、青・五、黄・六」
「よろしい! アブラカタブラ、ガチャガチャメッカ、ナーランダガンダーラタジマハルー」
 能都はカップを伏せたままテーブル上でしばらく動かした。

 十回この手品が終わるころには、一希も他の子供たちと同様、ポカンと不思議そうに術者を見ているだけであった。いや、子供たちだけでなく冷やかしに集まったバンドマンたちも、当の能都さえも頭をかきながら腑に落ちない顔をしている。
 十人の子供たちからの求めを、すべて見事にやりとげてみせたのだ。ぜんぶ“当たり”だった。
「お兄ちゃん、すごい!」
 さち子が拍手すると、他の子たちも素直に尊敬のまなざしをきらめかせつつ、歓声と拍手をおくった。
「おかしいなあ、この手品、ほんとうにタネがないのに……」
 つぶやきながらも、能都はとりあえず気取った仕草で、シルクハットを脱ぐまねをしておじぎをした。
 これは――?
 どうやらありえないことが起こってしまったらしい。
 能都はほんとうはタネを仕掛けているのにトボけているのだろうか。
 それとも――。もし本当に偶然なら、たったいまのちいさなちいさな出来事は、しかし、分母に天文学的数値がくる極小の確率だったことは疑いもない。
 一希は、奇跡について考えていた。

==第四楽章 終わり==


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