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すすめ!さざなみ児童合唱団

第四楽章 歌はよい子のお仕事(二)


作:赤目(REDEYE)



 子供たちの小さな世界にも、昨夜の江戸城爆撃は大きな影をおとさずにはいなかった。
 今回はミッドウェイ海戦前の奇襲につづいての二度目の本土爆撃であったので、その意味での心理的備えは帝国国民にもできていたはずだが、戦況がここまで不利になってからの空襲であり、しかも帝都の中心・江戸城が直接狙われたという心理的な衝撃は大きい。大本営は否定するが、今後アメリカによる空襲が本格化する前触れではないのか――。人々の間にいいようのない不安と怖れがひろがっていた。
 大人ですらそうなのだから、親兄弟から話を聞かされた子供たちも、それを敏感に感じとってそれぞれに怯えたり、逆に発奮したり、大人のいうように帝国陸海軍がなんとかしてくれると平静を装ったり、とにかくもこのことで頭がいっぱいなのである。
「でも全機撃墜したんだぜ」
「江戸城のまわりが何か所か立ち入り禁止になってるそうよ」
「もうすぐ要塞みたいな爆撃機が飛んできて、それで日本中が火の海にされちゃうかもしれないの。おっきいお兄ちゃんがいってた」
「大丈夫、おとうさんの話だと、忍者が何機かB−25を落としたんだって」
「そんなー、うそだよー」
 今日の練習が始まる前、一希がそれとなく聞いた子供たちの会話である。
 いくらメディアと大本営が本当の情報を隠そうとしても、国民の間にはさまざまな形で真実は知られていた。軍は流言飛語をきびしく取り締まっていたが、事実を隠蔽しようとすればするほどそれは漏れだして口伝えで広がっていたのだ。
 一希がみるところ、特に子供たちにとっては、きびしい教師やうるさい上級生のいる国民学校という場所をはなれて、さざなみ児童合唱団という音楽のための特別な空間でのおしゃべりは、格好の情報交換の機会になっているのだろう。学校をはなれた自由な「放課後の世界」がここにはあるようである。
 そんな空襲の話でもちきりだったことで、昨日の折檻事件がまったく話題にならなかったのは、一希にとってありがたかったが――。

 そんなことを一希が思い返しているうちにも、練習場を出て森をすすむ恒夫たちは、小経をどんどん前へと進んでいった。
 元気な男の子の脚ははやい。
「ねえみんな、もう少しゆっくり歩いてくれない」
 思わず“ゆりの”としての声が出た。一希も今は身体は幼い少女にすぎない。ついていくには小走りにならなければならかった。
「遅れるなよ、ゆりの」
 のしのし歩きながらこちらを振り返って恒夫がいう。
 ソーコが立ち止まって待っていてくれた。
 はぐれないよう気遣ってくれているらしい。そっと手を握られた。
 ひんやりとした気持ちいい掌だ。
「いったいどこへ行くの?」
「森の奥のほう」
「奥のどこ」
「ナイショ。……もうすぐわかるから」
 ならんで歩くソーコの横顔をみると、悪戯っぽさと申し訳なさそうな感じと、はにかみ――それらを紙一重で平静な顔のしたに抑えこんでいるような、なんとも形容しがたい表情をしていた。
 恒夫たちはさっさと先に行ってしまいもう見えなくなっている。
 葵鼎寺境内とつながる森――葵の森の懐はふかい。
 ときおり小鳥のさえずりがちらちら降りてくるほかは、のしかかるような静けさが横たわる森のなかで、二人の足音だけが周囲に在った。
 木漏れ日のきらめきが、細いリボンでまとめた長い黒髪と、涼しげな白皙の貌を流れるように渡ってゆき、それがソーコのとびきりの可憐さをまた飾りあげている。
 ちょっと見とれるような瞬間であった。
「ここを入るの」
 ソーコは一希の手をひいて、小経から折れて茂みのなかのさらに細いけもの道に入った。
 すぐに目的地についた。
「お前たち、遅いぞ」
 恒夫たちが待っていた。
「これは?」
 一希が訊くと、恒夫が大いばりで答える。
「えっへん! ヤマダ軍の秘密軍事要塞であーる」
 ああ、“ひみつきち”ってことね、と一希は納得した。
 そこはたぶん以前森の伐採用具などを入れていた作業小屋だったのだろう、崩れかけた廃屋であった。屋根も半分落ちてしまっているが、小屋の中に古いテントが張ってあり、そこが男の子たちの格好の遊び場になっているらしい。
「わあ、すごーい」
 一希は、せいぜい女の子らしく感心しておいた。
「うむ、そうだろう、そうだろう」
 恒夫はそり返りすぎて後ろへ倒れそうだ。
「特別にゆりのくんにも入場をゆるすが、ヤマダ軍以外の民間人には秘密だからな」
 一希たちは靴をぬいでテントの中に入った。大型のテントなので、中は結構広いし、子供なら立っても頭がつかえない。中にはメンコやら、双六やら、ベーゴマやら、遊び用具が散らばっていた。一希にとっては馴染みのないものも混じっている。
 全員が適当に空いている場所に座ると、恒夫のいう「秘密作戦会議」がはじまった。
「わがヤマダ軍は、さざなみ児童合唱団において、女どものアットーテキな軍勢にかこまれて劣勢であーる」
 佐伯くんがウンウンと頷く。
「とくに近年、ヘビ女こと寂光院春江と、じゃじゃ馬・室田早苗の二大ばかオンナの勢力拡大は、はなはだ目にあまるものがあーる。しかるにヤマダ軍の新規入隊者はこの非常時にもずっとゼロが続いている。ユウリョすべき事態だ。……そこで今回、合唱団に入ってきた霧島ゆりのくんを、特別にヤマダ軍にむかえることにした。――いいな、みんな?」
 恒夫の言葉に、ソーコも佐伯くんも「賛成!」と答えた。
「よし! ではゆりのくんの入隊を許可する。階級は……ええと、二等兵だ」
 昨日の百貨店での件もあるし、仕方がないなあ、と一希はわらった。
「あの……みなさんよろしくお願いします」
 とヒザを揃えて女の子らしく頭を下げると、大きすぎるリボンがずり落ちそうになった。
「よーし、ヤマダ軍としては初のジョセイ隊員となるが、みんなしっかり面倒をみてやってくれ。なんせ姉のかなみと違ってこいつはまだ小さいからな」
 あれ?初のジョセイって……女性ということか? ソーコちゃんがいるのに――と一希がそちらを見ると、目が合ったソーコがちょっと困った顔になって目を逸らした。
「作戦会議終了! 次は新兵くんれんだな」
 恒夫と佐伯は目を合わせて妙な笑顔をうかべた。
 瞬間、なんだかいやーな予感がした一希は、おそるおそる訊いてみた。
「えっと……それって?」
 恒夫はそれには答えず、なんだかモジモジしているソーコの横へ行っておごそかに宣言した。
「ヨーシ。全員起立! それからゆりの二等兵、こっちへ。深呼吸して歯をくいしばれー」
 一希が仕方なく言われた通りにすると、ソーコがすがるような眼で訴えかけてきた。
「あのね……ゆりのちゃん、これから起こることびっくりす……」
 そこまで言ったところで、恒夫がソーコの頭に手をやり、髪の毛をひっ掴むとむんずとそれを剥ぎとった。
「わっ」
 一希はびっくりしてのけぞった。恒夫の手に髪が丸ごと握られている。
 髪がいきなり短くなかったソーコは、それでもかえって清冽な凜々しさを漂わせている。
 ソーコの長い髪の毛はかつらだったのだ。
「あ……あ、そうなんだ。ソーコちゃん髪みじかかったんだね」
「ううん……違うの」
 その表情は晴れない。
「やっぱりゆりのも判らないみたいだぜ」
「そうだよね……まあ無理もないけど」
 恒夫と佐伯は顔を見合わせてイジワルな微笑みを浮かべた。
「よーし、面倒だ、最終兵器をだせー!」
 恒夫が叫ぶと、佐伯がソーコの後ろへまわってそのスカートをガバッとまくり上げた。
「ちょ、ちょっと! なに……」
 一希が唖然として声を上げる間もなく、恒夫があらわになったその下半身から、ソーコのパンティをずり下げた。
 雷に打たれたような衝撃。凍りつく一希。
 だって、そこにあったのは――。
 あんぐりと口を開けながらも、無意識のうちに一希は、静寂のなかでソーコの股ぐらに手を伸ばしてそれを引っ張っていた。
「い、痛い……」
 ソーコの懊悩に満ちたつぶやきが漏れた瞬間、一希はパッと手を離した。
 いきなり時間が動きだす。
「のえええええっ! ソ、ソーコちゃん男の子だったのっ?」
「うわ、ゆりの、おれの服で手を拭くな!」
「――ひどいよ、ゆりのちゃん……」
「アハハハハハ」
「まあ無理もないけど」
「だって、だって、男の子だって思わないじゃない! こんなにかわいいのに――」
 しばらくテントの中は上へ下への大騒ぎであった。

「んまー、そういうことだ」
 少しして落ち着いて、全員がふたたび腰を降ろしてから、改まった様子で恒夫が切りだした。
「こいつの家、大きな洋品問屋でさあ、まあいろいろ事情があって普段は女の格好して女のフリしてるってわけ」
 恒夫が、となりに座ったソーコの髪をくしゃくしゃにしながら言った。ソーコはまだ自毛のままだ。
「ウチの家、おばあちゃんの力がとても強いの。おばあちゃんが一代で大きくした家だから。ボク一人息子で、でもおばあちゃんは女の子の孫が欲しかったのね。それで、国民学校を出るまでは、ボクが女の子の代わりをすることになったの」
 ソーコは目を伏せたり、言いよどんだりしながら説明してくれた。
「まったく惣太郎は女顔だからなぁ、ぴったりの役目だよな。……あっ、こいつ本名は惣太郎っていうんだ。千草惣太郎。だからソーコなんだけど。――こいつの場合、半ズボン履いてても『お嬢ちゃん』って言われるからな」
 一希は改めてソーコ、いや惣太郎の顔をみた。たしかにかつらをつけていなくても、どうしたって女の子に見える。
「合唱団の他のやつらも、全員こいつのことは知っているし、親も承知の助なんだ。それでまあ、新団員が入ってくると、このことを知らせるのはヤマダ軍の役目ってわけだ」
「ねえゆりのちゃん……騙したりしてごめんね。いままで黙っていて」
 ソーコはいじらしいくらい申し訳なさそうな様子でいった。
「騙すなんて、そんな。全然そんなこと」
 どう考えても、合唱団でのソーコの立場に一番近いのは一希である。
「ホント? ボクのこと許してくれる?」
「許すも許さないも……わたしたちもう友達でしょ。昨日、寂光院さんの折檻から助けてくれてとってもうれしかった」
「ありがと! ボクもゆりのちゃんと友達になれてとってもうれしい」
 ソーコはパッと顔を輝かせた。本当に花開くという形容がふさわしい綺麗な笑顔である。
「ゆりのはいまやヤマダ軍の一員だから、おれたちとも友達ってことだぜ」
 恒夫が腕組みしながらもっともらしく宣言した。
「うん」
「それじゃあ、一応ここでヤマダ将軍から、ゆりの二等兵に訓示しておくかな。……ひとつ、女は度胸はあってもいいが、恥じらいの心を忘れてはならん」
「は……?」
「『は』じゃない。男のちんぽこを見せられて、声も上げずに、いきなり引っ張るなんてのはいかん。そんなことじゃ、早苗みたいな恥知らずのじゃじゃ馬になっちまうぞ」
「そ……そんな。別に、そんなの……」
 ソーコも苦笑をうかべている。一希は素でむくれたくなった。
「だいたい、霧島姉妹はどうもケシカラン。かなみの奴も、ここへ連れてきてソーコのちんぽこを見せたが、ひとことも声を上げなかった。いや、むしろまじまじと見つめていたぞ。姉妹そろって将来が心配される女どもだ」
「陰口言ってるのだあれ――?」
 全員がテントの入り口を振り向くと、かなみが顔をのぞかせていた。

==続く==


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