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すすめ!さざなみ児童合唱団

第四楽章 歌はよい子のお仕事(一)


作:赤目(REDEYE)



 五芒星と三日月があしらわれたその旗を、人々はいったいどれくらい目にしてきただろう。それがしめすのは、日の丸のあらわす日輪にくわえ、月と星々をも掌中にし、大日本帝国とともに天空すら支配しようという果てなき欲望であった。
 江戸城にほど近い有楽町・数寄屋橋界隈――。その旗を屋上の鉄塔にかかげたビルディングが偉容をみせている。アールデコからモダニズムまで、雑多な建築様式の断片を組みあわせたそのビルは、複雑な形状もあり時としてみる者に大海原をゆく戦艦をおもわせた。
 それもそのはず――その旗こそ帝国の官・軍・産すべての権力に食いこみ、さらに全国民をまきこんだ戦争遂行体制を根底からささえる企業の印なのだから。マスメディアといえば活字のほかはラジオしかないこの時代において、軍閥をうしろだてに報道と言論で巨大な影響力をふるう空前絶後の報道機関――その名を月星新聞社という。

 その月星新聞本社ビルの編集局では、前日夜から火事場のような騒ぎがつづいていた。『帝都、再び爆撃さる』『江戸城一部焼けるも我が方の損害軽微』『来襲の敵全機撃墜』――その日の朝刊におどった見出しである。この対米戦争のなかでもまちがいなく第一級の重大局面であった。
 外回りの記者や大本営からつぎつぎと入る電信や電話、それをうけて記事を書く記者たち、校正や組版のうちあわせ、そして軍服姿の将校と早口で語りあうデスクや幹部たち、それらの光景がもうもうたる紫煙と喧騒のなかでひろがっている。
 夜半におこった帝都空襲の記事は、なんとか朝刊の最終版の締めきりに間にあった。その続報と詳報をのせた号外を、軍部の意向や情報統制にしたがいつつできるだけ早く発行しなければならない。それが帝国を代表する新聞社としての責務であった。おそらくこのとき、月星新聞社は大本営とならんで日本で一番いそがしい組織であったろう。
 だが――そんな激務にたちはたらく人々のなかで、そこだけ時間がよどんだような奇妙な雰囲気の一角があった。編集局・第二文化部の奥まった席。そこにすわる男の前には、電気式蓄音器がおかれ、SPレコードが一分間七十八回転でまわっている。
 スピーカーからながれる子供たちのあいらしく清らかなうたごえ――。
 殺伐としたフロアのなかでここだけ異質の空間があらわれ出でていた。その音はまるで、猛毒の海に流しこまれる深山の岩清水のようであった。
 いくばくかの時――そして曲は終わり、男はしずかに針を位置へもどす。
 その口もとに浮かんだのは、しかし、すさんだような陰惨な微笑みであった。
 レコード盤のレーベルには、『うた:さざなみ児童合唱団』の文字がみえる。
 そして男の机の上には、社内資料用の分厚いスクラップ帳があった。
 開かれたままのページに何枚も貼られているのは、鈴原恵理子とさち子の写真だった。



 抱炉一希はひとり暖かな海をただよっていた。
 空は果てしなく青く、風はどこまでもやさしく穏やかだった。浮き輪につかまり入道雲をながめながら、なぜか身体が幼い時分にもどっていることも不思議とは思わなかった。
 波がちゃぷちゃぷと耳もとで鳴る。
 仰向けにただ空を見上げていると、海鳥がのんびりふわふわと視界をよこぎっていく。
 ふと自分をよぶ声をきき、一希がそちらを見てみると、ボートの上から大人が手招きしていた。それは一希の両親だった。
 一希はちいさな足を懸命に動かして、ボートに近づいた。
「あら、あなたはどこの子?」
 え?
「ウチの子は男の子よ。あなた女の子じゃないの」
 いや、これはちがう……
 だが見返さなくても、いまの自分の身体がかわいらしい水着に包まれた幼女のものであることがわかった。
 ボートは一希をおいて行ってしまおうとした。
 待って、これはちがう、ちがうんだから……
 どんどん遠ざかるボート。そして、浮き輪がパンクした。
 一希はゆっくりと海に沈みこみながら、やけに腰のあたりがポカポカと暖かなのに気づいた。溺れるのってなんだか気持ちいい……

「あっ」
 叫んで抱炉一希は飛び起きた。
 霧島研究所の所員寮の一室だった。
「あ……。あーあ」
 一希は腰から下が暖かく湿っているのと、下腹部のあたりになんともいえない爽快感があるのを感じて戦慄した。
 何かの間違いであってくれ、と思いながらおそるおそるふとんをめくってみる。
 やっぱり――。恐れていたとおりの事態がそこにあった。
 二十二歳にもなっておねしょとは、いったい研究所の人たちになんと言おう。もっとも身体は六歳前後の女の子なのだが。
「ふぇーん……」
 情けない声しかでない。その声も、子供のかわいらしい声であった。
 前夜、その幼い少女の身体で飲み物を摂りすぎないよう注意されていたのに、江戸城で空襲に巻き込まれての混乱と、この昭和十八年の世界が徳川皇帝のいる大日本帝国だったと知り、つい研究所に帰ってからも夜ふかしして話を聞きあさった。ルポライターとしての本能のようなものだ。そのときに暖かい飲み物を摂りすぎたのだ。
 いかなる運命のいたずらか、二十一世紀からこの時代に飛ばされて、すぐにこの霧島研究所へ連行された。そして極小確率攪拌装置という名前の異端科学の成果によって、幼い少女に変身させられてしまった――それがいまの一希だ。

 一希の世界の歴史とおなじく、決定的に劣勢となっている対米戦争の局面をなんとか挽回するため、変異現象学を応用した新兵器を開発するのが霧島研究所の急務であった。その鍵をにぎるとみられるパラメータ=変異励起確率のゆらぎが非常に大きいのが、なんとも不可解なことに、愛らしい子供たちの集団――さざなみ児童合唱団であった。童謡がほんとうに子供たちのもので、子供たちに愛唱されているこの時代において、開戦前から新作童謡をつぎつぎと歌い少国民のあいだで人気絶頂の合唱団である。
 そこへ“霧島ゆりの”として潜入し内情をさぐるというのが、この世界で身許引き請けと交換条件に一希へ課せられた任務であった。
 それにしても、まだこの時代に来て三日しか経っていないのに、“ゆりの”として若き未亡人と入浴したり、合唱団ナンバーツーの子に折檻されたり、“姉”の霧島かなみにレイプされそうになったり(のちに正体は一希と同じ世界からきた女流作曲家と知れたが)、江戸城では空襲に遭いあやういところを超人的な能力の忍者に救われたりと、すでに大変な経験をかさねつつあった。
 ルポライターとしてはトラブル・イズ・マイ・ビジネスだし、いま見聞していることはこの上なく興味深い出来事ばかりなのだが、あまりの濃密さに驚いたり反芻したりする時間さえまだなかった。
「これから、わたしどうなっちゃうんだろー」
 ふとんの上で座りこんだまま棒読みの児童劇団ふうにひとりごちてみてもしょうがない。
 いくら腕くみして首をかしげてみても濡れた下半身がどんどん冷たくなってくるばかりであった。


 子供たちの歌声の最後の余韻がきえると、相沢淳司は閉じていた眼をあけ満足そうにちいさな歌い手たちを見回した。
「うん、いまのは良かった。本番では、歌詞の意味によおく注意しながら、元気にかわいらしい声で歌ってみよう。みんな、お互いの声をよく聞いてね。そうすればまたきっとうまく歌える。JOAKのスタジオに着いたら楽団の人たちともリハーサルがあるからね」
「はい」
 じっと相沢を見つめていた子供たちが大きくうなずき返す。
「じゃあ、内幸町に出かけるまで時間があるから、それまで休憩しようか。おやつにしましょう」
 相沢がオルガンの前に腰を降ろして楽譜を片付けはじめると、整列していた子供たちもほっとしたよう列をくずして、床に座りこんだりストーブの前に移動したりした。
 緑濃い葵鼎寺境内にあるさざなみ児童合唱団の練習場。午後早い時間といっても三月の日差しは弱く、木造平屋の板張りの床はひんやりとしていた。
 だが一希はそんなことも忘れて、小さな歌い手たちの大きな音楽的実力に舌をまくような思いを味わっていた。霧島ゆりのとして、いまはスカートとブラウス姿で、頭には出がけに無理やり付けられた大きめのリボンを載せている。練習場の壁際に立ちながら、ざわざわし始めた室内をみわたして、この子たちはやはり日本屈指の児童合唱団だけあるな、と考えた。なぜって、主宰者の相沢から教えれたばかりの新曲を、みじかい時間の間に暗譜して立派な演奏へとしあげてしまったからだ。これからこの曲を持って、急遽出演がきまった夜のラジオで生演奏するのだ。
 一希がそんなことを考えていると、上から頭をやさしく撫でられた。
「ゆりのちゃん、ちょっと緊張しちゃった? むずかしく考えることはないのよ、すぐみんなといっしょに歌えるようになるから」
 そういってすぐ隣りからたおかやな笑みを向けてくる女性が、鈴村恵理子である。商売を手広く営む、この時代にはめずらしい女社長であり、合唱団の有力な後援者でもある。目鼻立ちのはっきりした、和服姿もりりしい人だ。
「そうだよ、どうせなら今だっていっしょに練習できたのに。ゆりのちゃんには、早く上手になってもらうの」
 一希のところまで来てそう話しかけてきたおかっぱの少女が、鈴村さち子。恵理子の娘で、この合唱団トップの歌い手だ。
「あ……あたしなんてダメだよー、まだ昨日入ったばかりだもん」
 一希はあわてて女の子をよそおって答えた。
「これこれ、さち子。あんまり無理をいっちゃだめでしょ」
 いいつつ、恵理子は子供たちのおやつの準備のため台所へむかった。
「でも指きりしたよね、寂光院さんとわたしといっしょに、三声のソロパートが歌えるようになるって」
「う……うん、ううん」
「?」
 さち子は不思議そうな顔をしたが、むこうで聞き耳を立てていたらしい背の高い巻き毛の少女が、ギロリと一希をにらんだのを知らないのだから無理もない。華族の令嬢である寂光院春江、さち子とともにさざなみ児童合唱団を代表する歌い手である。霧島ゆりのに敵愾心をもやしているらしい。
 そこへ、利発そうな女の子が藁半紙を持ってやってきた。
「さち子ちゃん、出かけるまでのあいだ、歌詞を写して復習しようと思うんだけど、いっしょにしない? ゆりのちゃんも来なさいな、どうせこの歌レパートリーになるんだから」
 室田早苗、さち子たちより学年が上で、面倒見のよい女の子だ。この合唱団の学級委員的な存在である。
「どけ、早苗! ヤマダ軍の行軍なるぞ」
 そういって横からしゃしゃり出てきたいかにもイタズラが好きそうな男の子が山田恒夫。早苗とは同学年でこの春国民学校四年生になる。
「ヤマダ軍、整列!番号!イチっ」
「二!」
 と言った髪がながい妖精のように可憐な子がソーコ。
「さん」
 ころころ太った男の子が答える。一希は初めてみる顔だ。
「よーし、全員揃ったな。わが軍は精鋭なり!惰弱なる米英の兵卒を蹴散らすぞ」
 恒夫はゴキゲンだ。一希に話しかけてくる。
「よう、ゆりの、そういえばこのデブの紹介がまだだったな。こいつは佐伯といって、あだ名は百貫デブっていうんだけどさ。その癖いつも居るか居ないかわからないようなやつなんだ。ちなみに昨日の練習もいたけどおまえも知らないだろ」
「い、いや、そんなことない」
 一希は必死に否定した。
「ボク百貫もないんだけど……」
 ぼそぼそとした佐伯の抗議を無視して、恒夫がつづけた。
「それはともかく、ただいまからヤマダ軍恒例の、新参兵くんれんと秘密作戦会議をおこなうー」
「ちょっとお、あんたたちまだそんな馬鹿なことやってるの? やめなさいよ、ゆりのちゃん小さいんだから」
「うるせー、わがはいはヤマダ軍の将軍なるぞー。民間人のじゃじゃ馬オンナなぞだまっておれー」
「ああ? なんですって?」
 口喧嘩が始まった。合唱団の少女たちから早苗に声援がとぶ。
 これがいつもの風景らしい。
 日本の他の児童合唱団と同じく、団員のほとんどが女の子であるこの合唱団において、男の子の地位はいつもあやういものである。
 一希が苦笑しそうになるのを必死でこらえていると、ソーコが近づいてきた掌をあわせた。
「ゆりのちゃん、ごめんね。ちょっとでいいからこのニュータイギシキに付き合ってくれる? 大事なおはなしがあるの」
「うん、いいよ」
 ソーコは、昨日初対面のゆりのを寂光院の折檻から助けてくれようとした。よい子だ。
「じゃ、森のなかへいこう?」
 ソーコは澄んだ瞳で一希を誘った。

==続く==


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