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すすめ!さざなみ児童合唱団

第一楽章 とこしえは刹那のなかに(二)


作:赤目(REDEYE)


(承前)


「いよいよ『時』は来たれり」
 重々しい〈声〉が空間を震わせて響く。
 どことも知れぬ場所。
 いつとも知れぬ刻限。
 霧の中に浮かぶ白亜の神殿の中で、十二の巨大な人影が円陣を形作るように立ち尽くしていた。
 最初の声に、同じく重低音域の声が答える。
「同意せり。資格ある『旅人』を再び選ばれし子らの前へと、選ばれし子らの時代へと、届けるべき『時』なり。……すべては大いなる祝祭歌曲の精霊のために」
 巨大な人影はゆっくりと頷きあうと、やがて声を合わせおもむろに天界の歌曲を歌い始めた。
 その限りなく重厚で聖なるハーモニーは全てを洗う波動となって、神殿を中心にして広大な時空へと広がっていった。
 もちろん、気高く幼い歌声が響く、あの時代、あの場所へも……。ふたつの旋律とハーモニーは世界の狭間で干渉しあい、時空を静かにしかし確実にゆがませて、ある奇跡を引き起こしていた。



 一希はふと視界が波打つようにまたたいた気がして、目をこすった。しばらく視界がぼんやりしたが、すぐに戻った。なんだろう? 寝不足のせいかもしれない。それにどうも舞台の様子が少し前と違っている気がしたが、一瞬の間に模様替えでもしたのだろうか。
 ステージでは、さきほどから既に何曲も童謡が歌われ、曲が終わるたびに大きな拍手が沸き起こっていた。
 鈴原は最初の一曲を子供たちと歌っただけで、あとは合唱の指揮に専念していた。その鈴原も、舞台の“早変わり”の模様替えとともに、袖に引っ込んでしまったようだ。ステージの上には姿がなかった。その代わり、いつの間にか丸眼鏡をかけた若い男が指揮をしている。やけに古風な背広姿だが、レトロファッションなのかもしれない。
 曲が終わると、男は客席の方を向いて、ちょっと緊張で固くなっている様子をみせながら喋った。
「みなさま本日は、私たちささやかな合唱団の歌を聴きにきてくださって、有難うございました。最後は、鈴原さち子の独唱を取り入れた新曲の童謡で、『里山の夕べ』です」
 盛大な拍手が鳴り響く。
 また白いローブ姿の鈴原が舞台に現れるのかと思った一希は肩すかしを食らわされた。
 合唱団の中から、十歳にもなってないようなオカッパ頭の可愛い女の子が進み出て、マイクの前に立ち、ちょこんと頭を下げると歌い始めたからだ。澄んだ、ひたむきな声であった。歌唱法こそ洗練されていないが、声量はかなりのもので、発声も音程も正確な心地よい歌声だった。
 同じ名前の子が合唱団にいたんだな、と一希は思った。
 現代風の歌い方ではないが、却って童謡にこんな歌い方は合っている気がする。面白い試みだった。
 しかし一希は首を捻っている。
(『里山の夕べ』が新曲だって? 有名な童謡のはずだが……。アレンジがかなり古風だから、そのことなのか)
 最後は子供たちの斉唱となり、歌は終わった。
 歓声がひときわ大きくなり、丸眼鏡の男と合唱団の子ら全員が揃って頭を下げると、それでイベントは終了らしかった。場内に明かりがつく。
 よし、早めに楽屋へ行って落とし物の時計を届けるか。一希は伸びをして、椅子から立ち上がろうとした。そのまま中腰になって静止してしまう。
 なぜって、周囲の観客たちの服装の異常さに気付いたからだ。
 男も女も、大人も子供も、なぜかみんなあの舞台の指揮者と同じようにレトロな服装をしていたのである。和服姿もかなり多い。ここは仮想パーティーの会場だったのだろうか。
 気のせいか、周囲で帰り支度を始めた人々は、逆に普段着で「仮装」していない一希を、それとなく不審気に見ているようだ。
 おかしいな、こんな服装の人たちばかりだったか? どうもまずい場所へ迷いこんだらしい……。
 一希はほうほうの体でそこを離れたが、芸妓や武士姿の人々とまですれ違ったのにはただただ驚くしかなかった。武士に至っては、腰のものを完備しているのはもちろん、きちんと髷まで打っていた。かつらには見えない。かなり本格的な仮装である。
 一希はホールの廊下へ出て、またもや内装の変化に戸惑いながらも、混雑をかき分けて楽屋への入り口を見つけ、ドアの前に立っていた係員らしき男に用件を告げた。鈴原の名前を出すと、男はすぐにそこを通してくれた。
 だが一希は気付かなかったのだ。そんな一希を、柱の陰から鋭い目で見つめる一人の娘の姿を。日本髪に華やかな着物姿の娘は、どう見てもお茶屋の『看板娘』という出で立ちであった。色白でまだ幼さの残るような顔立ちだったが、それだけに氷のような冷たい眼が不自然だった。
「そちらの様子はどうかしら」
 娘の後ろから、同じような『看板娘』が声を掛ける。
「どうやら一人、該当者を見つけたわ。霧島博士の言っていた通りよ」
「それ、本当? すごいじゃない。やったな、早く身柄を確保しようぜ」
「ばかねえ、言葉遣いに気をつけなさいよ。いまあなたは娘っ子なんじゃないの?」
「そ、そうだったわね。とにかくそっちは後を追いかけて。あたしは他の子を呼んでくるから」
「うん、わかったわ」

 楽屋は関係者でごった返していたが、すぐにさざなみ児童合唱団の大部屋を見つけることができた。楽屋口をくぐった時から、子供たちのはしゃぐ声が一希の耳に飛び込んできたのだから、まあ間違えようがない。
 部屋の前まで来ると、一希は入り口近くにいた女性に声を掛けた。
「すいません、ちょっといいですか」
「はい?」
 女性はスタッフらしき人と話していたのを中断して、一希の方を見た。
 意志の強そうな顔立ちの、それでもどこか楚々たる印象のあるひとであった。この人も和服姿だ。結った髪とうなじの後れ毛が艶やかである。
「私、抱炉一希という者ですが、鈴原さち子さんをお願いしたいのですが」
 一希は、さち子が桐箱の中身のことを他人に知られたくない場合を考え、とりあえず用件を伏せて訊ねた。
「さち子でしたら、ウチの娘ですわ。ご用件でしたら伺いますが」
 どうやら合唱団員の方の、あの最後に歌った女の子の母親らしかった。女性の年齢は三十前といったところだろうから、計算も合う。
「いえ、女の子の方ではなく、子供たちから先生と呼ばれている、あのふくよかな……」
「この合唱団には、そのような方はおりませんが。鈴原さち子は、ウチの子一人です」
 女性はちょっと不審そうに一希を見た。
「……こちらは、『さざなみ児童合唱団』で良いのですね?」
「はい」
 今や、スタッフの男性も一希の方へそれとなく警戒の視線を送ってきている。
 どこで間違ったのやら……。たぶん、鈴原の名前を聞き違えていたのだろう。こうなったら、一部始終を話すしかなさそうだった。
「実は、ここに来る途中の街路で、合唱団の子たちと一緒だった『鈴原先生』と呼ばれている女性と衝突してしまって、その時……」
 そう言って一希が桐箱をバッグから出すと、女性は「まあ、これは……」と驚いて、一希が止める間もあればこそ、それをもぎ取るようにして手中に収めると、箱を開けて中身を取り出した。
 金の懐中時計。蓋を開けて、「鈴原さち子」の名前を確認する。
「間違いありません、ウチの子のものです」
「え、でもそれは……」
「失礼しました、さち子が落としたものをわざわざ届けて下さったのですね、本当に有難うございます」
 女性は一希が申し訳なくなるくらいに恐縮し、何度も頭を下げた。
 とすると、この時計は本当に子供の方のさち子の物なのだろうか。そうかもしれない。あのとき倒れ込んできた子たちの中に、あのさち子もいただろうから。
「申し遅れました、わたしさち子の母の恵理子と申します。……さち子、こっちへ来なさい」
 そう言って恵理子は子供のさち子を呼んだ。
 あのおかっぱ頭のかわいらしい女の子が、部屋の奥からやって来た。
「さち子、あなたお父様に頂いた大切な懐中時計を落としたでしょう」
「……え?」
 さち子は母親を見上げて、きょとんとした。
「まったくこの子は、全然気付いていないんだから。こちらのお兄様が届けてくださいましたよ。お礼を言いなさい」
 さち子はちょっと気後れした様子で、しかし精一杯言われた通りに、「ありがとうございました」と言って頭を深々と下げた。しかし顔を上げたあとも、ちょっと身の置き所のないような様子で、母親の腕を取り一定の距離を置いて一希を見ている。
「ごめんなさい、抱炉さんとおっしゃいましたわね? 抱炉さん、ウチの子は歌は少しできるんですけど、人見知りが激しくて。というより、礼儀も知らないような子で、本当にもう」
「いえいえ……」
 そう言ったあとも、一希はそのさち子の顔を間近で見て、奇妙な感覚に捉えられていた。どうも似ているような気がするのだ。あの、先生と呼ばれていた鈴原さち子と。もちろん年齢は六十代と七〜八歳とで大きく違うし、性格も開放的な感じと引っ込み思案とで正反対だが、どうも目のあたりの雰囲気が他人とは思えないほどに同じだった。いや、もし他の人に訊いたら賛成してくれないかもしれない。ルポライターとしての直感といってもいい。
 少しそんなことを考えていた一希の目の前に、恵理子の艶やかな顔がどーんと迫っていた。
「とっ」
「抱炉さん」
 恵理子はしっかと一希の手を両手で握りしめ、一希の目を見ながら言った。
「ぜひ、お礼をさせて下さいますわね? こんな大事なものをご親切に届けて下さった方に、たいへんなご無礼をいたしました。これでは鈴原の家が笑われてしまいます。お礼をさせて下さいますわね?」
「いえいえ当然のことをしたまでですから、お礼には及……」
「抱炉さん」
 恵理子は有無をいわさない調子だった。一希は頭を抱えたい気分である。なんとかこの展開から逃れようと、一希はいま考えていたことを口にした。
「それより、つかぬことを伺いますが」
「はい?」
「さち子ちゃんのお婆さまか叔母さまで、今日この会場に来られた方はいらっしゃいますか? とてもよく似た方をお見かけしたもので」
 一希はとりあえずあの鈴原が“出演”していたことはボカした。
「いえ、今日は来ていないはずですわ、わたしくが知る限りでは……。本当ならさち子の晴れ舞台に、田舎から孫の顔を見にすっ飛んでくるのでしょうけど、ほら、こんなご時世でしょう。アメリカとの戦争もいつ終わるかわかりませんし、世の中だってどんどん荒れてきているようで……」
「アメリカとの戦争? 戦争……ですか? またアメリカがどこかの国に攻め込んだのですか」
 一希は、コンサートに興じるうちに、そんな臨時ニュースを聞き逃したのかと思った。
「はい、残念ながらわが国の戦線は玉砕につぐ玉砕で、どんどん海外の占領地域を失っておりますわ。今朝も新聞によると東南アジアの島でまた万歳突撃があったとか……」
 一希は目をしばたいた。これは一体なんの話だろう? 日本がアメリカと戦火を交えている、とでも言うのだろうか。まさか第二次世界大戦中でもあるまいし、そんな……。
 第二次大戦中?
 一希はふとコンサートが始まった直後、ステージ上で司会者が言っていたことを思い出していた。
 確か、さざなみ合唱団は戦時中にもあって、その時代から鈴原さち子は合唱団で歌っていたと……。
 まさか。
 確かに辻褄は合う。観客たちの古臭い服装やら、舞台の様子がいつの間にか変わっていたこと、昔からある童謡が新曲として紹介されたこと、云々……。
 いや、しかしそんな。たぶん担がれているか、何か大きな勘違いをしているのだろう。
「抱炉さん?」
 突然黙り込んでしまった一希を、恵理子が気遣わしげに見ている。
「あ、ちょっと」
 一希は傍らを通り過ぎようとしていた男を呼び止め、手に持っていた新聞を見せてくれないか、と頼んだ。男は承知した。
「これは、今日の新聞ですね」
「そうだよ」
 礼もそこそこに一希が新聞の日付を見ると、そこには「昭和十八年三月十日」とあった。
「あのう、ちょっとよろしいかしら」
 いきなり一希の肩が後ろからポンと叩かれた。
 一希が振り向くと、そこには茶店の看板娘、としかいいようがない出で立ちの若い女数人が並んで立っていた。声を掛けてきたのは、中央のまだ幼さの残る娘である。
 一希は何かおかしな気配、具体的には威圧感や殺気のようなものを感じながら、それでも努めて冷静に返答した。
「はい、何か」
「ちょっとわたしたちに付いて、あちらまでご足労願えませんこと?」
 娘は楽屋の外を指差した。
「いま、私はこちらの女性に用がありますので」
「用があるのはわたしたちも一緒よ」
 娘が打って変わって恐ろしい声でそう言うと、そこにいた女たちが一斉に一希に飛びかかってきた。
 突然、楽屋の中は悲鳴やら怒号が飛び交う大混乱の状態になった。
 一希は精一杯抵抗したが、多勢に無勢、しかも相手の力が女にしては異常に強かったこともあって、たちまち抑えこまれてしまった。
 暴れる一希に、ズダ袋が被せられようとしていた。
 ふと、抵抗する一希の手が、あの幼な顔の看板娘の髪を掴んだ。それがなぜか、ぐい、と手前に引っ張るような格好になってしまう。
 すると、娘の顔がぐにょりと歪んで、その皮膚が信じれないほど伸び切ると、すぐに簪を差した頭髪ごとズルリと剥けてしまった。一希の手には、首筋まである娘の生首から皮を丸々剥いだとしか思えない代物が残った。眼窩がぽっかりと穿っている。
 一希が驚いて相手を見れば、その下には頭全てを黒っぽい布で覆った男の顔があった。男はすぐに目だけ残して顔面全てを同じく布で隠してしまった。
「に……忍者?」
 呆然とした様子で、一番それらしい相手の正体を一希が口にすると、男は忌ま忌ましそうに舌打ちして、女物の着物を脱ぎ捨てた。全身黒装束で、まさしく忍者としか言いようがない姿が現れる。骨格を変えて女の体型を作っていたらしく、全身がボキボキ音を立てると、身長が伸びごつい男の身体に戻った。
 それを合図に、他の『娘』たちも一斉に自分の顔から偽の皮膚を剥ぎ取り、忍者の姿を現した。
 また新たな悲鳴が沸き起こる中、忍者の一人が何か薬品を染み込ませた布を、一希の口にあてがった。
 一希は意識が遠のくなか、身体がズダ袋に入れられ担ぎ上げられるのと、悲鳴や怒号の向こうから恵理子の叫ぶ「抱炉さん、抱炉さんっ」という呼び声だけを聞いていた。

==続く==

●作者から
 我らが主人公はいったいどこへ。作者だけが知っている(←当たり前)。


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