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すすめ!さざなみ児童合唱団

第三楽章 いまそこにある非常時(七)


作:赤目(REDEYE)



 警報のサイレンが鳴った途端、あたりの空気は一変してしまった。
 単に敵機来襲へ備えての動きが人々の間で慌ただしくはじまったというだけではない。大気のなかに、緊張と切迫がざわざわと波うち満ちて来、それは瞬く間に息苦しいほどとなった。
 一希は、小さな身体を芯から震わせて、思わず低く雲の立ちこめる夜空を見上げていた。
 爆撃の目標とならないよう江戸城の照明が次々と落とされていくなか、サイレンの最後の余韻が重くよどむ空気の中に消えようとするとき、やや呆然としていた井上が我にかえり叫んでいた。
「米軍が来る。抱炉さん、仲町さん、こっちへ。近くのビルヂングに防空壕があります」
 井上が一希と多貴子の手を取って、避難する人々に混じり小走りに道路を横断しはじめた。
 その時である。ビルの谷間を縫うようにして、かなり低空にずんぐりとした黒い鉄の塊がぬうっと現れたのは。プロペラエンジン二機のたてる音が不気味な響きとなって機体にまとわり付いている。それは獰猛な獣の不機嫌なうなり声のようであった。
「しまった、こんなに早くっ。二人とも伏せて」
 井上の叫びに、一希と多貴子は路上へ突っ伏した。そこへ井上が、ふたりを庇うように身体を投げだす。
 次の瞬間、上空から機銃の吠える音が響き、地上に弾丸のめり込む音が連続した。わあっ、と悲鳴が上がったところをみると、逃げ遅れた人々が犠牲になったらしい。
 双発機のエンジン音が頭上を通りすぎるのを待って、一希が身体を起こそうとしたとき、井上が鋭く「まだです」と叫んだ。
 機銃掃射をやり過ごした人々が立ちあがり駆けだす気配が離れたところでしたが、その刹那ふたたび機銃の音がして、幾人かの倒れるのが目に入った。
「な、なんで……」
 多貴子が呆然とつぶやいている。
「あの機影はノースアメリカンB25です。昨年、ミッドウェイ海戦の前に帝都へ最初の爆撃にきたのと同じだ。B25はほかの多くの爆撃機と同じく尾部にも旋回機銃があるんです」
 身体を起こした井上から差しのべれた手を握りつつ、一希は自分でもなんでこんな時に――と可笑しく思いながら、確かめるように疑問を口にしていた。
「昭和十八年三月に東京空襲があったという記録は、おれたちの世界にはない。十七年のゲリラ的空襲のあと、次に空襲が始まるのは十九年初頭のはずだ。くそっ、やっぱり歴史が違ってるってわけか」
 一希たちを襲ったB25は、そのまま江戸城の上空まで進攻し、爆弾を次々に投下していた。それはたちまち爆発し、大きな火炎を上げてゆく。
「やられた……。米軍め、今度は帝国の要たる江戸城を狙ってきたか」
 井上は歯軋りしつつも、いまの自分の役目を忘れていなかった。
「さあ、ふたりとも早くこっちへ。来襲したのが一機だけとはとても思えない」
 その通りだった。道路を駆けながら一希が後ろを振り返ると、北方と南方から交差するように飛来した機影が、やはり江戸城を襲っていた。次々に爆発音が上がり閃光がはじける。火災も起っているようだ。
 ここにきてようやく江戸城の探照灯がいくつも点灯し、高射砲が火を吹き始めた。“皇居”と同じく北方の区画に陸軍の近衛連隊があるのだろうか? そのあたりから必死の反撃が行なわれていたが、低空飛行をつづける比較的運動性能の高いB25をなかなか捉えきれずにいる。
「陸軍航空隊は何をやっているんだ! これでは江戸城が攻められるままだ。空襲警報発令も遅すぎる。大本営の大失態だ」
 ようやく防空壕のあるビルの目前まで辿りつき、井上が悔しそうに吐きすてた時である。
 まるで悪意の闇から湧き出た怨霊のように、新たなB25が前方にぬうっと現れた。かなり低い飛び方だ。間違いなくこちらに気付いている。
「まずい! 隠れて――」
 井上が叫ぶか叫ばないかのうちに、機銃掃射の着弾列が一希たちを狙って道路を迫ってきた。
 恐怖で身がすくむ。
 一希は刹那、観念の臍をかためた。
 だがそのとき、一希たちに向けて透けるように薄い布が投網のようにサッと投げ掛けられた。
 機銃の弾丸は布に達すると、不思議なことにそこでのろのろと動きを止め、とりもちに掛かった羽虫のように二・三度もがくと、ブレたような影を残しゆらめきながら消え去った。
 一希は目の前でおこった現象を信じられないように見つめている。
 その布状のものは地面に落ちず、ふわふわと空中を漂って半径数メートルの丸天井を形づくっていた。
 そして頭上を飛び去ってゆくB25に向けて、なにか鈍く光る物体が地表から飛び、それは後部機銃座のキャノピーを叩き割って機内に飛び込んだ。一希たちをさらに狙おうとしていた銃口がガクンと落ちたところをみると、機銃手に致命傷を与えたに違いない。
 ふと気付くと、一希たちの後ろに桜色の着物姿の娘が立っている。
 紅葉であった。紅葉は手裏剣をふところに入れると、振り向いて微笑んだ。
「危ないところでした」
 その時ようやく一機、迷彩色の隼戦闘機がたった今のB25を追いかけ頭上を駆けぬけていった。
 一希たち三人は運命の急転に言葉もない。
「あ、有難うございます。しかしこれは一体どんな――」
 一希はようやく言葉を絞り出した。
「忍法おぼろ霞み、ですわ。この中にいれば安全です」
 まだ信じられないという顔をしている一希に向かって、紅葉が面白そうにいう。
「二十一世紀には忍びの技は残っていませんか、抱炉さん。べつに不思議でもないでしょう? 貴方だっていま極小確率攪拌装置の力で子供の姿になっているんですもの。あの装置は忍びの秘術を応用再現したものです。たとえば――」
 というと、紅葉は右腕を上げて目の前の壁紙でも剥がすような仕草をした。
 その途端紅葉の姿がゆらゆらと揺らめき、くずおれる。
 足元にのたうつのは、等身大の和紙に描かれた日本画へと姿を変えた紅葉であった。
 そこ、たった今まで紅葉が存在していた場所に立っていたのは、全身黒装束の忍者――としかいいようのない人物だった。細身ではあるが筋肉質の体格は精悍で、忍び頭巾からのぞく目は涼しくもするどい。
「――纏い絵の術」
 そう言った声は、たしかに男のものであった。
 一希は息苦しいような不可思議の思いに圧倒された。それは呆然と立ち尽くしている多貴子も同じだろう。目の前で魔法を見せられたも同然であった。
「やはり変化の技をお使いでしたか」
 井上だけは感心しきって唸っている。
 江戸城を狙うB25は九機に増え、それにくらべて迎撃の陸軍機は緊急発進が間にあわず数で及ばぬばかりか技量不足で、まだ一機も撃墜できず苦戦中のようだ。これらの爆撃機は発見されにくい夜間を狙っておそらく太平洋上の空母から飛び立ったものだろう。空襲警報発令が遅れたところをみれば、帝都市街の爆撃は行なわず、一直線に枢軸たる江戸城をめざして飛来したと思われる。命知らずの電撃作戦であり、それを遂行する米軍兵は手強い精鋭揃いであった。
「もう時間がない」
 忍びの者は閃光と火炎でただれるような夜空を見上げながら言った。
「私には、あなたがた三人を守らなければならないのと同時に、命に代えても必ずお守りしなければならない方がいる。あの陸軍航空隊の弱卒ぶり、このままでは皇帝陛下の身にも危害が及びかねない。私は全力でB25を叩いてみようと思う。――井上さん」
「はい」
「この時間は霧島研究所で極小確率攪拌装置の全力運転試験を行なっているはずだな」
「えっ?――そのとおりです。よくそんな研究所内だけの予定をご存知ですね。灯火管制が掛かっても関係ないし、たとえ停電しても自家発電で試験は続きますよ」
「そうか。それに加えて、いまここに変異励起確率のたかい、別世界からの客人が二人いる。これらの条件と私のささやかな修行の成果があれば、忍びの秘術も成功する可能性がおおきかろう」
 そういうと忍びの者はおぼろ霞みの丸屋根の外へ出、忍び袋から伸縮式の金属棒を何本か取り出すとなにかの骨組みを素早く組み立てはじめた。
「紅葉さん――いや、なんとお呼びしてよいかわかりませんが――とにかく、さっきのB25が戻ってくるようです。隠れてください」
 井上が叫んだ。
「大丈夫だ」
 忍びの者はそういうと、畳一畳ほどの骨組みに、やはり袋から出した金属光沢のある布をサッとかぶせ、細長い凧のような形のものを作りあげていた。
 それを地面に横たえると、その上に飛び乗って、深呼吸をひとつする。
 眼を閉じ、両掌をつかって胸のところでつぎつぎと結印した。
「臨−兵−闘−者−皆−陣−列−在−前」
 一希は声もない。これは真言密教の呪術の作法であった。この男はいったい何をしようというのだろう。徒手空拳のまま米軍のB25に本気で立ち向かうつもりなのか。
「戻ってきた! 危ないっ紅葉さん」
 井上が声をあげる。
 一希は瞬間自分の眼をうたがった。
 紅葉を乗せた凧が、地面から数十センチほど浮かんだように見えたからだ。
 B25の前部機銃が火を吹いた。
 同時に、紅葉が煙幕弾を地面に投げ、それが爆発してあたりが白煙に包まれる。
 白煙が晴れたとき、一希は信じられないものを空に見た。
 凧に乗った紅葉が空を飛んでいる――。
 いや、そうではない。B25が頭上を通過する瞬間、紅葉が鉤縄をなげて機体にからませ、その力を利用して空へ舞いあがったのだ。
 それでも、とても常識では考えられない光景であった。
 水上スキーのような格好でB25に引っ張られたまま、紅葉が何か投げたのが地上からもわかった。突然B25の右のエンジンがおかしな音を立て始める。ついで左。紅葉が金属製の投網をプロペラに絡まるように投げたのであった。
 推力を失って不安定な動きをしはじめたB25から、紅葉は鉤を外して自分から離れた。
 そこへ――。
 二〇mm機関砲が一閃し、半身不随のB25に止めをさした。
 爆発し墜落してゆく敵機を見送るのは、海軍航空隊のゼロ戦であった。機体の日の丸が夜目にもまぶしい。
 ゼロ戦は上昇反転をかけて、次の獲物へ猟犬のごとく向かっていった。陸軍の隼と動きがまったくちがうのは、パイロットの腕の差か。
 紅葉はどうなっただろう――。
 たぶんパラシュートで地上に帰ってくるのだろう、と思っていた一希は、今度こそ自分の正気を疑った。
 紅葉は、あの凧に乗ったまま、まだ大空を駆けていた。
 あちこちで起こる火災の照りかえしや、サーチライトや照明弾の光で、あるときは大空を滑るように、またあるときは落ち葉のようにジグザグに滑空する紅葉の姿が、地上からも時折見えた。
 それはまるで、天空の世界で風という波に乗るサーファーのようであった。
 爆薬を仕込んだクナイを何本も打ちこまれ爆裂四散するB25。奇怪な技で造り出された人工エアポケットに落ちこんでそのまま失速墜落するB25。すべて紅葉がやったことであった。
 これが忍者の戦闘能力らしい。
 そして一希も認めざるをえなかった――この世界に存在する忍者とその魔法がごとき忍術を。
 これこそが一希たちがいた世界とは、なかんずく天皇制の帝国日本が経験した太平洋戦争とは、決定的に違う因子であった。
「ねえ、聞こえない?」
 多貴子が、うっとりと呟いている。
「合唱がながれてる――」
「えっ?」
 井上が不審そうに多貴子を振りかえる。
 してみると幻聴ではないのだろう。それは一希の耳にも届いていたからだ。凶々しくも耳をつんざく戦場の騒音の向こうから、まちがいなく染みとおるように、無伴奏の重厚な合唱の調べが天上より降ってきていた。
 一希は空をふりあおいだ。
 荘厳な光景がある。



 どことも知れぬ場所、いつとも知れぬ刻に集う、十二の巨大な影。霧のなかで、いま影たちは満足そうに内奥の昂ぶりを解こうとしていた。
 たったいま、歌いおわったところだ。
 影たちの歌声は重なり絡みあい崇高なる合唱となって、さざなみのように幾多の世界へとひろがり、そこに在る森羅万象をたしかに洗ったはずであった。その調べの届きしものこそ幸いなり。
「これで、選ばれしものどもが揃ったようだ」
 影のひとつの声がした。
「ああ、そしてあらゆる事象がひとつの調和へむけて収束しつつすすみゆく」
「そう、それこそがただひとつ」
「すべては祝祭歌曲の精霊のために」
 影たちの全身を歓喜がつらぬいた。

==第三楽章 終わり==

●作者より

 さて、ここまでお読みの皆さんにはおわかりの通り、かなりの大風呂敷を拡げてしまいました。まあ、底に穴の開いた大風呂敷であろうとは思いますが(笑)。なにはともあれ、ようやく三章終わりにして基本的な世界観や設定を語り終えました。ここまでが事実上の“プロローグ”で、ここから本当のシリーズが始まるということになっております(我ながら随分のんびりしてる)。この先一体どうなることか。皆さまからの心よりの応援お待ちします。


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