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すすめ!さざなみ児童合唱団

第三楽章 いまそこにある非常時(五)


作:赤目(REDEYE)



 自分でもおどろいたのだが、寂光院春江の姿をみると、一希は身がすくむような思いがした。背が高い寂光院は、今のちいさな“ゆりの”としての体躯からすると充分大人に感じられたし、あの折檻の件もあって、どうしても肉体的な脅威をおぼえるらしい。
 そんな一希の様子をみて、恒夫が「どうしてそんな弱気になってんだ」と言ってきた。
「アイツの前でそんなビクビクしてて、お前これから合唱団でやってけるのかよ。だいたいそんなヤワな心持ちじゃ、少国民として米英とだって闘えやしない。ここはひとつヘビ女をギャフンといわせて、キッカリお返ししておいたほうがいいんだよ。――まあ心配するなって、おれがうまくやっておくから」
「えっ? ちょっと待って山田くん、あたし別にそんないい……」
 抵抗する一希を、さち子が止める間もあらばこそ恒夫が手をにぎりぐいぐい引っ張っていく。振り向けば多貴子と井上は、さっきの風呂の件だろうか売り場の隅で揉めているようだった。
 声をだして抗っていたせいで、寂光院に近づくかなり前に、こちらを見つかってしまった。こうなると、恒夫に引きずられていてはよけい不審な眼でみられてしまう。一希はしゅんとして恒夫と一緒にそちらへ近づいていった。
「……な、なにをする気よ、山田くん」
 おそるおそる一希が小声で訊く。
「うん? おれのポッケの秘密兵器入れにしまってあるものを使うんだ」
 いいながら恒夫は小さなブリキの筒を出して、蓋を少しあけ中をのぞいた。
「空気穴あけてなかったけどたぶん大丈夫だ。フトコロで暖めていたからな」
「空気穴? ちょ、ちょっとへんなこと……」
 そうこうしているうちに寂光院のところへ着いてしまった。恒夫はさりげなくブリキ筒をポケットに収めている。
 寂光院はさきほどから冷めた眼でこちらを見ていた。その大人びた瞳でみつめられると、一希は心まで本当の小さく無力な子供になってしまった気がして、すぐにでもどこかへ消えてしまいたくなった。
「よう、寂光院さん。偶然だね」
 わざとらしく恒夫が声をかける。
 だがそれに答えたのは寂光院の隣りにいた白髪の男性であった。
「ああ……確かさざなみ児童合唱団の山田くんでしたな。今日はお買い物かな」
「じいやは黙ってて」
 横から寂光院がピシャリという。じいやと呼ばれた男性はニコニコしながら少年少女のやりとりを見守る顔になった。
「山田くん、あなたはもう少し礼儀というものをわきまえたほうがよろしいと思いますわ。いくら女子が大半の合唱団で男子のパートが重要といっても、おのずから合唱団のなかの序列というものがあるのですからね」
 寂光院は芝居がかった仕草で腕をくみ溜息をついた。
「それからそちらの大きなリボンのおチビさんも」
 ギク、として一希は首をすくめる。
「お外で目上の団員を前にして、挨拶ひとつできないようでは、霧島の家もさぞお困りのことでしょう」
「……じゃ、寂光院さん、ご機嫌よろしゅう」
 おそるおそる一希は挨拶した。
 だがその怯えた様子が気にいらなかったらしく、寂光院春江にまた睨まれてしまった。
「あのですね、寂光院閣下」
 敬礼しながら、恒夫がいう。
「こちらの霧島ゆりの二等兵が、閣下におはなしがあるそうであります」
「山田くん、ふざけていらっしゃるのかしら」
「そんなことはありません、閣下。……な、ゆりの二等兵、お話があるんだよな?」
 一希は抗議しようとしたが、恒夫が目くばせしていたのと、背の高い巻き毛の少女のきびしい視線に晒されて、むげに否定できなくなってしまった。
「あ……ええと……あの、その」
 モジモジしていると、さらに巻き毛の少女の視線は険悪になってゆく。
 なにか言わなければ、と思ったが、頭の中がカラっぽになってしまい、言葉が出てこない。
「じゃ、寂光院さん……練習場では、いろいろとその……有難うございました。ゆりの、たくさん教えていただいて、本当に……か、感謝の気持ちが。しょ、将来は寂光院さんくらいお歌がうまくなれたら……いいなって」
「そうですわね、あたくしと同じくらいというのは絶対無理としても、あたくしや諸先輩の言いつけをよく聞き、特に相沢先生のご指導を心から受けとめて励めば――」
「ねー寂光院さん」
 いつのまにか寂光院の後ろに回り込んでいた恒夫が話しかけた。
「なんですか山田くん。いまゆりのさんのお話をきいているところです」
「肩の上にカエルが載ってるよ」
「なにをバカな――」
「ゲコッ」
「ぎやあつ」
 スキを見て、恒夫がブリキ缶から出した小さなアオガエルを寂光院の肩に載せたのであった。
 一希はその瞬間をはっきりみた。寂光院春江が腰を抜かし、世にも恐ろしい形相で股をひろげスカートの捲れ上がった姿で床へペタンと座り込んでしまうのを。
 当然、売り場中が上や下への大騒ぎになった。
 その間中、恒夫は大笑いしていた。
「見たかよゆりの、寂光院のあの顔。カタキは討ったぞ、愉快ゆかい、あははははは」
 なんという悪餓鬼だろうか。一希はこの少年の行動にあきれるのと同時に、寂光院に悪くはあったがいっそすがすがしい気分になるのを抑えることができなかった。
 どうやら、子分になってあげるしかないらしい。
 結局逃げ出したカエルはさち子が器用に捕まえて恒夫のブリキ缶に戻し、事情を知った恒夫の親がその場で謝罪して、なんとか収まりがついた。恒夫は売り場の隅でズボンの上から尻を叩かれ悲鳴をあげることになったが。
 寂光院春江が今後どう出てくるか考えると不安にならないといえば嘘になるが、起こってしまったことは仕方がない。
 閉店時間がきてそのまま一希は井上たちと城木屋をあとにした。

「ほら、ほら、これだよ」
 繁華街で遅い夕食をすませたあと、偶然通りかかった閉店間際の本屋の軒先にならんでいた雑誌を指して、多貴子がいった。
「――さち子ちゃんたちが載っている雑誌は」
 一希がみると、女の子の絵が多色刷りで印刷された表紙の雑誌で、タイトルは『月刊 少女の玉手箱』となっている。さっそく手にとりパラパラめくってみると、裁縫や礼儀作法の実用記事、挿絵が多めの小説などにまじって、かなりのページを割いて童謡の歌詞と譜面が紹介されており、そこに童謡歌手として鈴原さち子と寂光院春江の白黒写真が一枚づつ載っていた。紙質こそ悪く鮮明な写真とは言い難いが、それでもさち子と寂光院のふたりが着飾った姿でポーズを取り、せいいっぱい気取った顔をしているのがわかる。
「わあ……」
 一希は、微笑ましいのと驚きで、思わず声をあげてしまった。
「すごいだろ、この扱い。二人とも今や全国の少女たちの憧れのマトになりつつあるんだよ」
 それでも写真のさち子は、こういうことに慣れていないせいか、かなり緊張しているように見受けられた。
「ええと、“ゆりの”ちゃん向けに解説すると、少女童謡歌手はさち子ちゃん達の他にもたくさんいて、大日本帝国では小さな女の子たちの間でその歌とともに絶大な人気を誇っているんです。非常時ですから雑誌の数は減りましたし部数も抑えられていますが、斯様な少女向け雑誌は他にも多く出ていて、そのどれもが童謡記事といえば定番ですよ」
 井上がつけ加えた。
「まあつまり、戦後でいえばアイドル歌手みたいなもんだな。もっとも、年齢層は低いし、異性のアイドルにミーハーファンという構図でもないが。ちなみに抱炉くんとあたしの世界だと、高度成長期が始まるころまでは、まだ童謡と少女歌手は人気があったよ。その後は廃れたけどな」
「なるほど……さち子ちゃんが自分の“お姫さまな格好”を心配していたのは、こういうことだったんだ」
「そうそう、どんどん取材依頼が入っているからね。その度に衣装を着て写真を撮られたり、インタビューされたりするから、なかなか大変なのよ」
 多貴子はそう言いながら、『少女の玉手箱』から他の少女雑誌、さらに戦後の低俗なカストリ雑誌を思わせるものまで何冊かかき集めた。
「じゃあ、これを可愛いゆりののために買ってやろうかな」
 そう言いながら多貴子は一希の頭を撫でた。一希が多貴子の顔を見上げると、明らかになにかを期待している笑みがそこにあった。目くばせしている。
 一希は多貴子の考えに思い当たり、深い深い溜息とともに逃れられない運命を悟ると、仕方なく小さな女の子になりきって、身をよじって甘えた声をあげた。
「おねーちゃん、ゆりのこの御本が欲しいのぉ。買ってかってぇ〜、買ってくれなきゃ、ここを動かないからぁー」
 多貴子の顔がにしゃにしゃと蕩けた。
「んもー、本当にしょうがない子なんだから。買ってあげるわよ、そんなにいうならァ」
 井上がふたりのやりとりを見てあきれている。

 そろそろ底冷えがし始めた夜の歩道をダットサンに向かって歩きながら、多貴子は「そういうことでゆりの、メディア対策のほうをよろしく」と言った。
「めでぃあ対策ってなに? おねーちゃん」
「もう女の子のフリはいいんだって。……つまりね、これは小さいながらも芸能界であるってこと。こんな大戦争中だってのに、興味本位やら何やらで心ない記事を書く記者もいるんだよ。さち子ちゃんたちは被害に遭っていないが、霧島博士に聞いたところでは、過去に中傷記事が出た童謡歌手もいたらしい」
「へえ、信じられないなぁ。――あんな愛らしい子たちを」
「抱炉さん、私からもお願いします。特に相沢先生のさざなみ児童合唱団は新進の勢力ですから、足を引っ張ってやろうと考えている悪い人間だっているかもしれない。合唱団の父母会の代表は未亡人で女社長の恵理子さんだし、というか合唱団の実務を実質取り仕切っているのもあのひとだし、それでさち子ちゃんの母でもあるんです。低劣な新聞雑誌に格好の標的にだってされかねない」
「ふむ、そういわれればそうだな。名誉やプライバシー、人権尊重思想なんてこの時代では望むべくもないだろうし」
 ちっとも子供らしくない顔で顎に手をやる一希である。
「それで、どうすればいい? さち子ちゃんたちや合唱団への取材については、もちろんその都度チェックしていくとして」
「飲み込みが早いね、それでこそルポライターだわ。あとは、さっき買ったこういう雑誌をくまなく調べて、おかしな記事が出ていないか、出る予定はないか調べてほしいのよ。もしそうなったら、抱炉くんの本職の言論で潰すなり、霧島博士の政財界の人脈を使って裏から圧力かけるなり――まあ面倒くさかったらそのまま媒体ごと、出版社ごと飛ばしちまってもいいぞ。ワハハ」
「ちょっと待った姉さん。中傷記事に反論していくところまでは賛成だけど、その圧力ってのは……。こんな時代でも、言論の自由というものは最大限尊重したほうがいい」
「甘い甘い、ちかごろ言論の自由なんてのは流行らないんだよ。昭和十八年の最新流行は言論統制、これ。――それともさち子ちゃんたちがこの時代の底無しに愚劣なイエロージャーナリズムの餌食になっていいとでも?」
「……わ、わかった姉さん、おれが悪かったよ、白旗だ。メディア対策はこちらできっちりやらせてもらう」
「それを聞いて安心しました。霧島博士も心配しておられたことです。本職の抱炉さんが研究所の任務の傍らそうしてくれれば、こんなに心強いことはありません」
 多貴子と井上は顔を見合わせてホッとしている。
 ――そこへ。ドン、と前方からぶつかってきた男がいる。
「貴様ら、何処を見て歩いておるかァ!」
 たちまち声を上げる男は、帝国陸軍士官の制服姿であった。階級章からすると少尉だろうか。足どりやら顔つきから、したたかに酔っているのがわかる。
「なによ、そっちが――」
 と言いかけた多貴子を、井上があわてて制した。
「申し訳ありません、少尉。以後気をつけますので」
「ならんならん! だいたいこの女の格好はなにかァ! この非常時だというのに、徒らに華美至極な退廃的敵性衣料を身に付けおって。此のようなものはこうしてくれる!」
 叫ぶと、男は多貴子に襲いかかり衣服を引き裂こうとした。とっさに避けた多貴子だが、帽子を男に取られてしまう。だが男がよろめいたスキに、多貴子はハイヒールの先で相手の弁慶の泣きどころを蹴り上げていた。
 悲鳴をあげてうずくまる男。
 顔を上げたとき、その表情は獣になっていた。ゆっくりと立ち上げる。
「貴ッ様、たかが女の分際で帝国軍人に逆らったな」
「お待ちください少尉。この人と僕は霧島研究所の人間です。重ね重ねご無礼はお詫びしますのでどうか――」
 多貴子の前へ出てその身をかばう井上。
「引っ込んでおれ若造!」
 そういうと、男は腰のホルスターを外して拳銃を抜いていた。

==続く==


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