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すすめ!さざなみ児童合唱団

第三楽章 いまそこにある非常時(四)


作:赤目(REDEYE)



「……ゆりの、ゆりの、起きなさい。もう着いたわよ」
 やさしく揺り動かされて、一希は目を覚ました。目の前で艶然としているこのキレイなお姉ちゃんは誰だろう――としばらくボーッとした頭で考える。
 その女性はにこにこしながら、葵鼎寺の帰りから車内に残されたままなっていた真っ赤なリボンを一希の頭につけてくれた。
 ああ、そうだ――やはり多貴子であった。多貴子は入浴のあと、しばらく自室に消えたかと思うと、化粧とファッションをバッチリ決めてハイヒールで一希と井上の前に現れた。
「昭和十八年の最新モガ(モダンガール)・ファッションよ」
 そうクールっぽく宣言して二人の男(ひとりは身体が幼女だが)の視線を得意気にうけとめる多貴子。こうしてみると、確かに若い。恵理子などともほとんど違わないように思える。そして何よりその洗練された艶やかさ――メイクやモードファッションが板に付いていて不自然なところがない。
 もっとも一希などは、流石にバブル世代はこういうところにソツがないな、と半分くらいは意地悪く思ったのだったが、井上にとっては多貴子の変身が本当に予想外だったらしく、鳩が豆鉄砲をくらったときのさまを無意識に実演していた。
「あら、いやですわ――井上さん。あたくしの様子がそんなにおかしいかしら」
 帽子の下から上目づかいで妖艶な微笑みを浮かべる多貴子に、今度は口をパクパクさせ陸に上がった魚の顔真似をするしかない井上。まさしく釣られた魚であった。
「……い、いえいえ、仲町さんがあまりにお美しいので……ぐふッ」
 多貴子に肘でドン、とドツかれてよろける井上。
「――そろそろ参りましょうか。早目に出ないと店がしまってしまいますわ。井上さん?」
「……は、はいっ」
「エスコートして下さるかしら?」
 そう言って腕を差し出す多貴子に、のぼせまくって寄り添う井上を見ながら、一希は頭が痛くなる思いがした。これではバブル時代にいたという「アッシー君」そのままではなかろうか。

 だが車に乗り込んでからすぐに一希は眠りこんでしまったらしい。やはり心は大人でも、身体の方は小さな少女に過ぎない。風呂上がりで暖かくなったのと一日の疲れが出て、車に揺られるうちにそうなってしまったのだろう。
 多貴子に起こされると、ちょうど繁華街の歩道のわきに車が止まるところであった。窓から見ると、目の前に百貨店らしい建物があり、「城木屋」と書かれている。――すると、多貴子が言っていた面白い場所というのはこの百貨店のことなのだろうか。
 疑問を口にする間もなく、エンジンが切られて井上に車を降りるようにうながされた。外へ出ると、夜の繁華街の独特の雰囲気が一希を包みこむ。雨上がりの路面はまだ濡れており、三月の夜の空気は肌寒かった。だが、そんな感覚をかみしめている暇もないほど、街は賑わっていた。
 ネオンと街灯が明るく輝き、立ちならぶビルディングの窓にはひとつ残らず灯がともっている。
 歩道にはカンカン帽に外国製らしいスーツ姿の紳士に、パーマに着物姿の女性。かと思うと、羽織に着流しの男性や着飾った洋装の淑女もとおる。車道は自動車やら円タク、バスやチンチン電車が行き交い、その合間を縫って人力車や自転車もみられた。
 考えてみれば、こうして昭和十八年の街をしっかりと見るのは一希にとって初めてであった。霧島研究所では軟禁状態であったし、さざなみ児童合唱団の練習場に行くときは、なぜか目隠しをされていた。
「意外だな――戦時中なのに、こんな賑わっているなんて」
 井上を見上げながら一希が率直な感想をいう。
「バカにしないで下さいよ、大日本帝国はまだまだ国力旺盛で、人心だって疲弊していません。それから――“ゆりの”ちゃん、外に出ているときはあくまで女の子ということでお願いしますよ」
「うん、わかったよお兄ちゃん」
 そのまま歩き出そうとする井上に、一希が声をかけた。
「なに、ゆりのちゃん?」
「あのね、多貴子おねえちゃんを車から出してあげないといけないと思うの」
「――? あっ、そうか」
 あわてて車のところまで戻り、多貴子のために車のドアをあける。
「ありがとう、ジェントルマンね」
 多貴子の蕩けるような微笑みに、またもや多いに心惑わされた様子の井上をみて、なんだかやるせない気分の一希であった。そのまま、二人の後について城木屋の中へ入る。
 その背後の歩道を、マゲを打ち紋付袴で二本差しの武士がぶらぶらと通りかかった。周囲に溶けこみ、気にかける人は誰もいない。いくら古今の洋装和装がいりまじっていた戦前戦中の雑踏でも、チンドン屋か仮装大会でもないかぎりありえない光景のはずであった――。


 多貴子のエレガントな淑女のフリも、エレベーターで婦人服売り場に着くまでしかもたなかった。
 そこからは欲望丸だしで目をギラギラさせ、最新モードの高級婦人服を漁りはじめた。売り子に勧められるまま、次々に試着しては買いこんでゆく。一希はそれをあきれつつ見ているしかなかった。
「多貴子おねえちゃん、まだ買うのぉ?」
「うるさい、ゆりの。まだまだこれからよ。あたしはふだん文句もいわず研究所に協力してやっているんだから、たまの休みくらいショッピングは当然の権利だわ。……支払いがまた便利で、霧島研究所の名前でツケが効くから。クレジットカード以上よ、ふっふー」
 どうやらバブルの血が騒ぐらしい。
 井上など、多貴子の荷物を持たされすぎて、もはや前がみえない状態である。
「な、仲町さん、困ります。研究所の予算でこんなむだ遣いされては……。たしかに博士は少々私服を買ってもよいといわれましたが」
 荷物のむこうから苦しげに井上がいう。
「うるさいってのに、どうせあと二年で戦争は……アレするんだ。そうしたらどこぞの政府なんかアレしてすべてが破綻するんだ。いまのうちに少しでもあたしがあり金有効に遣ってやるのが正解よ」
 むちゃくちゃな理屈である。
 店員がみかねて、井上の荷物を手押し車にのせかえ、あとで配達しましょうといってきた。
「……ふう、助かった。と、とにかく仲町さん、今日はゆりのちゃんの余所ゆきをあつらえにきたんですから。閉店の時間までもうあまりありませんから」
 井上にいわれて、ようやく多貴子は本来の目的を思い出したらしい。まだ化粧品売り場とアクセサリ売り場を回ってない、まあまた明日くるかなどとブツクサ言いつつ、一希と井上をひきつれエレベーターで子供服売り場へ向かった。
「今日はおれの服をあつらえにきたんだ? 既製服でいいのに」
 多貴子に手をひかれながら、その顔をみあげて一希がきいた。
「コラゆりの、女の子をわすれてる。いちおうゆりのもかなみも著名な霧島博士の孫だから、合唱団へ通うにも恥ずかしい格好はさせられないってわけよ」
「ふーん。しかしまた新たな女児用の衣服をきせられるわけか……」
 正直、ゆううつであった。
 そうこうしているうちに、子供服売り場へついた。もう閉店時間が近いが、おもちゃ売り場と隣接するそこは家族連れでけっこう賑わっており、独特の活気があふれている。それが一希には新鮮でなんだか嬉しくなった。二十一世紀と違い、少子化などとはまだ無縁の時代のことだ。子供はどこにでもたくさんいたし、元気いっぱいであった。
 そんななかに、見覚えのある母子がいた。
「あ、ゆりのちゃん」
 女の子のほうが先にこちらへ気付き、ちいさく手を振ってくる。
「あー、さち子ちゃん……」
 鈴原恵理子とさち子であった。恵理子は和服で、髪は上品なかんざしをさしてまとめている。
「あら、井上さんにゆりのちゃん、いらしていたんですか、今晩は。ゆりのちゃん、さざなみ合唱団に入れてよかったわね。……今日はお買い物ですか?」
「はい、ええとどうもこれは、こんなところでまた会えるなんて奇遇だなぁ、はは。今日はこの子の服をあつらえに……」
 急に浮かれた顔になる井上。
「じゃあウチと同じね。さち子に服をあつらえにきて、いまひと通りおわったとこですよ。最近は、合唱団へ通わせるにもありきたりな格好では間に合わないことがありますからね。ところで、そちらの方は……」
 と、話を振られたとたん、スッと井上の腕をとり、艶やかな微笑みで会釈する多貴子。
「はじめまして、音楽音響理論の協力者として霧島研究所に出入りしております、仲町多貴子ともうします。鈴原さんとさち子ちゃんのことは、つねづね井上さんからうかがっておりますわ。一度あたくしもさざなみ児童合唱団の素晴らしい演奏に接してみたいものです」
「はい、お気に召していただけるかどうかはわかりませんが、それはぜひ。練習場へでも、いつでものぞきに来てください。きっとみなさんにも歓迎されますわ」
 恵理子は満面の笑みをうかべたが、井上に密着する多貴子をまえにその眼はなにかいいたげであった。
「……ちょ、ちょっと仲町さん、そんなに身体をくっつけないでくださいよ」
 井上があわてて小声でささやく。
「あら、いやですわ井上さん、さっきあたくしといっしょにお風呂へ入った仲じゃありませんか」
 カチーンと、その場の空気が氷点下三十度まで急降下して凍りつく。
 井上は真横の多貴子の顔をみて、あんぐりと口をあけ眼をとびださせんばかりにしていた。
 やばい、これはなんとかしなければ。瞬間一希は思った。
「もう、多貴子おねーちゃんたら、ウソばっかりー。おねえちゃんとお風呂に入ったのはあたしでしょう。井上さんは脱衣場のところまで着替えもってきてくれただけじゃないのぉ」
「あら、そうだったわね」
 おばさんでなくお姉ちゃんと呼ばれたのに気を良くしたか、多貴子はすぐ冗談として前言撤回した。
「ホホ、楽しいかたですわね」
 恵理子はわらって一応納得したようだ。即死と思われたが、なんとか首の皮一枚で命をとりとめた井上であった。

 恵理子が手洗いに立つというので、さち子をしばらく井上たちでみていることになった。
 そのさち子は一希にところへやって来て、しげしげとこちらを見つめて言った。
「いいなぁ、ゆりのちゃんは、リボンが似合って……」
「え? そ、そんなことないよ、あたしもこんなおっきいの恥ずかしいもん」
「んーん、そんなぜんぜん。かわいいよ」
 さち子は、ちょっと一希のリボンに触りながらいった。
「あたし今度お姫さまみたいな格好しなくちゃいけなくて……。今日はその衣装をつくりにきたの。リボンもつけるんだって。ぜんぜん自信ないよ……」
「――まあ確かに鈴原にはリボンなんか似合わないな」
 むっ、とした一希が後ろを振り向くと、蝶ネクタイのこざっぱりした格好の少年が澄まし顔で立っていた。
「な、なによ、山田くんじゃない。なんでこんなところにいるのよ。さち子ちゃんにひどいじゃない」
 さざなみ児童合唱団の数少ない男子、ツネ坊こと山田恒夫であった。
「おれは弟のオモチャをかあちゃんと買いにきたんだよ。……あのなあ、鈴原は顔が和風なんだよ、わふう。リボンよりかんざしでも差して、着物のほうがずっと似合うんじゃないかと思うけどな」
 そしらぬ顔で恒夫がつづける。
「うん……。そうかな。あたし、おかあさまと相談してみようかな……」
「さち子ちゃん、こんなやつのいうことなんか聞くことないよ。ひとの話を立ち聞きして。自分の思うとおりの格好すれば?」
「おい、ゆりの、“こんなやつ”とはご挨拶だな。寂光院ヘビ江に尻をたたかれてピーピー泣いてたというから、ちょっとは助けてやろうと思ってきたのに」
「う……」
 一希は言葉につまった。あの体験がよみがえってきて、頭がぐるぐるして眩暈がしそうになる。心が完全に子供へもどってしまったかのようだ。
「市子と新子があのときいっしょにいたろ? あの二人が喋りまくってるよ。ほかの稽古ごとや塾で、けっこうさざなみの団員はいっしょになるんだぜ。次回の練習日までには、お尻ペンペン事件は全員に知れ渡ってるって思ったほうがいいな」
「そ、そんな……」
「てことで、おれさまの出番ってわけだ」
 恒夫は胸を張った。
「いまここで寂光院におれがひと泡ふかせてセツジョクをはたしてやる。だから、ゆりのはおれのヤマダ軍に入隊しろ。お前は女だが特別に子分にしてやるから」
「……ちょっと待って。山田くん、“いまここで”って言った?」
「ああ、言ったよ。……あれ、お前ら知らなかったの? 寂光院ならあっちの方にいたぞ」
 と言って恒夫が指差す先には、売り場の反対側あたりだろうか、たしかに寂光院春江が年配の男性といっしょに、服を選んでいるところであった。

==続く==


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