目次に戻る 次へ


 童謡(わざうた)――古の時代、穢れなき幼子の身体に神が宿り、その口を通して神託としての<謡>が歌われることがあったという。天下の趨勢を告げ、政事や治世を揶揄し、時に禍々しき変事さえ予兆するその言の葉の連なりを、人々は怖れ尊んだ。
 だが、ほんの数十年前にも、わざうたとしての童謡がこの国に響き渡り、打ちひしがれた人々の心に希望の灯を点したことがあったのだ。
 ――これは、限りなく神に近付いた小さな歌い手たちの物語である。


すすめ!さざなみ児童合唱団

第一楽章 とこしえは刹那のなかに(一)


作:赤目/redeye



 ある九月の晴れた日、抱炉一希(ほうろかずき)はノートパソコンの入ったバッグを肩に、待ち合わせの場所へと街中を急いでいた。一希の年齢は二十二歳、職業はルポライター。といってもほぼ無名で、ゴーストライターのバイトをしてなんとか食い繋いでいるにすぎない。いくつかの雑誌に自身の記名で告発ルポを載せるようになっていたが、まだまだ売れっ子とは言いがたい。
 だからこそ、今の一希は仕事に対してあくまで貪欲で、一本一本に必要以上の多大な精力を傾けていた。まだ約束の時間までかなりあるのに、編集者と打ち合わせをする喫茶店へと小走りに駆けていたのもそのせいだった。
 そんなせっかちな行動がその後の一希の運命を大きく変えることになろうとは、本人は夢にも思っていなかったのだが……。

 どしぃん。
「イテテ」
「あ、あら痛い」
 四つ角で一希はモロに誰かとぶつかってしまったのだ。
 ショックで歩道に尻餅をついてしまい、前を見ると、ややぽっちゃり気味の中年女性がやはり歩道に投げ出されていた。相手もかなりの速さで歩いてきたようだ。
「すいません、大丈夫ですか」
 そう一希が言って女性の手を取ろうとした時である。
 女性の後ろから同じ速度でついてきたらしい子供たちの大群が、「きゃー」「いやー」とけたたましい声を上げながら中腰の一希と女性の上に倒れ込んできたのだ。
「わわわわ」
 為すすべもなく子供たちの下敷きになってしまう二人。
「いたいいたい」
「苦しいよぉー」
「やーん、乗っからないでぇー」
「先生、先生、だいじょうぶですか」
 そんな声が歩道に押しつけられた一希の上の方から次々と聞こえ、しばらくするとようやく息もできないような状態から解放された。
「ヒュー」
 ジーンズについた砂を払いのけながら一希が立ちあがると、女性も子供たちに助け起こされて歩道から半身を起こしたところだった。
「鈴原先生、お怪我ないですか」
 中学生くらいの女の子が女性を気遣っている。
「あの、どこも悪くは……」
 そう言い掛けた一希を、子供たちが一斉に非難のこもった目で見た。内心たじろぐ一希。三十人くらいはいるだろうか。小学生くらいの女の子が多いようだが、中には男の子や中学生程度の女子も混じっている。
「先生になにするのー」
「どこ見て歩いてるのよぉ、大人のくせに」
「そうだそうだー」
 こんな声が湧き起こったが、女性が「こらこら」とたしなめると子供たちは口をつぐんでシュンとなった。
 鈴原という名の女性は立ち上がって衣服を整えると、「ごめんなさい、急いでいたものですから」と丁寧に頭を下げた。年齢は五十歳前後だろうか。知的で大きな瞳にどこか茶目っ気のある光をたたえた、ちょっと年齢不詳系の可愛らしさがある人であった。
「いえ、こちらこそ。うっかりしていて失礼しました」
 一希も頭を下げた。
 鈴原は再度軽く会釈すると、子供たちの方を振り向いて、「みんなも怪我はないー?」と声を張り上げた。
「はーい」
 元気のいい、それでいてやけに澄んだガール&ボーイソプラノの答えが一斉に返ってくる。
「それじゃ、行きましょう。――みんな、こちらのお兄さんにご挨拶して!」
 鈴原がそう促すと、子供たちは見事に声を揃えて、「失礼しました、お元気で」と言って礼儀正しくお辞儀してから、鈴原と共にまた脱兎がごとく歩道を駆け出していった。どうもよほど急いでいるらしい。
「ガールスカウトか何かかな」
 頭を掻きながらやや呆然とそれを見送る一希。
「やべ、パソコン大丈夫か」
 歩道に投げ出されたままのバックの中身をしゃがみ込んで確認すると、どこも異常はないようだ。
 ふと見れば、鈴原が立っていたあたりに桐の小箱が落ちている。拾い上げて中身を確認すると、大事そうにセーム皮で包まれた、金の懐中時計が入っていた。思わずその蓋を開ければ、裏側に「鈴原さち子」の文字がある。
 間違いない、さっきの女性が落としたものだろう。
 届けなければ、と一希は思った。幸いまだ編集者との待ち合わせまでは余裕がある。
 一希は時計を再び小箱に入れてバッグに大切にしまい込むと、鈴原と子供たちの去ったあとを追って走り出した。

「このあたりなんだろうが……」
 一希は通行人に尋ねたりしながら鈴原たちの後を追ったが、とあるホールの前で完全に見失ってしまっていた。
 だがホール前の歩道に黒のベルベットを敷いていたアクセサリ売りに訊くと、しばらく前にホールの中へ駆け込んでいったとのこと。どうやら何かイベントがあるらしくエントランスはざわついていたが、一希も人ごみをかき分けて中へ入っていった。無料イベントらしく、チケット提示は求められなかった。
 中くらいの容量があるホールの席は八割方埋まっており、開演前の独特の雰囲気が漂っている。いや、どうやら今は休憩時間中で、これから続きが始まるらしいと知ったのは、傍ら通る親子の「早く席に戻らないと第二部はじまるよ」という声を聞いたからだ。
 一希が早くあの子供たちの集団を見つけようと観客席を見渡していると、携帯電話が鳴った。
「はい、抱炉」
「わりぃ、今日の打ち合わせだけど、中止にして」
 相手は待ち合わせ相手の編集者であった。仕事の都合でとか何とか言っていたが、二日酔いで今起きたところだ、というのは声から明らかであった。
 一希はため息をついて電話を切る。いまだにこんな編集者もいるところにはいるのだ。
 そうこうしているうちに、照明が落とされ、再開のブザーが鳴った。
(仕方ない、今日は暇になっちまったし、このイベントが終わってから出口であの子たちを捕まえるか)
 一希はあきらめて携帯の電源を切ると、手近な席に着いた。 
 舞台に現れた司会者が、イベント第二部の始まりを告げる。
「それでは、今日ここにお集まりの皆さんはお待ちかねでしょうから、早速登場して頂きましょう」
 そう言って司会者は舞台の袖を指し示した。
「――鈴原さち子さんと『さざなみ児童合唱団』の皆さんです」
 大きな拍手と歓声。
 袖から登場したのは、ローブ風の白い衣装に着替えたあの女性、鈴原と、これまた揃いの白を基調にしたコスチュームに身を包んだ、あの子供たちであった。子供たちはエンジ色のベレー帽をちょこんと被り、女の子はスカートの裾に刺繍を施したワンピース、男の子は半ズボンで衣装を統一している。
 舞台の真ん中まで来た鈴原が客席にお辞儀をすると、子供たちも愛らしい仕草で頭を下げた。
 それにしてもなかなか舞台慣れしているようで、ほとんどの子がにこやかにしている。
(ああ、合唱団の子たちだったのか)
 一希はようやく真相に思い当たった。この催しの出演者で時間に遅れそうだったので、あんなに急いでいたのだろう。やけに声が澄んでいたのも頷ける。
 これなら、終演後楽屋へ行けば必ず鈴原に時計を届けられるだろう。一希は安心してこのイベントを楽しむことにした。

「……鈴原さんは、戦時中も空襲下の東京に最後まで残ってラジオで童謡を歌われていたのですね。まだ小さかったのに」
 司会者が鈴原にマイクを向けている。
「はい、当時はもう夢中でした。死んだらどうなるか、なんて考えていなかったと思います。支えてくれる仲間がいて、初めてがんばれました」
 一希は知らなかったが、どうやら鈴原はこの世界ではかなり有名な歌手らしかった。若く見えるが、戦時中に歌っていたということは、六十歳を過ぎているだろう。一希は興味深く話に耳を傾けた。
「その時代から『さざなみ児童合唱団』はあったわけですが、本当に長い歴史がありますね」
「ええ、合唱団自体は、私の恩師である作曲家の相沢淳司先生が創設されて、先生の没後、私が運営と指導を行なっています。私の人徳が足りないせいか、いつもやんちゃで人を困らせる子ばかり集まってしまって」
 そう言われて、合唱団から「えー」という不満そうな声が一斉に上がった。やけに揃ったその調子に、客席から笑いが漏れる。どうやら演出らしかった。
「……それではそろそろ歌っていただきましょう。まず最初は、さざなみ児童合唱団の団歌、『朝靄のさざなみに』です」
 そう言って司会者は袖へ引っ込んだ。
 鈴原と子供たちが位置につく。
 鈴原がまず独唱で歌い始めた。
『朝霧にけぶる 浜にてあゆむ……』
 普通のポップスなどの歌い方でなく、クラシックの発声を取り入れつつも艶のある豊かな声を響かせる独特の歌唱法だった。
 そこへ、子供たちが呼応するような形で入ってくる。
『素足に涼し 流るる砂は……』
(ほう、児童合唱団の歌を生で聴くのは初めてだが……)
 一希はその透明で幼く、それでいて凛々しい歌声の意外な快さに聴き惚れた。音域からいえば完全にソプラノだろう。合唱の技術的にもかなり高いように思われた。
 それよりなにより、子供たちの歌声が脳髄の久しく使っていなかった部分に直接染み込んでくるような、かつてない不思議な感覚さえ味わっていた。懐かしさと新鮮さ。そう、まるでそのまま眩暈さえ覚えそうな……

==続く==


●作者から
 へい、ご退屈さま。TSな展開は、もう少し先まで待ってて下さいね。


目次に戻る 次へ

inserted by FC2 system