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天に願いを
11話
作:赤目(RED EYE)



第十一話
ぐるぐるしちゃう

 改まった様子でテーブルを挟み向かいあう雄二と華枝。
「本当に、健太のことでは有難うございました」
 華枝が、昨日見せたとてつもない醜態からは想像もできない淑やかな物腰で、深々と頭を下げる。
 イクの部屋は扉の修理が始まったので、三人は摩耶香の部屋に移動していた。
「いえいえ、そんな……。困った人を助けるのは当然ですから」
 と雄二。そう言いつつも雄二自らが困ってしまっていた。
 華枝と向かいあって座っていると、どうしても華枝の唇に目が行ってしまう。少し厚めの、朱いルージュを塗った唇。すると自動的に昨日の強烈なディープキスのことを思い出してしまうのだ。
 先ほどまではイクに小悪魔として振る舞っていた雄二も、今は普通の男の子に戻らざるをえない。相変わらず、格好はキャミソールにミニスカートなのだが。
「難しい除霊だったそうで……。本当に、なんてお礼を言えばいいのか」
 華枝は、涙ぐんでちょっと絶句した。
 雄二の心配をよそに、どうやら華枝は本当に昨日のキスのことを覚えていないらしい。
 雄二はちょっと安心した。
「お礼でしたら、イクちゃんとあゆみちゃんに言ってください。オレみたいな初心者が除霊できたのも、あの二人のお陰ですから。それから、華枝さんとオレたちを出会わせてくれた天願教団にも」
 華枝は頷いて、ハンカチで目頭を押さえた、
 イクが、キッチンからお茶とチョコのお菓子をコースターに載せて持ってきた。
「なにもありませんが、どうぞ」
「す、すいませんイク様、気が付きませんで。私がしましたのに……」
 慌てて中腰になって詫びる華枝。
「いえいえ。それより、今日は健太くんはどうしたんですか?」
 イクも腰かけながら訊いた。
「はい、もう信じられないくらい元気になりまして……。いま、表のグランドで飛び跳ねて遊んでいますわ」
 華枝は泣き笑いのような感極まった表情で言った。
「えっ、もうそんなに元気に?」
 さすがに雄二も驚いた。
「ええ。あゆみちゃんが、遊び相手になってくれています。教団のお医者様も、もうどこも悪いところはないと言ってくれましたし、あの子ったら外で遊ぶんだって聞かなくて。半年以上も寝たきりだった健太が、あんなに明るく元気になるなんて。私もうなんだか、夢を見ているようで……」
 華枝はうつむいて、またうっうっと鳴咽を洩らした。
「――ごめんなさい、湿っぽくて。……でも、こんな奇跡が起きるなんて、本当に、わたし、わたし……」
「まあまあ華枝さん、そんなに泣かないで。お菓子でも食べて、落ち着いてください」
 華枝は何度も点頭しながら、差し出された菓子を見もしないで口の中に放りこんだ。そして、精一杯微笑みの表情を作った。
 雄二とイクは顔を見合わせて、満足そうに頷きあった。除霊やら悪霊退治は危険で大変な作業だが、やはりやりがいのある仕事なのだ。

「イク様や雄二さんの味方も、教団内にかなり増えました」
 華枝はようやく少し落ち着いた様子で、微笑みを浮かべながら言った。
「あゆみちゃんから、事情はすべて聞きましたわ。摩耶香様が大切だからこそ、止めなければいけないという話に私も賛成です。いま女性陣を中心に、密かにどんどん仲間へ引き入れている際中ですから、楽しみしていて下さい。それに加えて、雄二さんの見事な除霊を見て、賛同してくれる人もやって来て……」
 そこまで言うと華枝は少し顔をしかめて、こめかみを押さえた。
「大丈夫ですか? 華枝さん」
「え、ええ。昨日から実は少し二日酔いで……」
 ギク、と固まる雄二。
「そ、そうですよね。オレが樽一杯の日本酒を華枝さんと健太くんに浴びせかけてしまって。除霊のためとはいえ、いきなりあんな。失礼しました。は、ははは……」
 そんな二人のやりとりを、緊迫した表情で見守るイク。
「いえ、そんな……。でも私ったら、凄い下戸なんですよ。酔っ払うと、もう何がなんだかわけがわからなくなっちゃって……。昨日のことも実は記憶が途切れ途切れなんです。それで、あの……」
 華枝は恐る恐る、という調子で訊いてきた。
「何か、雄二さんやイク様に失礼なことはしませんでした?」
「い、いえいえ、そんな。そ、そんなことは無かったよねえ、イクちゃん?」
 いきなり振られて言葉に詰まるイク。
「……え、ええ。別段、そのようなことは、あんまり、その……」
「そう、ですか。それなら良いんですが。どうも誰かに抱きついたり、抱きつかれたりした記憶がおぼろげに……」
 ギクギクギク、と激しい動揺を見せる雄二とイク。
「えっ? ま、まさか、私ったらまた……。雄二さん、ですか? 私、雄二さんに抱きついちゃったの?」
 華枝は目を瞠った。
 恥ずかしさのあまり目を逸らす雄二。
「……た、確かにそのようなことも。でも、先に抱きついたのは……」
「それで、もしかしたらキスしちゃった、なんてことは……。これは私の酔った時の悪い癖で、誰彼構わず――」
 しーん。
 雄二とイクは真っ赤になって、うつむいてしまった。
 華枝は口に手を当てて、驚きを隠し切れない様子だった。
「わ、私ったら何てことを……。ああーん、もうっ、私の馬鹿ばかぁ」
 華枝は両手の拳で自分の頭をポカポカ叩いた。
「お、お酒で一度人生を失敗してるのに、またなんだからーもおー」
 あまりに本気で頭を叩く華枝を心配して、雄二は真っ赤になりつつも止めた。
「そ、そんなに叩いちゃ駄目ですよ」
 華枝は手を止めると、少し朱く染まり始めた頬で、雄二に訊いてきた。
「それで……もしかしたら、雄二くぅん、ファーストキスだったの?」
 雄二はまた赤面してうつむいてしまった。
「え、ええと……。ファーストキスというか、そゆわけでも。その前にあゆ……」
「わーっわーっ、雄二さん何を言っているんですかーっ」
 あゆみ、と言いかけた雄二を、イクが慌てて押し止めた。
「そう? でもぉ、こんなオバサンにキスされてイヤだったでしょー?」
 華枝が頬を染めて、潤んだ眼で訊いてきた。
「えっ? いえっ、その……。華枝さんまだ若いし、なんかきれいだし――」
「?」
 華枝は一瞬、凄い流し目で雄二を見た。
「もお! やだーっ」
 破顔一笑、華絵が雄二の肩を力まかせにバンバン叩いてくる。
「げふっ」
 思わず咳き込む雄二。
「雄二くんたらぁ、大人をからかうもんじゃないわよぉーっ。こんなオバサンをいい気にさせてどうするつもりー? きれいなんて言われたの、あたし何年振り、ヒック」
「え?」
 雄二とイクは顔を見合わせた。
「あっ、この菓子チョコレートボンボンだ!」
 雄二がようやく華枝の醜態の原因に気付き叫んだ。雄二もイクも手をつけてなかったが、なんと華枝が口一杯頬張ったチョコはウイスキー入りだったのだ。
 戦慄が走った。
「ええー? そ、そうなのぉ?」
 だがそれは、そろそろロレツが怪しくなってきた華枝も同じであった。まだ最低限の理性は残っているらしい。
 華枝は決死の覚悟で立ち上がり、祭壇のところまでふらふら行くと、そこにあった冷蔵庫ほどの大きさの岩にしがみついた。祭器のひとつで、自然の巨大なオブジェといった代物である。
「雄二くぅん、イク様ぁ、縛って、あたしを縛ってぇー。荒縄で、固く強くぅ、動けないくらいギュッと縛ってえー。酔っ払っちゃう前に、お願いー。もうあたしに恥を掻かせないでぇー」
 聞きようによっては、極めてあられもない叫びを華枝が上げる。
 もちろん猥雑さなど感じている暇は雄二にもイクにもない。
 イクは祭壇の横の道具箱に飛びついて、中からひと括りの縄を取り出すと雄二に投げた。
 必死の形相でそれを受け取り、スカートがめくれ上がるのも構わず長い髪を振り乱し華枝を縛りにかかる雄二。
 ぐるぐるぐるぐるぐる。すぐにイクも加わり、二人掛かりで華枝を岩に縛りつけてゆく。
「はぁーん、もっともっとぉ、もっと強くしてぇ。いいわぁん、その調子ーぃ」
 華枝の悲痛な叫びが続く。
 ようやく緊縛が完成する頃には、華枝も酔いが回って真っ赤だが、雄二とイクも汗びっしょりで紅潮していた。二人とも肩で息をしている。
「な、なんとか間に合ったね……」
 雄二が汗を手で拭い、ほつれた髪をうっとうしそうに払いながら言った。
「は、はい、一時はどうなるかと……」
 荒い息の間から、イクが答えた。
「それにしても、よく縄なんかすぐにあったもんだよ」
「悪霊退治の七つ道具ですから、一応ここには完備してるわけです……」
 まさしく、酔った華枝の緊縛は悪霊の封印並みの難事業であった。
 華枝は本格的に酩酊してきたらしく、「なにこれー、痛いー、解いてよー」とか「これって何かのプレイなわけー、なら早く始めなさいよぉー、ヒック」とか「荒縄って、案外、きもちいーん♪」などと、あらぬことを口走っている。
 その様子を見ながら、雄二がちょっと抗議した。
「だ、だいたいイクちゃんがあんな菓子を持ってくるから――」
「な……! あんなにいっぱい差し出したのは雄二さんじゃないですかー」
 イクがむくれて反撃する。
 その後ろで、華枝が「ローソクローソク」とか「さるぐつわー」などと、まだ意味不明のうわごとを叫んでいた。

 その時である。
「ひ、ひどい……」
 廊下に通じるドアの方から、そんな声がした。
 雄二とイクが振り返ると、そこにドアを開けて呆然と立ち尽くすあゆみがいた。どうやら鍵は掛け忘れていたらしい。その横には手を引かれた健太がいる。
「雄二さんとイク様に、そんなマニアックな趣味が……」
 あゆみは強いショックを受けた有り様で、わなわなと震えていた。
「へ?」
 その視線の先には、縛られた華枝の姿があった。
「雄二さんって最低です、女の人をそんなに風に縛って喜んでるなんて!」
「えっ? こ、これは違……」
 どうやら華枝を縛る一部始終を目撃していたらしかった。
「言い訳なんか聞きたくありません! えーんえーん、あたしのファーストキスはフェチ男なんかに奪われたのよぉ。ひどいひどい。あたしは騙されたの、乙女の純情は踏みにじられたの、もう一生消えない心の傷なんだからーっ」
 うえーん、と泣きながらあゆみは廊下を駆けていった。わけもわからず取り残される健太。
「ち、違うんだあゆみちゃんっ」
 雄二は慌てて後を追っていった。

 呆然としているイクのところへ、健太がちょこちょことやってきた。岩に縛り付けられた母・華枝を見てひとこと。
「ああ、ママったらまたお酒のんでよっぱらっちゃったんだね」
 どうやら母親の酒癖のことは、幼いながら既によく知っているらしい。華枝は酔いが回って既に眠ってしまっている。
 イクは健太がつくづく不憫になり、思わずその小さな肩をポンと叩くのであった。

==続く==




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