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天に願いを
9話(後編)
作:赤目(RED EYE)



第九話
いけないひとね(後編)

「わあぁぁっ」
 イクが悲鳴を上げる暇もなかった。
 が、しかし。
 さすがに色恋の場数を踏んでいる大人の華枝であった。寸前でラブコメ雄二の魔のキスをかわすと、ただ抱きしめられる格好になった。
 イクはこんな時だが、ふうっと安堵のため息を洩らした。

「ワシをコケにしおって、貴様ら何をしておるかあああああ」
 悪霊がゆらゆらと立ち上がりながら、怒りの雄叫びを上げる。
 そんな叫びを無視しつつ、抱き合ったままのラブコメ雄二と華枝。
「わかった? 華枝さん。こんな感じで、優しく愛情をこめて、健太くんを抱いてあげてほしいの。何も難しいことはないでしょ。いつも健太くんにしてあげている通りでいいの」
「うん、雄二くん……ふふ、女の子なのに雄二くんなんてヘンね――でも、よくわかったわ。ついでに、わたしいま気持ちがすごく落ち着いた。あなたから直接、大きな勇気のエネルギーを貰った気がする」
 華枝は雄二から身体を離すと、いたずっらぽい目で笑いながら小声で言った。
「いけないひと」
「……へ?」
 その一言で、雄二本来の意識が目覚めたらしかった。

 まだ意識が混乱している雄二に向かって、イクが叫んだ。
「雄二さん、まだ終わっていません! 除霊の続きですよっ」
「あっ、そうだった」
 振り向くと、もう悪霊に操られた健太は背後まで迫っていた。
「があっ」
 と叫んで、雄二に飛びかかってくる。
 だが雄二の前を遮るように進み出た華枝が、健太を受け止めた。
「ぐあぁぁっ、離せっ、離せえええ」
 喚きながら暴れる健太を、華枝は優しい気持ちで、しかし力強く抱きしめている。
「健太。もう心配しなくていいのよ。お母さんが、お母さんがここにいるんだから。もうあたしは絶対あなたを離さない」
 チャンスだった。
 雄二はダッシュで酒樽のところまで飛びつくと、木の槌で蓋を叩き割った。
 バシャッ、と酒がこぼれる。
「でやあっ」
 本当は大人でも持ち上がらないほど重く大きい酒樽なのに、火事場の馬鹿力を発揮した雄二はそれを軽々と抱え、華枝と健太のところへ歩みよる。
「うっしゃあー」
 雄二は樽を抱えあげると、中に入っている酒を全て二人に浴びせかけた。
「ぐはあああああああああ」
 健太に憑依した悪霊は、聖なる酒を浴びて蒸気を上げながら苦しそうにもがいた。
 今だ。
 雄二は樽を抱えたまま、一気に精神を集中する。そして呪文を唱えた。
「レ ッ ド ス ネ ー ク カ モ ー ン ♪」
「ぎゃああああああああ」
 恐ろしい叫び声を上げて、華枝に抱きかかえられたままの健太が苦しげに天を振り仰いだ。
 その大きく開いた口から、まっ黒い得体の知れないものが飛び出した。
 健太はガックリとくずおれそうになったが、華枝がしっかりと護るようにその身体を抱き寄せた。
「成功だ!」
 イクが思わず叫んだ。
 だが安心するのは早過ぎた。悪霊は単に健太から離れただけで、まだその力を失っていない。あゆみのリカちゃん人形の時より遥かに強力な霊らしかった。
 一瞬で部屋の窓ガラスがこなごなに砕け、家具の類が倒れこんできた。
 さすがにイクも華枝も悲鳴を上げる。
 ドン、と突き上げるような衝撃が床から来て、部屋全体が揺れた。壁にヒビが入り、建物の鉄筋が上げる音だろうか、いやな軋みが聞こえた。
 だが。
 そんな中、雄二は恐れるそぶりもなく、まだ酒樽を抱えたまま仁王立ちになっている。
 その目は渦巻く悪霊を見据えていた。
 部屋にあった椅子がふわっと浮き上がり、雄二めがけて突進してきた。
 苦もなく酒樽でそれを弾き飛ばす雄二。
 今度はベッドが浮き上がり、回転しながら迫ってきた。
 それをまたもや酒樽を使って叩き落とす雄二。
 雄二の強力な霊能力にひるんだか、一瞬悪霊の攻撃が止まった。好機を雄二は逃さない。
「メ゛ェ ッ ・ ポ テ チ ン ♪」
 雄二が最終呪文を唱えると、ざあっと風が巻き起こり、黒い悪霊はなすすべもなく酒樽の中に吸いこまれてゆく。
 悪霊の断末魔の悲鳴が響いたが、それも一瞬だった。
 残らず吸いこんだのを確認すると、雄二はすばやく蓋をして、それを麻紐で固定した。
「これでよし」
 そう言いながら雄二がイクの方を振り返ったとき、全てが終わっていた。


「雄二さん、見事な除霊ですよ。一時はどうなるかと思いましたけど、こんな強力な霊を封印するなんて」
 今の音で何事かとそろそろ廊下が騒がしくなり始める中、イクが上気した表情でいった。
「あんな強力な霊は、たぶん教団の神官が総がかりじゃないと封印できなかったと思います。それ以外なら、姉さん本人が直接手がけるか」
「これもあゆみちゃんが協力してくれたお陰だよ。――ところで、あゆみちゃんは大丈夫?」
 雄二はイクが膝枕をしているあゆみを心配そうに見つめた。
「はい、弾き飛ばされて気絶しているだけのようです。悪霊の攻撃の直前、あゆみちゃんも《気》のバリヤーを張っていましたからね。命に別状はありません」
「そうか、それで安心したよ。――今回の除霊は、あゆみちゃんと、それから華枝さんの協力がなければ絶対に成功しなかったからね」
 ちょっと厭味ったらしくイクが続けた。
「そうそう、すんでのところで雄二さんのキスも回避されましたしねー」
「あ、あははは? やっぱりあれってそうだったの? オレもやばいと思ったけど、大人の華枝さんにはラブコメ人格程度のあしらいはお手のもんだったんだな。……ね、ねえ、華枝さん?」
 だが、雄二とイクはまだまだ甘かったのである。血も凍る本日最大の惨劇は、いま始まろうとしていたのだ。
「ヒック、うぃーーっ。あははん♪ なんかイイ気持ちぃーーーん、ここってどこぉ? なんでこんなにいっぱい散らかってんのぉ?」
 突然場違い極まりない上機嫌な声を上げたのは、華枝であった。
 顔を上げた華枝を見て、雄二とイクは唖然とした。
 その面相は耳まで真っ赤であり、目は潤み、口はだらしなく緩みきり、それでも見違えるような艶っぽさが漂っている。いわば『母』から『女』への変貌であった。
 雄二もイクも知らなかったが、華枝はウルトラ下戸だったのだ。
 しかもその割りに酒癖が悪く、いったん酔って暴走を始めると誰にも止められなくなるのだった。華枝はバツイチで健太は前夫との間の子であったが、離婚の原因は夫の浮気と、それから何を隠そう華枝の酒癖であった。
 その華枝が樽一杯の日本酒を浴びせられてしまったのだ。
「あひゃーん、ひゃひゃひゃーん、なんかあなたカワイイわよ。摩耶香ちゃん、摩耶香ちゃんでしょぉ? ヒック」
 華枝が立ち上がってよたよたと雄二のところに倒れこんできた。
「わっ、危ない。は、華枝さんっ、しっかりして」
 雄二が慌てて華枝を抱き起こすと、その眼前に酒くさい華枝の、挑発的な瞳があった。
「あ、あははー、やっぱカワイー。カワイー娘は全部あたしのもんだー」
「へ?」

 イクは奈落の底に突き落とされそうになった。なぜなら眼前で、姉の姿をした雄二と、酔って見境いのなくなったオトナの華枝が、「ぶっちゅううううう」と擬音を書きたくなるような強烈なディープキスを繰り広げているからだ。
 華枝のキスは、もうネッキングというか、『B』といってもいいレベルの、極めて不健全な大人の本格的なやつであった。腕を雄二(摩耶香)の背中に回して逃れられないようにしながら、むさぼるように相手の唇を堪能している。雄二はあまりのことに全く無抵抗のままだった。
「な、な、な、な……」
 わなわなと震えながら、イクはなんとか声を絞り出した。
「は、離れてください、は・な・れ・て・っ」
 だが、イクがそう叫ばなくても、下戸の華枝は既に限界だったらしい。
「ふうううううん……」
 と悩ましい声を上げながら、その場にくずおれた。すぐにスースー寝息が聞こえてくる。
「だ、だあっ」
 もうパニック状態寸前のイクが叫んだ。
「雄二さん、またやりましたねっ。もう今度こそ許しませんからねっ。ど、どうするんですか、ここここんな……」
 だがその声も雄二には聞こえていなかった。
 雄二はただの中学生だ。こんな破壊力抜群のお色気攻撃に耐えられなかった。
 具体的には、華枝に舌を入れられた段階で立ったまま気絶していた。
「雄二さんの淫獣! 熟女キラー! 結婚詐欺師! 不潔、不潔ですよっ」
「……んもう、本当にうるさい子ねえ」
「え?」
 イクは目を瞠った。……半パニックで、しかも気絶したあゆみを膝枕していて動けなかったのがイクの敗因であった。
 雄二の代わりに目覚めたラブコメ人格は、跪いて指でつい、とイクの顔を上げさせると、その唇にまたチュウウウウと強烈なキスをした。
「これでイクちゃんも華枝さんと間接キスだー、おあいこだー。きゃはー」
 そういう問題じゃないのに、と薄れゆく意識の隅で考えながら、イクもその場に倒れ込んだ。
 (ね、姉さんとキスしちゃった……)
 イクは気を失った。

==続く==



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