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天に願いを
8話
作:赤目(RED EYE)



第八話
おまじないだよ

「あゆみちゃんなら、わたしたちの味方になってくれるかもしれません」
 ソファーに落ち着くと、イクがようやく緊張から解放された様子で言った。
 摩耶香からのお墨付きが出たので、イクが雄二の管理をすべて担うことにし、“軟禁”する場所もイクの部屋にして、例によって見張りを締め出し二人きりになっていた。
「あゆみちゃんって、さっきの女の子だよね。なかなか利発そうな子だったけど」
「はい。フルネームは『北里あゆみ』っていいますが、両親とともに教団に入信しています。あゆみちゃんは、実はああ見えても神官見習いなんです」
「ふーん。イクちゃんとおない年なのに、普通の人より霊能力が強いってことなんだ」
 イクは頷いた。
「姉さんが言っていましたが、まだ表に出せる力は小さいものの、潜在能力は正規の神官をしのぐほどだそうです。ですから、姉さんはあゆみちゃんに目をかけて可愛がっていました。あの子も姉さんの期待に応えるべく、よく修行して……。二人は理想的な師弟なんです。でも、今回の人格交換の術は危険がともなうだけに、あゆみちゃんもひどく心配して」
「なるほど、そんな子だったら、ちゃんと話をすればわかってくれるかもしれないな。あとで相談に来たときに、様子を見つつ腹を割って話してみようか」
 二人はうなずきあった。
 喉が乾いたというイクの言葉を聞いて、雄二は冷蔵庫からオレンジジュースを出してやり、恐縮するイクにコップを渡し、自分も同じく飲んだ。
 それにしても、霊力場の乱れが続いていて幸運だった。普段はこんなことはないのだとイクはいう。
「姉さんの人格交換の儀式からもう半日経っていますからね。よほど、なにか異常な事態が迫りつつあるのか……。八風神社の封印を解こうとしているのと、関係がなければ良いのですが」
「ただ封印を解くだけなのに、なにかまずいことがあるの?」
「古代から安定して存在してきた封印ですからね。それを解こうとする行為は、ひどく周辺の霊力場を乱すことになります。だいいち、封印を解くのだって、安全じゃないですもん」
「そうか、それもあってイクちゃんは反対だったんだ。なんだか今更だけど摩耶香さんは無茶する人みたいだなぁ。――そういえば、摩耶香さんはオレになりすまして学校にも通っているみたいだけど」
「ええ、さきほどの轡馬老の話だと、そのようです。あくまで周囲にバレないように振舞うのが、今回の姉さんの作戦ですから」
「くうう、なんだか漠然と不安だ……。『オレの身体』の中身、女の子なわけで」
 二人の間に沈黙がおりた。
「ご、ごめんなさいっ雄二さんっ。やっぱりなるべく早く姉さんを止めにいきましょう」
 なにか非常にまずいトラブルの数々を想像してしまったらしく、イクがうろたえながら言った。
 その時、ドアチャイムが鳴った。



「はじめまして。あたし、北里あゆみっていいます」
 あゆみはイクに挨拶したあと、雄二のほうに向き直ってペコンと頭を下げた。
「あの……身体は摩耶香様でも、心だけは雄二さんというお兄さんなんですよね……。なんだか不思議な感じがします」
「ははは……そだね」
 雄二はどう答えていいかわからず、曖昧にうなずいた。
「ああ、やっぱりその笑い方、摩耶香様とは違います。じゃあ、ほんとうに摩耶香様の術は成功していたんですね。すごい……」
「でも、あゆみちゃんも知ってのとおり、かなり危険な術だったのも確かなんだ」
 とイクが答えた。
「それに、八風神社の封印を解くのだって、安全な訳じゃないし。よくわかっていないけど、大昔から破られていない封印だから、きっとかなりの霊的防御策がほどこしてあるはずだよ」
「そうなんですか……」
 あゆみは心配そうな顔をした。
「摩耶香様は心から尊敬していますけど、ときどきあたしたちの気持ちをわかってくれない時があって……」
 切なそうなあゆみの言葉に、イクがここぞとばかりに「うんうん」と頷いた。
「ここだけの話だけど姉さんも、もうすこし周りの者の意見を聞いてくれたら、ってぼくもときどき思うんだ。――封印解除に失敗しなければいいんだけど」
「イク様、あんまり脅かさないでください。そんなこと言われるとあたし……」
 あゆみは困惑しているようだった。イクの作戦はひとまず成功だが、少し効き過ぎかもしれない。
 雄二は、そんなあゆみが手に筆箱大の箱を持っているのに気付いた。部屋に入って来たときからだが、どうもあまり有難くないものが入っているらしく、恐々という感じで握っている。
「あゆみちゃん、とりあえずその箱をテーブルに置いたら?」
 と雄二がいうと、あゆみは「ああ、はい。そうですね」と答えた。
 箱を置くと、あゆみはあきらかにホッとした表情をした。
「実はこの箱の中身のことで相談にきたんです」

 あゆみが恐る恐るという感じで箱を開けた瞬間。
 なにか得体の知れない黒い霧状のものがパッと中から広がったような気がして、雄二は思わず「うわ」と声を上げた。
 イクはキョトンとしている。
 中に入っていたのは、古びたリカちゃん人形だった。
「この人形なのですが……。あのう、雄二さん。いま驚いた様子をなさいましたが、なにか見えましたか?」
「うん、なんだか黒い霧のようなものが中から出てきたような……」
「それは《気》なんです、わたしにも見えましたけど……。もしかしたら雄二さんは、摩耶香様の霊能力を受け継いでいらっしゃるのですか?」
「いや、そういうことはないんだよ」
 と今度はイクが答えた。
「霊能力は、純粋に魂に従属するものだからね。姉さんの霊能力は、いまは雄二さんの本来の身体に宿った姉さんが、やはりそのまま持っているんだ。……だけど、どうなんですか、雄二さん?」
 イクの問いかけに、今度は雄二がキョトンとしてしまった。
「どうって?」
「いえ……神社の息子さんですから。霊能力をお持ちではないんですか?」
「いや、全然。オレってその方面はとんと鈍いみたいで」
 と、他人の前では女の子のフリをすることをすっかり忘れて雄二が答えた。あゆみはちょっと目を瞠ったが、あやうくクスクス笑いを洩らすのを堪えたようだ。
「うーん!? ――とにかく、この人形のことを聞かせてよ、あゆみちゃん」
「はい」
 あゆみの説明では、この人形はもともと母が小さいころ祖母に買って貰った物だという。小さい頃はとても大事にしてよく遊んでいたので、母は大人になっても捨てずに大切に保管していた。それをあゆみが受け継ぎ、やはり大事に遊んだが、さすがにもう人形で遊ぶ年頃でもなくなり、近頃は物置に入れっぱなしでその存在すら忘れていた。
「でもこのごろ母が、夜になると悪夢でうなされるようになってしまって。おっきな病院で調べてもらったんですけど、どこも悪くないっていわれるし。そうこうしているうちに、あたしも母と同じ悪夢を見てしまって。でもそれでわかったんです、原因がこの人形だって」
 あゆみはリカちゃん人形をこわごわ指差した。
「夢の中で、あたしを追いかけてくる悪霊となんとか対話してみました。いつか摩耶香様に教えられたとおりに――それで気付いたんです。朝になりすぐ物置へ行くと、やはりこの人形が悪い霊気を出すようになっていました。
 原因はわかりましたが、まだあたしの力では除霊なんてできないし……」
「えっと、他の神官には話してみたの? この種の除霊ならやり慣れているはずだし、だいたい専門家なんだから。こういう困りごとを解決するため教団はあるようなもんだし、そのために姉さんは神官たちを鍛えてきたわけで」
「それが、ちょうど人格交換の術の準備の時期と重なっていて、なかなか取りあってもらえなくて。摩耶香様にもしばらく会わせてもらえませんでしたし」
「そりゃひどい話だね。こんなこと姉さんが知ったらまた何人か怒鳴られるよ……」
「イク、何をやっているの! あなたがいながらあゆみちゃんを困らせるなんて!」
 雄二が摩耶香のフリをして目を吊り上げて言った。その後かわいく、
「――て感じ?」
 イクは固まってしまっていた。あゆみは目をまん丸にしている。
 イクがゆるゆると動き出した。
「……や、やめて下さいよぉ、雄二さん。びっくりしたぁ、本当に姉さんかと思った」
「うふふふふ」
 あゆみは笑ってしまっている。
「ごめんごめん、イクちゃん。場を明るくしようと思ってさ」
「無理やり明るくしなくていいです……」
「いまの摩耶香さんに似てた?」
「そっくりです……」

「姉さんはしばらく帰ってこないし、神官たちもどうせ轡馬老の命令で霊力場の乱れを抑えこもうと必死でしょう。でも、ぼくがなんとかします。親しい神官に頼めば除霊してくれるでしょう」
「でも、あたしなんかのために……」
「遠慮することなんかないよ、あゆみちゃん。そのために教団はあるんだからさ」
 そんな話を聞きながら、雄二はリカちゃん人形を手にとってジッと見つめていた。
「なんだか不思議だなぁ」
「え? どうかしましたか」
「この人形の言っていることが聞こえるような気がする。――この子は寂しがっているんだよ。お母さんやあゆみちゃんにあんなに可愛がってもらったのに、もう一緒に遊んでくれなくて悲しいって……。あゆみちゃんといつまでも一緒にいたいって……」
 あゆみは慌ててかぶりを振った。
「いやです、こんな気味の悪い人形。それならどうしてあたしやお母さんに悪夢を見せたりするの?」
 雄二はゆっくりとかぶりを振った。(摩耶香の)長い髪が流れる。
「それは、それしかあゆみちゃん達に知らせる方法がなかったからだよ。人形は話せないからね」
 あゆみはリカちゃん人形が喋りだすところを想像したらしく、ぶるっと身体を震わせた。
「こわい、あたしこわい。だいたい、どうして悪夢を見させる力が人形なんかにあるんですか?」
「人形というのは、古ければ古いほど、そして愛されれば愛されるほど、特別の力が宿るものなんだ。人の想いや情を吸収して、『命』が芽生えるんだよ。それを『霊』と言い換えてもいいけどね」
「そ、そんな……」
 あゆみは震えた。
「雄二さん、その感じってやっぱり霊能力では……」
 二人のやりとりを固唾をのんで見守っていたイクが訊いた。
「オレにもよくわからないけど、こんな風に『霊』が感じられるのは初めてだな。なんだか除霊もできそうな気がしてきたよ」
「本当ですか? なんだか姉さんみたいだ」
「まあ摩耶香さんの足元にも及ばないだろうけどね。……でも、あゆみちゃん、この人形をこのままそばに置いておく気は?」
 雄二の問いかけに、あゆみは大きくかぶりを振った。
「それじゃあ、やっぱり除霊をしないと。この際、駄目モトでいま試してみることにしようか。どうせ失敗してもオレが祟られるだけだし」
「ちょっ、雄二さんそれは……」
「神社の息子さ、それでもなんとかなるっしょ」
 雄二は立ち上がった。
「じゃあ、イクちゃんとあゆみちゃんは、一応人形から離れて」
 雄二は二人を下がらせると、大きく息を吸いこんで精神を集中した。掌を組んで目を閉じる。
 だんだん、身体の中で《気》が昂ぶってくるのを感じる。それが最高潮に達したとき、組んでいた手を解き、掌を人形にかざした。
 リカちゃん人形に憑いた霊のカタチを捉えたような気がする。
 そのとき、雄二の口からひとりでに呪文が流れ出た。
「ビ ビ デ ・ バ ビ デ ・ ブ ー ♪」
 イクとあゆみは、肩すかしを食ってコケそうになった。
 だがそれも一瞬だった。
 ぱあん……と音がすると、リカちゃん人形から真っ黒いぶよぶよのようなものが飛びだし、部屋の天井一杯に広がったからだ。
「きゃあっ」
「わーっ」
 突然のド派手な霊の登場に、霊現象にある程度慣れている二人もパニック状態になった。
 黒い霊はドロドロと渦巻き、家具や調度をガタガタと揺らした。コップや皿などが戸棚から飛びだして割れ、テーブルやイスがひとりでに浮き上がり、壁や床にガンガンと打ちつけられた。
「こりゃまたかなり悪性の霊だなぁ。あんまり独りで放っておかれたので、拗ねて怨念がたまったかな?」
 悲鳴を上げてうずくまっているイクとあゆみとは対称的に、落ち着きはらって雄二がつぶやく。
 手をかざすとふたたび呪文を唱えた。
「チ ム チ ム ニ ー ♪」
 ぱあっと部屋がまぶしい光で満ちて、その光が衰えたとき、暴れていた霊は消えていた。

 よほど霊現象が怖かったらしく、まだうずくまって震えているイクとあゆみに、雄二は優しく「終わったよ」と声をかけた。
 イクが恐る恐る顔を上げた。
「霊は……消えてしまったんですか?」
 雄二は頷いた。
「幸い、オレの除霊がうまくいったみたいだ」
 雄二はまだ頭を抱えて震えているあゆみの肩にそっと手を置いた。
 あゆみはビクッとして固まる。
「もう大丈夫だから……。リカちゃん人形に憑いていた霊は取り除いたよ。ほら――」
 雄二は人形をテーブルから取り上げて、あゆみの手に握らせてやった。
「こ、こんなもの! こんなもの!」
 あゆみは立ち上がり急に激しい感情を露わにすると、手にしたリカちゃん人形をテーブルに何度も叩きつきた。
「あゆみちゃん、そんなことしちゃ駄目だ。あゆみちゃん――」
 雄二が止めるのも聞かず、あゆみは壊れよとばかりに人形を振り回している。
 その光景を見ているうち、雄二の意識がふっと空白になり、代わりに何かが目覚めた。
「――あゆみちゃん? もーホントにお転婆さんなんだからぁ。いいわ、お姉さんが気持ちの落ち着くおまじないをしてあげるね?」
「はうっ」イクがゾゾゾと悪寒に襲われ二人の間に入ろうとしたが間に合わない。
 ラブコメ人格に支配された雄二は、あゆみのあごに指をかけてスイと顔を上げさせると、ためらうことなくキスをした。
 それも頬とかおでこに、ではない。ずばり唇に。
 ブチューッという感じの熱烈なキスを気持ち良さそうに続ける雄二。びっくりした様子のあゆみは、息もできずただされるにまかせている。
「……」
 イクはもう、赤くなっていいか青くなっていいかもわからず、ただ眼前で繰り広げられる光景をボーゼンと見守っている。
「あゆみちゃん、これで落ち着いたかしら?」
 ラブコメ雄二はようやく唇を離すと、あきらかに本物の女の子っぽい仕草で言った。
「……は、はい」
 あゆみはぽわーんとしていた。先程の狂乱ぶりはどこへやら、だ。
「うふふ、このおまじないはやっぱり効くでしょ? お人形は大切にしてあげなくちゃ駄目だよ。できたら、せめてあゆみちゃんのお部屋に置いてあげるといいと思うな。今度は、きっとあゆみちゃんのピンチを救ってくれるような良い霊が宿るんだから」
「は、はい。摩耶香お姉さま……あ、ちがう、雄二お兄さま……。も、もうどうでもいいんですそんなこと……」
 あゆみは夢心地でリカちゃん人形を抱くと、消え入りそうな声で「ありがとうございました」と言い頭を下げた。そのまま、ふらふらとドアのところまで行ったが、そこでふと立ち止まり振り返る。
「――ファーストキスでした」
 潤んだ眼でそれだけ言うと、小走りに廊下を駆けていった。

 バタンと音をたててドアが閉まった。
 手を振ってにこやかにあゆみを見送っていたラブコメ雄二は、その音で正気にかえったらしかった。
「あ、あれ? い、いまオレって……まっまっまさか!?」
 その耳に、背後からの「ゴゴゴゴゴ」という音が聞こえてきた。
 イクの怒りの効果音(心象風景)であった。
「雄二さん!」
 イクが怒髪天を衝いている。
「な、なんてことをしてくれたんですかっ。教団は創設以来この方面はきわめて健全だったのに、雄二さんのせいでもう汚れてしまった。これで汚れちまった、汚れちまった哀しみに、ですよっ(意味不明)。小学生の女の子にいきなり本気でキスするなんて、このロリコン! 色魔! 児童福祉法違反!」
 イクの容赦ない罵倒が雄二の胸にグサグサと突き刺さる。
「ひ、ひいぃぃぃぃ。イクちゃん、やめてー、やめちくりー」
 今度は雄二が頭を抱えてうずくまる番だった。
「お、オレじゃないんだー。ラブコメ人格の奴が、除霊の疲れで意識が飛んだ一瞬のスキにぃぃぃ……」
「ああ、もうっ。あゆみちゃんを味方に引き入れる作戦だったのに。ああ、もう、どうしたら、わたしはどうしたら……」
 イクは早足でウロウロと歩き回っている。
「それというのも、これというのも、全部! 雄二さんのせいですからね」
「お、おねがいぃ許してぇぇぇ、イク様〜っ」
「こんな時だけ媚びても駄目ですっ。だいたい隠れ人格なんかに意識を乗っ取られるのは、いつもボーッとしている証拠でしょうが」
 イクの言葉責めは果てしなく続く。
 雄二はただ嵐が過ぎるのを待つしかなかった。

==続く==



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