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天に願いを
19話
作:赤目(RED EYE)



第十九話
木漏れ日のなかで

『S市全域で薬物テロ発生か?』――新聞の一面に大きな活字が踊っている。
「……警視庁公安部と関係各機関は、先日S市全域で発生した集団幻覚騒ぎについて、飲料水にLSD等の幻覚剤が投入されたため起こった社会擾乱テロの可能性もあるとみて、予備的な調査を開始した。この事件についてはいずれの国際テロ組織も犯行声明を出していないが、今後は海外の諸機関とも密接に連携して真相を究明することにしており……」
 雄二は音読していた新聞をテーブルに置いて、顔を上げた。
 場所は業田家の居間である。
 隣りには両親が座り、そして向かい側には摩耶香とイク、轡馬がいた。
 あれから一週間。
 今日まで目が回るように忙しい日々だったが、なんとか八風神社であった出来事の後始末をし、警察の捜査も一段落して、ようやくひと息ついたというのが実感だった。
 そして、今日は摩耶香たちが教団の代表として正式にあの事件のお詫びに来たというわけであった。
 雄二は雄二本来の姿だし、摩耶香もそうだ。そう、二人はあれから入れ替わりを解消し、お互い本来の身体に戻っていた。もともと摩耶香の秘術で入れ替わったものだったので、その術を解く儀式をすれば、すんなりと元通りになれた。
 とは言っても、ナラヌガナラヌ鐘の再封印やら、ネダヤシノツルギの霊的隠蔽やら優先度の高い難事業に先に手を染めたため、入れ替わりを解消したのはおとといの夜である。
「だからさ、摩耶香ちゃん。お上はこっちの線を探るようだから、心配しなくてもオレたちのところにはもう来ないんじゃないかな」
 ひと通りの謝罪を済ませたあと、さらに警察の捜査のことで申し訳なさそうに詫びを言い続ける摩耶香に、雄二が助け舟を出したのだ。
「でも、本当のことが知れたらまた業田家の皆さまにご迷惑をおかけするんじゃないかと心配で……」
 摩耶香は身も世もないという様子でうつむき加減に喋っている。
「まあまあ、摩耶香さん」
 雄二の父・大助が言った。
「そんなにお気になさることはない。こう言ってはなんだが、この間のようなことが起こるのも、神職に就いている者としては覚悟の上ですからな。特にウチは裏山のアレと産まず女石という二つの厄介な御神体の御守りをするのが代々役目でしたから」
「でも結局、全てはわたしのわがままでナラヌガナラヌ鐘を盗もうとしたことが……」
「なぁに、摩耶香さんの武勇伝は神主仲間からたくさん聞いておりますよ。あなたは若いのにこの近辺の悪霊やら物の怪を片っ端から退治しておられる。鐘もそのためにお使いになるつもりだったのでしょう。全く、私らからするとトンだ商売敵といったところですかな、ワッハッハ」
「……いえ、とんでもありません。わたしなどはまだまだ未熟者、その件でもあちこち迷惑をかけてしまって、お恥ずかしい限りです」
 摩耶香は痛々しいくらいに恥じ入っていった。今にも消え入りそうだ。
「雄二、ちょっと摩耶香さんにプレハブの仮本堂を案内してやらんか」
「ん? わかった。――行こう、摩耶香ちゃん」
 雄二は立ち上がって摩耶香を誘った。
「え……。でも」
 摩耶香はためらいをみせる。
「姉さん」
 声を掛けたのはイクだ。
「もう、頑張り過ぎない、って約束したでしょ?」
「……。そうだったわね」
 わずかな沈黙のあと頷いて席を立つ摩耶香の先に立って、雄二は部屋を出た。

 境内を歩きながら、雄二は自分の後をしずしずと付いてくる摩耶香に声を掛けた。
「なんか、今日の摩耶香ちゃんは摩耶香ちゃんらしくないね」
「わたしらしくない?……そうかな」
「うん。もっと、強気で、勝ち気で、頑固でないと摩耶香ちゃんじゃないよ。今日は最初から人が変わったみたいなんだもんな。びっくりだよ」
「そんなことない、これだって本当のわたしなんだから。いつもは突っ張ってるかもしれないけど、本当はか弱い女の子……なんだから」
「か弱いねえ……ふーん」
「なに? 雄二くんはわたしの何を知っているっていうわけ? そりゃ身体のことは隅から隅まで知られ……」
 そうそうその調子、と言い掛けた雄二は、摩耶香が思わず顔を赤らめるのを見て、自分も頬がほてるのを感じた。
 こうして考えると、入れ替わっていた時より、お互いの身体のことを知ってまた元に戻った今の方がより恥ずかしい気がする。
「そ、それはそうだけどさ。それはおあいこで……」
 と口走ってから、摩耶香がちょっと怒ったように目を逸らすの見、ドツボにはまったのを知る雄二であった。
 こんな時は話題を変えるのに限る。
「えっと。これが今朝までの突貫工事で完成したばかりのプレハブ本堂だよ」
 雄二は、工事現場などによくあるものと同じプレハブ小屋を指差した。本堂の焼跡のすぐ隣りだ。扉は開け放たれている。
 中に入ると、急ごしらえの祭壇と賽銭箱、そして山積みにされた小石の山があった。しめ縄がその周りに張り巡らされている。
「この石の山が、実は産まず女石の成れの果てなんだ。《邪気》を倒した時には、既に砕け散っていたらしい。それを集めて臨時の御神体にしているわけ」
「そう……こんなになっちゃったんだね。この石もわたしがナラヌガ鐘を欲しがったりしなければ……」
 せっかく気分転換にと連れ出したのに、また元の木阿弥になりそうなので、雄二は慌てて遮った。
「いや、これなら蔵に戻すときもクレーンいらないしさ。あはは……。そうそう、忘れてた。これを」
 そう言って雄二は石のかけらを一つ手に取ると、摩耶香に渡した。
「これを摩耶香ちゃんにも持っていて欲しいんだ。もうオモイハツルヤ姫は天に帰ったけど、オレらを助けてくれた姫をいつまでも忘れないために。それが、最大の供養になりそうだから」
「うん」
 摩耶香はかけらを受け取り、それを試すがめす眺めていたが、やがて決心したように顔を上げた。
「あの、雄二くん、実は大事な……」
「手狭なところでごめんなさいねー」
「わーっ」
 二人の間に突然後ろから割り込んできた小百合に、心底驚いて叫びを上げる雄二。
「何よこの子は、人を妖怪みたいに」
「おふくろ、いきなり出現するなよ(ぜぇぜぇ)。あんたはストーカーか」
「この本堂はあくまで仮営業用のものだから。新しい本堂も来月中には着工予定よ」
 雄二を無視して摩耶香に話しかける小百合。
「あ、あは。そ、そうですか。おばさま、今回は本当にご迷惑をおかけしまして……」
 なんとか平静を装い改めて頭を下げる摩耶香。
「ううん、いいのいいの。前の本堂、戦前から建ってたもので、もう次の台風シーズン越せるか心配だったんだから。火災保険はあるし、社務所や住居は無事だったし大したことない。そういえば、ひとつ気掛かりなことがあったわ。国宝Gメンがもうネダヤシツルギのことを嗅ぎつけたらしいのよ。なんせ古い時代のものでしょ、重要文化財や国宝指定なんてことになったら、管理や保管が面倒でねえ……」
「補償をさせて頂くのは当然として、それでしたら、天願教団に文部省へのツテもありますので、さっそく裏から手を回します。なんせウチの教団も、宗教法人格を取得するときはあまり人に言えないようなマネを……おほほ」
 淑やかに笑う摩耶香に、小百合が頷きかけた。
「本当に頼もしい、よく出来た娘さんですこと。ウチのボンクラとは大違いよ。そういえば入れ替わっていた時も手が掛からずホンと楽だったわ、いっそあのまま……」
「ああもう、いい加減にしろよおふくろ。家に帰ってろって」
 雄二は小百合の背中を押して遠ざける。
 小百合は雄二にサムアップしながら去って行った。
「……ほんと楽しいお母さんね」
「そうかぁ、うっとうしいだけだよ」
「ううん、そんなことない。……わたし、入れ替わってからずっと、雄二くんの家がうらやましかったもの」
「何いってんの、摩耶香ちゃんもご両親はいるでしょ」
 摩耶香はそれには答えず、しばしの沈黙のあと、顔を上げた。
「ねえ、もしよければ、これから二人で裏山に登ってみない? 実はね、大事なお話があるんだけどな……」
「大事な話?……えと、まさか告白……とか?」
 摩耶香の切れ長の眼でキッと睨まれ、思わずたじろぐ雄二。
「バカ?」
 そう言われ、あいまいに笑いながら後ずさる雄二であった。


 再び業田家の居間。部屋に戻った小百合が、それとなく雄二たちの様子を報告している。
「あの二人、なかなかどうして悪くない雰囲気みたいよ。むふふ、今日中にどうかなっちゃうかもしれないわ」
「これ、小百合」
 そうは言ったものの、大助も本気ではない。
 イクの右の眉毛がコンマ5ミリ上がったが、努めて平静を装うその態度に座っている他の三人は気付かない。少なくとも座っている人は。
「いいんですかほっといてー」
「教祖を雄二くんに取られてしまいますよー」
「ひょえっ」
 突然背後から顔を覗き込むようにして現れたあゆみと華枝の両脇からの攻撃に、イクはたじろいだ。
「な、なんですか二人とも唐突に。いま、大事なお話しの最中です。だいたい何時こっちに来たんですか全く、教祖にわたしと轡馬さん以外は絶対来ちゃいけないって言われてたでしょうに、もう」
「うふふ、内心の動揺が現れていますね、副代表ー」
「あゆみ君、失礼な。わたしは動揺なんてしていません」
 二人ともこういう席なので呼び方はマナーに則っている。
「あら、そうですかー。でも雄二さんが言ってたなぁ、副代表が教祖を想う気持ちには逆立ちしてもかなわないって。だって、あの時だってナラヌガナラヌ鐘を『好き』という気持ちだけで鳴らし……」
 イクは慌ててあゆみの口に手をやって押えた。
「な、何を言うんですか君は。わたしが好きだと言ったのは、あくまで、姉として、ですよ」
「はっはっは、まあまあ」
 大助が割って入った。
「こりゃあ、親としてもちょっと放っておけません。どうですか、堅い話は後回しにして、これから皆で二人を覗……陰からこっそり暖かく見守ってやるというのは」
「ほほう、それは良いご提案かもしれませんな。弊団としましても教祖の素行については年頃でもあり、普段から気に掛けているところでありましてな」
「轡馬さんまで」
 イクが抗議の視線を向けた。
「ほーい、じゃあ決定ですね。みんなで行きましょう」
 華枝がそう言って先頭で部屋から出ると、皆が続いた。イクはそれでもしばらく意地を張って座り続けていたが、三十秒くらいすると我慢できなくなり、大儀そうに席を立った。
 だがイクは玄関を出たところで、あきれたような顔で立ち止まってしまう。
 境内には「天願教団ご一行様」と書かれた旗を持ったバスガイト数名と、本部の信者の大半がいた。観光バス数台を仕立ててやって来たことは明白であった。
「隊長! 信者のひとりが、教祖と徒し男が裏山の山頂に向かったのを目撃しました」
 あゆみが敬礼しながら華枝に報告している。
「ご苦労。それでは、我が軍は気付かれないように裏山の向こう側から回り込みつつ、山頂を目指す。いざ出陣」
 イクは頭を抱えた。



 裏山の山頂に近い、地社のところまで雄二と摩耶香は登ってきていた。山頂には天社があり、これらを含め合計八つの祠がナラヌガナラヌ鐘を封印している。
 あの一件のあと、摩耶香と教団の神官団が三日三晩ほぼ不眠不休で鐘を再封印していた。前より数段強力な縛めとなり、まず滅多なことでは破られなくなっている。
 地社の祠の前の小さな空き地で立ち止まり、二人は木々の間から眼下を見下ろした。空は爽やかに晴れ、午後の明るい日差しがまぶしいほど降り注いでいる。
「ここまで来ると、結構眺めも良いでしょ。こんな里山だから、山頂近くまでぎっしり木はあるけどね」
「うん、あの時は気付かなかったけど、市街まで見渡せるんだ。……でも、かなり木々が倒されててちょっと痛々しい感じ」
 《邪気》が暴れたせいであった。
「まあ、木なんか放っておいてもまた生えるよ」
 二人は手頃な切り株と岩にどちらからともなく腰掛けた。ちょうど樹々の影になっており、あたり一面に木漏れ日が落ちている。
「こんなところまで付き合ってくれてありがとう。……」
 そう言って続きの言葉を捜しているらしい摩耶香の顔を見て、雄二はちょっとドキっとした。
 摩耶香としては珍しく、どうやらはにかんでいるらしい。
「あのさ、良かったら聞きたいんだけど……雄二くんは、好きな子とかいるんだ?」
「い、いないよそんなの……。びっくりしたなぁ。さっき告白じゃないって言ったのに、どうしてそんなこと聞くの?」
「だって、入れ替わっていたときね、下駄箱にラブレター一杯入ってたし、女の子には言い寄られるし……」
「それは摩耶香ちゃんがモテてたんじゃないの」
「そ、そうかな……。じゃあ、付きあっている子とかいないんだ? プライベートな時間は割りと自由になるんだよね」
「? うん、そりゃあ、まあそうだけどね。そういう摩耶香ちゃんは、好きな子がいるんだな、きっと」
「あたし? あたしは教団がすべて。ここ何年かずっと、ね。……それがいけなかったのかも」
「え?」
 摩耶香は自嘲的に笑っていた。
「あたし本当に馬鹿だったと思う。自分の馬鹿さ加減に気付かないほど。サイテーよね」
「そんなこと言うもんじゃないよ」
「ううん。入れ替わりのことだって、初日から雄二くんのご両親は気付いていたと思う。気付いていながら、あたしが自分の間違いを悟るまで待っていてくれたのよ。本当に優しいおじさまとおばさまだわ。それなのにあたしったら……」
「ウチの両親がそんなに鋭いとはちょっと信じられないけどな」
「そんなことない。あたしが雄二くんの家はうらやましいと言ったのは本気なんだから。……あのね、これはたぶん誰からも聞いてないと思うけど……あたし、峰谷家の本当の子供じゃないの」
 雄二は言葉を詰まらせた。
「じゃあ、養子とか……」
「うん、俗にいう貰い子ってやつよ」
「ということは、イクちゃんとは?」
「血は繋がってない。義理の姉弟なの。実際は雄二くんも知っての通り、そこらの肉親以上に仲が良いけどね」
 あちゃー、と雄二は悔恨に暮れた。それなら、イクちゃんをあんなにからかうんじゃなかった。いや、それどころか摩耶香の身体で二回もキスしてしまっているし。
「教団でもこのことはほんの一部の幹部しか知らないわ。あたしは前教祖のまな娘ということになってるから。もちろん、今の両親に文句を言いたいわけじゃないの。施設からあたしを拾ってくれた大恩は忘れないし、本当に良くして貰ってる。でも、あの人達はもう教団が稼ぎ出すお金にしか興味がないのよ。……あんな事件があったのに、今日だってわたしたちに付いてこなかったでしょう」
「それは、他に大事な用があったんじゃ……」
 摩耶香は寂しそうに首を振った。
「あたしは小さい頃から人並み以上の霊能力があったから、施設でも気味悪がられてたわ。自分の能力が心底疎ましかった。でも、その能力を買われて峰谷家の養子になったの。それからは世界が変わったわ、わかるでしょ。周囲は自分の霊能力を賛美し、必要としてくれる人ばかりなんですもの。困った人を助ければ感謝されるし、それが本当に嬉しくてね。ゴミ以下の存在だと思っていた捨て子の自分が、世の役に立てるとわかって、その後は教団ひと筋だったんだよ。……それと」
 摩耶香はクスクス笑った。
「イクね。あの子は、最初からお姉ちゃんお姉ちゃんって、あたしを慕ってくれた。昔はもっと女の子っぽかったのよ、今はまだ男の子らしくなったほう」
「へえ、あれで」
 雄二も釣られて笑う。
「イクには本当に感謝しているわ。あの子だけがわたしの本当の肉親、ううん、もっと大切な心の拠りどころかもしれない。今ではわたしの片腕として、教団の財政を支えてくれるまでになったし。……そんなこともあり、今の両親に報いるためもあり……あたしは何時の間にか周囲が見えなくなり、教団のために頑張り過ぎたのかな、って思う。それで結局雄二くんのところにご迷惑をおかけしてしまった、というわけ。イクにも、あんなに反対されていたのにね……」
 摩耶香は唐突に立ち上がって、無理やり明るい声で言った。
「ごめん、すごく暗い話になっちゃった。こんなに重くてダサくてウザい話、聞きたくなかったでしょ? なんか、話をしたら、急に楽になっちゃったよ、もうこれで……」
「摩耶香ちゃん」
 雄二は真面目な顔で言う。
「じゃあ、“摩耶香”っていう名前は、本当の名前じゃないんだ」
「ん……。よく、わかったわね」
 摩耶香は困ったような哀しいような顔をした。
「摩耶香って名前は、教団の代表としてふさわしい名前ということで、改名したの。芸名みたいなものね。養子縁組する前の本当の名前は本平すず。古臭い名でしょ?」
「そんなことないよ。本平すず、すず……。じゃあ、スーちゃんか」
「あは、そんな愛称で呼ばれるの、もう十年ぶりかな……。スーちゃんなんて、昔を思い出すよ」
 ふいに摩耶香は震え、その瞳からひと筋涙がこぼれ落ちた
「懐かしくて、びっくりしたじゃない……急に、そんな風に呼ばなくたって」
「マヤちゃん……いや、スーちゃん」 
 雄二は、運命の哀しみや孤独の苦しさにじっと耐える少女を前にして、何もできずにいた。
「ひどいよ、雄二くん、ひどいよ、あたしをこんなにガタガタにして……。もうお話を聞いて貰ったからいいやって思ったのに、思ったのに……」
 摩耶香はそうすれば激情に流されぬとでも言いたげに必死で足を踏ん張り、涙を拭った。
「もうひとつ、お願いを聞いて貰わないといけないわ」
「言ってみてよ、とにかくここで聞いているから」
 雄二は自分の赤心と度量を試すような気持ちで、目を閉じた。
「あたしなんか、普段は澄ましているけど中身は偏狭で、意地っ張りで、負けず嫌いの本当にいやな奴なのよ。そんな人間がたくさんの信者を預かる教団の代表をしているの。あたし、きっと間違うわ。もう、このまえ一度間違えた。間違えて雄二くんに迷惑をかけた。次もきっと間違うと思う。でも、あたしは教団の仕事を続けたいの。だから、だから、あたしを――」
 摩耶香の声が祈るような調子を帯びたように思えた。
「あたしを、叱ってほしい」
 雄二はびっくりして目を開けて摩耶香を見た。
「――叱ってほしいの。間違えたら、叱ってほしい」
 摩耶香も、全霊を掛けた願いだったらしく、目を閉じて震え出さんばかりにしている。
「本当はこんなことお願いできる立場じゃないって、わかってるの。でも、あなた以外に頼れる人がいないもの。だから、できたら雄二くんには、教団の顧問に……」
「オレが天願教団の顧問、だって?」
 雄二の言葉に、摩耶香は本当にぶるっと震えた。
「そんな、とんでもないよ。オレみたいな未熟者が――。でも、顧問なんて大層なものじゃなくて、非常勤のごく個人的な相談役くらいなら、できるかも」
「ほんと」
 摩耶香は目を見開いて、顔を輝かせた。
「うん」
 雄二は満面の笑みを浮かべて頷いている。
 摩耶香は胸が詰まったらしく、万感の想いを背負いきれぬように、地面に膝を付いた。
「あ、ありがと――。あ、あたし、もし断られたらどうしようかと思ってた――」
 摩耶香はとうとう耐えきれなくなったらしく、声を上げて泣いた。
 その姿を見ながら、やはり雄二は動けないでいた。TVのトレンディードラマであればここで格好よく主演男優がヒロインに駆け寄り抱きしめるところだが――。雄二と摩耶香、ふたりの距離は、まだ遠い。
 だが……?

(ようやく現場に到着よ。――って、何よこれ、いきなり濡れ場じゃない)
(どこどこ華枝さん。あっ、お姉さまが泣いてる。くっ、雄二のやつ今度は何したっての)
(しーっ、静かに。今いいところなんだから。おお、わが息子。その歳で女を泣かすとはなかなかやるのぉ)
(お、お姉ちゃん。ぼく、ぼく……ぐすん)
 茂みや深い木立の中で囁かれているそんな声に、今の雄二と摩耶香が気付くはずもなかった。

 泣きじゃくる摩耶香を見ながら、雄二は、大変な娘に見込まれちゃったな、と考え込んでいた。もちろん疎ましいわけではない。むしろ、頼りにしてくれて嬉しいくらいだ。
 だが、おない歳なのにもう天願教団という大組織を率いている摩耶香に、果たして何の取り柄もない自分ごときが助言できるか、と思うと、つくづく不安にならざるをえない。
 だが、楽天的なのが雄二の良いところだ。くよくよ考えても仕方ない、まあなんとかなるさ。すぐそう思い直すと、雄二は、ようやく泣き止んでハンカチで涙を拭う摩耶香を見やった。
 そのハンカチは、もう涙でぐっしょり濡れている。
「マヤちゃん、はい」
 雄二は立ち上がって摩耶香の前まで行くと、自分のハンカチを差し出した。
 摩耶香は雄二を見上げ、それを受け取ると泣き腫らした目でつぶやく。
「やさしいんだね。――あたし、こんな酷い顔まで雄二くんに見られちゃった。もう、裸も見られるし、こんなに脆い胸の中まで知られるし、ほんと散々だよ。ふふ……」
「いいや、君はか弱いようでいて、やっぱり毅い女の子だよ。オレなんかより数段大人だと思うな」
「いいんだよ、心にもないこと言ってくれなくても。――でもいいや、あたし、雄二くんになら入れ替わられても良いもん」
 さりげなく重要なことを言う摩耶香。
「ん……。そ、そうかぁ」
 雄二は照れて思わず鼻の頭をポリポリやる。

(ああもう、じれったいわねえ。雄二、そこで抱きしめるのよ。何やってんのボンクラ息子。声もよく聞こえないし、イライラするわ)
(おばさま、なんだか完全に入り込んでますね。……華枝さんは、こんな時になにバナナ食べてんですか)
(モグモグ、遠足におやつは付き物でしょう……モグモグ……まあ仕上げをごろうじろってね。雄二くんには借りがあるからね、モグ)
(お姉ちゃん、ぼく、ぼく……でも雄二さんも大好きだし、雄二さんならお姉ちゃんを安心して……でもやっぱり……ぐすん)

「で、でもさ、ひとつだけ許せないことがあったんだけどな」
 摩耶香も自分の発言の重大さにようやく気付いたらしく、立ち上がってやや急き込むように続けた。
「雄二くんがあたしの身体で水着になったのも我慢する。キャミなんとかという下着みたいな服でウロウロしたのも我慢する。お風呂に入ったのだって、我慢する。……だけど、あの……キスしてたのだけはちょっと酷いんじゃない?」
 ギク、と身体を固くする雄二。どうやら摩耶香は教団で色々情報を仕入れたらしい。
「い、いや、あれはさ、相手がイクちゃんだったし、あのね……」
「イクだけじゃないよね。あゆみちゃんとも、華枝さんともキスしてたそうじゃない。……一応、誰ともしたことなかったんだぞ。こう見えても、気にする質なんだから」
 摩耶香はむくれた顔になった。
「ご、ごめん、そんな細かいことは気にしない鬼のように強いコだとばかり……て、違う違う、あれはオレじゃなくてラブコメ人格なんだからさ。いわばもう一人の君だよ」
「さあ、どうだかわかったもんじゃないわ」
「信用してくれないの? ――じゃあマヤちゃんだってさ、オレの身体で何度も横山誘って立ちションしてたじゃん。あいつが昨日言ってた」
「な……! ちょ、ちょっと今のはデリカシーないんじゃないかしら。――だいたい、立ちションしたって男は困るようなことないじゃないの、バカ」

(あら、なんだか雲行きが怪しくなってきたわ)
(奥様、ご安心を。このバナナの皮があれば万事解決ですわ、おほほ)
(? どうするんですか華枝さん)
(お姉ちゃん、雄二さんとは仲良くして……でも仲良すぎるのも……ぐすぐす)

 摩耶香は照れ隠しのためか、後ろを向いてしまった。
「まったく、摩耶香ちゃんは意固地なんだから」
「悪かったわね、どうせあたしなんか――」
「……って、うわあ、なんでこんなところにお約束のシロモノがぁ!」
「え?」
 と摩耶香が振り返ったところへ、華枝の投げたバナナの皮でつるんと見事に滑った雄二が、たたらを踏んで抱きついてしまう。
 瞬間、二人は凝固した。
「あ……ご、ごめ……」
 だが、摩耶香は逆にゆっくりと力を抜いておずおずと雄二に身体を預けてくる。
「いいよ、別に……」
 二人の鼓動が重なり、ときめきで押し潰されそうな沈黙が降りた。
 永遠に続くかと思われる束の間。
「ねえ……知ってる? 女の子のファーストキスってね……」
 そのあとの言葉を、摩耶香は呑み込んだ。雄二の目の前に、摩耶香の濡れた瞳がある。
「好きな相手としたものだけ、本物なんだよ」
 そう摩耶香は言いたかったのだろう。
 でも言わなかった。代わりに、くちびるを雄二に与える姿勢になった。
 二人は自然と唇を重ねた。
 その途端。
 祠のすぐ後ろの茂みから、華枝、小百合、あゆみ、イクの四人が転がり出て、地面へ倒れ込んだ。あまりに身を乗り出し過ぎて、バランスを崩したのだ。
 それを合図にしたかのように、あちこちの木立やら茂みの中から、一斉にたくさんの人々が現れた。
「は……?」
「え……?」
 抱き合ったまま、仰天して続く言葉もない雄二と摩耶香。
「いやあ、まいったまいった」
「摩耶香様、おめでとうございます」
「雄二、よくやったわ、母さんお前が立派になって嬉しい」
「摩耶香様、我ら男性神官としては……オーイオイオイ」
「素敵なキスでしたよ」
「ほんに、若いもんは良いのお、ほっほっほ」
「雄二さんとお姉さまのカップル、憧れちゃいます」
「お姉ちゃ……ぼく今にもっと強くなるから……うるうる」
 人々は(若干の例外を除いて)微笑みながら口々に勝手なお祝いを述べている。
 そんな、二人にとっては信じられないような悪夢の光景を目の当たりにして、雄二と摩耶香はただ呆然と立ち尽くすのみだった。
 ようやく凝固から解き放たれて、身体を離す二人。
「あ……あ……。み、みんな見てたんだ? 絶対、絶対、八風神社に来ちゃいけないってあれほど言ったのに――。もう、みんな破門よー! 教団は今日で解散するからぁ!」
 摩耶香の叫びに、人々の間をさざめくような暖かい笑い声が広がった。
 木漏れ日の向こうに、澄み渡る青空が覗いている。
 八風神社は、今日も晴れ渡っていた。

==おわり==





……?
「み、みんな見てたんだ? 絶対、絶対、八風神社に来ちゃいけないってあれほど言ったのに――。もう、みんな破門よー! 教団は今日解散するからぁ!」
 そう叫んだのは、実は雄二であった。
 その光景を、不思議そうに摩耶香が見ている。
「あれ……なんでオレが目の前にいるんだ?」
 摩耶香はそう言って、雄二を指差した。
 その雄二も、叫んだあとポカンとした表情で摩耶香を見つめ返した。
「どうしてあたしがここに……」
「わ」
「え」
 二人は同時に気付いたらしく、自分の身体と相手のそれを見比べた。
「オレたち、また入れ替わっちゃったんだ」
「どういうこと? まさか、キスすると入れ替わる体質になっちゃったんじゃ……」
「えーっ、そんなぁ」
「この間のことで剣や鐘から一番強く影響を受けたのはあたしたち二人だもん。そのとき霊的本質にどんな変化があったかわかったもんじゃないわ」
「大変だ、それならもう一度キスしなきゃ」
「もう、キスしちゃだめーっ」
 再度唇を合わせる体勢になった二人の間に、イクが半泣きになって割り込んだ。
 思わず顔を見合わせクスリと笑う雄二(中身摩耶香)と摩耶香(中身雄二)。
 いま一度、人から人へさざめくように暖かい笑顔が広がる。
 木漏れ日の向こうに、澄み渡る青空が覗いて――。
 八風神社に、きらめく風が吹き抜けていった。

==完==



●あとがき

 まずは、この長い物語に最後までお付き合い頂いた読者の皆様に感謝します。
 作者としては、今は結構喪失感らしきものを味わっていますが、それでも約十ヶ月に渡って続いた話が無事終って心から安堵しているのも事実です。
 まだまだ不備の多い拙い小説ではありますが、ほぼ最初に考えていたプロット通りに進んで、自分の書きたいように、書きたいことがそのまま書けたという意味で、個人的にはエポックメーキングな長編かもしれません。連載期間中は、「書く」ことでお話を作る楽しみを何度も再発見するという充実した時間を過ごせました。

 当初のプロットと違ったところは、やはりイクの扱いで、こんなに重要な役回りになるとは全くの想定外でした。炎に飛び込む役柄は元々主人公にやらせるつもりでしたが、少し設定に無理が出たかもしれません。ただ結果的には良かったと思っています。
 反省点などを。やはり天願教団の教義とか儀式の内容をきっちり設定しておくべきだったこと。そして「S市」という命名の失敗。このあたりは設定を作り込む前に書き始めてしまったことが敗因でしょう。あとは、入れ替わって身体が女の子になっている主人公を単に「雄二」と呼んでいましたが、これだけだと絵がない小説の場合解りづらいわけで、しつこく説明を入れるべきだったかもしれません。
 連載中は、たくさんの人から励ましの言葉を頂き、大いに発奮しました。この場を借りましてお礼を申し上げます。

 完全な新作、そして続編のアイディアもありますので、またおいおい書いていくことにします。今は、とにかくこの物語の「呪縛」から解放されたこと、登場人物たちを無事「成仏」させられたことを、作者として素直に喜びたいと思います。
 そしてもちろん、この拙い小説を読者の皆様にいくばくかでも楽しんで頂けたのであれば、こんなに嬉しいことはありません。

二〇〇三年二月十日 赤目


(本文中の挿し絵は電波妖精さんにご寄贈頂いたものです。この素晴らしいイラストから最終回の副題を思い付きました。心から感謝します)

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