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天に願いを
18話(その7)
作:赤目(RED EYE)



第十八話
八風神社炎上(その七)

 雄二はイクを連れてどんよりと昏い空へ舞い上がった。二人はほのかに光る霞みのようなものに包まれており、それが浮揚力を与えているらしい。ネダヤシノツルギの力であった。
 不思議と飛ぶことへの怖れも驚異も感じていない。身体の中に湧き上がる力のまま当然のごとく宙に浮き、駆け抜けたいという欲求のままに中空を舞っていた。
 セーラー服の少女姿の雄二と、清楚なワンピースのイクが並んで天空を駆ける様は、まるで天女の姉妹の無邪気な遊戯とも見えた。
 もちろん実際はそんなのんびりした状況ではない。
 空中から雄二は、《邪気》が裏山のふもとで暴れているのを見、そして山頂の摩耶香(身体は雄二のものだが)やその上にのしかかるように浮かぶナラヌガナラヌ鐘の影を認めていた。
 もはや一刻の猶予もないらしい。
 手を繋いで傍らを飛翔しているイクも、ここまで追い込まれていることにかなりショックを受けているようだ。
「イクちゃん、大丈夫だ。チャンスを見つけて必ず太刀を振るうから」
 雄二は半分自分に言い聞かせるように言った。
 イクが雄二を見てなんとか頷き返す。
 四つん這いで四天王を襲っていた《邪気》が雄二たちの姿に気付き、耳を覆いたくなるような野卑なダミ声で叫んだ。
「あーらー、石から出たのー、雄二くーん。イクちゃんとも仲良さそーねー、でももう遅いわよー、ホホホホホ……て!? がぼっ」
 《邪気》が大口を開けて高笑いし始めたところへ、口内に灰色の鉄の球体が投げ込まれていた。同時に火の点いた発煙筒も……。
 次の瞬間、凄まじい爆発が起こり、《邪気》の頭がふっ飛んだ。
 四天王だった。壱郎がジャストタイミングで栓を開けたLPガスボンベを、そして三四郎が車載用発煙筒を投げ込んだのだ。急場の作戦通りとはいえ、とてつもないコントロールの投擲である。
「やったかもしれない――」
 雄二は首無しになった《邪気》の巨体を上空から見やった。
 だが次の刹那、新たな頭が胴体からズボッと飛び出し、うすら寒くなるような笑い声が響いた。
「あ・ま・い・わ・よ」
 《邪気》の腕の一本がゴムのように伸び、空中の雄二たちを捕らえようとまっすぐ迫ってきた。
「くっ」
 危ういところでそれを避ける二人。
 腕は一旦通り過ぎてからも、方向を変えしなりながら雄二たちを追ってくる。
 雄二は片手にネダヤシツルギ、もう片手にしっかとイクの手を握りながら、天空を縦横に駆けそれを避け続けた。
「ちいっ、しつこいやつ」
 裏山の山頂近くまで飛び、そこでいまだ《邪気》の術のままに呪文を唱え続ける少年の横を、二人は凄いスピードですり抜けた。身体は雄二のものだが、もちろん中身は摩耶香だ。
「姉さん……!」
 イクが、一瞬視界をよぎったその姿を遠のきながらもなんとか振り向き捉えつつ、祈るように言葉を洩らした。だがそんな声も、今の摩耶香にはもちろん届かない。
「どうしたのー雄二くーん、そんな剣を持ってても、使わなけきゃただのコケオドシよー」
 《邪気》の哄笑が響いた。
「ヤロー、いわせておけば」
 雄二は、いっそいま剣を振るってしまおうかと考えた。
 いや、だめだ。
 雄二にはわかった。剣が、まだその時ではないと伝えてきている。
 だいいち、怒りや憎しみを込めて使ってはいけないとオモイハツルヤ姫が諌めてなかったか。
 チャンスが、どんな小さなものでも良いからチャンスが必要だった。雄二は必死になってそれを捜しながら、《邪気》のマニキュアの手を避け続けた。
 女性の悲鳴が響いた。
 物陰に隠れていた女性神官の一人が捕まっていた――魍魎に。
 これまでは影だけの存在だった魑魅魍魎たちが、とうとう実体化し始めたのだ。
 四天王が、魍魎どもを蹴散らしながら助けに向かったが、次から次へと現れる物の怪に襲い掛かられて苦戦を強いられている。
「いま助けに――くっ」
 そちらへ向おうとした雄二たちのところへ、更に《邪気》の腕が二本伸びて襲い掛かってきた。ナラヌガナラヌ鐘の封印がいよいよ切れる寸前なのだろう。《邪気》の魔力も、信じられないくらい強まっているようだ。
 雄二はイクの手を握ったまま、次々に襲い来るマニキュアの手の攻撃をかわしながら、空を駆け巡った。これでは、剣を振るうどころの話ではない。
 見れば、ナラヌガナラヌ鐘を縛るしめ縄も、摩耶香の一心不乱の呪文で最後のひと縒りが切れかけているところである。
「うほっほっほー、あたしの勝利よー。よくやってくれたわねー摩耶香ー。あとはアタシとお前でやりたい放題、楽しい世界の到来よー」
 《邪気》の歓喜に満ちたダミ声が響いた。
 雄二はこのまま剣を使うこともなく敗北してしまうのかと、思わず歯軋りしてしまう。
 そのときだった。
 イクが何かつぶやいているのに、雄二は気付いた。
「お姉ちゃん、もうやめて……ぼく、お姉ちゃんのことが……なのに……お願い、もうやめて……」
「イクちゃん……」
 雄二は思わずイクの顔を見た。
 眉間に苦悩の色を浮かべながら、目を閉じてイクは祈るように言葉を紡いでいた。
「お願い、お姉ちゃん……ぼく、ぼく――」
 イクはそのあとの言葉を激情に耐えかねるように、突然全身全霊を込め叫んでいた。
「お姉ちゃん、もうやめてっ。ぼく、お姉ちゃんが大好きだ!」
 隣りにいる雄二が驚いて思わずのけぞるような声だった。
 そして……その時それは起きたのだ。

   ぼく、ぼく、ぼく、お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃんが
   大好き、大好き、大好きだ

 そこにいた全員が、《邪気》を含めてその魂の叫びのリフレインに晒され凍り付いた。
 ナラヌガナラヌ鐘であった。
 ほとんど封印が切れかけていたナラヌガナラヌ鐘が、イクの強い想いに反応して共鳴したのだ。
 その波動に翻弄されるかのように、実体化していた物の怪たちがうろたえ、明滅した。
 《邪気》の負の怨念と、イクの純粋な想念がぶつかりせめぎ合い、ナラヌガナラヌ鐘をギリギリのところで捉え揺らせているのだった。
 だが、それで充分だったのだ。イクの想いは、たった一人のひとに向けられたものなのだから。
「――え!? イク?」
 山頂で、《邪気》の妖術のまま最後の封印を解こうとしていた摩耶香が、その谺が届いた瞬間目覚めた。
 摩耶香は、その桁外れの霊感により一瞬ですべてを悟ったらしかった。
「くっ――このっ」
 妖術で操られていた時とは比べものにならない強い力で、封印を解きかけていた呪術の効果を反転させる。手にした水晶玉がひときわ強く光り輝いた。
 たちまち、最後のひと縒りさえ切れ掛けていたしめ縄が、凄いスピードで復元され縒り合わさってゆく。
「な、なんてことを――、やめてやめてやめるのよー摩耶香ー」
 《邪気》は雄二たちを追うのも忘れ、伸ばしていない五本の手で頭を抱えた。
「今だ!」
 千載一遇の好機、雄二はそれを逃さなかった。
 無念無想で――雄二はついこの間までの日課だった竹刀の果てしない素振りの境地を思い出している。
「チャー」
 そう言って雄二がネダヤシノツルギを構えた途端。
 天上でいくつもの光が爆発し、それに遅れるように千のドラムを打ち鳴らしたかのような轟音が大気を震わせ響き渡った。
 誰しもが息を呑み、宙に浮かぶ少女といきなり様相を変えた空を見上げている。
「シュー」
 雄二が剣を振りかぶると、今度はその剣の動きに合わせるかのように、天から全ての光がかき消すように消え失せた。いや、正確には、まるで鷲掴みにされたかのように光という光が抉り取られ一点に収束し、まぶしい球体に姿を変えたのだ。
 光を奪われ底の抜けた暗黒の空には、星が見えた。そして広がる静寂のなかで、全天のあちこちにゆらゆらとゆらめくのは、オーロラであった。
 全ての人がその光景に総毛立っていた。それは《邪気》も例外ではない。
 自分の頭上の遥かなところに突然出現した光の球体と、宙に浮かぶ少女とを素早く見比べ、どうやら自らの運命を悟ったらしい。
「ま、待ってちょうだい、俺が悪かった。な、頼むから話し合おう、話せばわか――」
「メーン!」
 雄二は構わず剣を振り下ろした。
 音でもない、閃光でもない、物理空間を引き裂く衝撃そのものが球体から墜ちた――《邪気》の頭に。
 それは、巨大化した《邪気》の全身を両断するように突き抜けた。
 木が、森が、岩が、山が、大地が――そして大気と、その場にいる全ての人々が、嵐に翻弄される木の葉のようにグラグラと揺れていた。別段地震が始まった訳ではない。重力場に激しい擾乱が起きているのだ。
 《邪気》の恐ろしい悲鳴が響き渡った。
 天空からの衝撃に裂かれた傷口を中心にして、《邪気》の身体がどうしてかグルリと裏返ってゆく。
 そして、裏返った皮だけの体が、またしても傷口の中に吸い込まれる。
 ちょうど自らの尻尾を喰らう蛇のように、《邪気》はズルリと裏返されながら、自身の傷口の中へ吸い込まれスルスルと消えていった。
「おーぼーえーてーやーが……」
 最後の「れ」を言い終わることはできなかった。《邪気》はネダヤシノツルギの力で、この世から完全に姿を消していた。
 天に光が戻ったとき、誰しもが思わず目を覆ってそのまぶしさに耐えねばならなかった。
 見れば、もう太陽は高々と昇っており、透き通るような群青の空が全天に広がっているのだった。
 すでに魍魎たちの姿はどこにも見えない。
 歓喜に満ちた叫びが人々から沸き起こり、それは長く、長く、尾を引いた。……


 雄二はようやく全身の力を抜くと、フウと大きく息を吐いて剣を下ろす。まだ空中に浮かんだままだ。
 剣の凄まじい威力による勝利だったが、その力に振り回されなかったのは、決して自分の力量だけではないことを雄二は知っていた。
「オモイハツルヤ姫……」
 雄二は天を見上げて呟いていた。
 姫が、天に昇る直前に、最後の力を振り絞って雄二に力を与えてくれたのだ。それが雄二にはわかった。
「――イクちゃん、終わったよ」
 雄二は傍らに浮かぶイクに声を掛けた。
 イクは、ナラヌガナラヌ鐘を無意識に鳴らしてしまったことで、そのフィードバックを喰らったらしく、まだ呆然としていた。が、雄二にその肩を優しく揺すられると、すぐに気付いた。
 目をパチパチしながら言う。
「もしかしたら、やったんですか、雄二さん!?」
 雄二はようやく実感が湧いてきて微笑みを浮かべる。
「ああ、なんとかね。――ほら、あれを」
 雄二が指さした裏山の山頂では、男性神官たちに囲まれた少年がこちらへ大きく手を振っていた。もちろん摩耶香である。
「わあ、やったぁ!」
 イクは大はしゃぎで摩耶香に手を振ると、雄二にも抱きついてきた。
「おっと、イクちゃんそんなに抱きついたら……抱きついたら……あ、あれ!?……」
 雄二は急速に意識が遠のくのを感じた。ああ、なんだってこんな時に。そういえば以前もこんな……。
「だ、大丈夫ですか、雄二さん!?」
 浮かんだまま気絶したようになった雄二を、イクがガクガクと揺すった。
 そして、目覚めたのは――。
 ニマー、とした顔がイクの目の前にあった。
「告白してくれてありがとー。んもー、恥ずかしがりやさんだとばかり思ってたら、ギンギンに大胆なんだからぁ。姉さん、とっても嬉しかったよぉ」
「は?……あ、ま、まさか、ラ、ラブコメ人格――」
 イクの顔が恐怖に引きつった。
 その通り、摩耶香の身体の中に残っていた隠れ人格が、また顔を出したのだ。
 ラブコメ人格は、右手に持っていた剣を無造作にポイ、と投げ捨てると、イクをガバッと抱きしめた。
「イヤー、だめーっ、離してーっ、雄二さぁんお願い――」
 イクはもがいて逃れようとしたが、何しろ咄嗟のこと、空中でもあり身体が自由に動かない。
 ぶちゅううう〜う、とこれまでで最高に強烈なキスをされてしまった。
「あ……」
 イクは緊張の糸がとうとうプツンと切れたらしく、気絶した。
 ネダヤシノツルギを失ったことで、急速に落下し始めた二人の身体を、山頂の摩耶香(こちらは雄二の身体に入った“本物”)が慌てて《気》を送って支え、徐々に降下させる。摩耶香の力もナラヌガナラヌ鐘の影響で増大しているようだ。
「何やってんだか……」
 その摩耶香はあきれ顔だった。
 加えて地上から一部始終を見ていたあゆみも、憤怒の声を上げている。
「あーっ、雄二さんたら、イク様にもキスしてるー! あたしだけだって言ったのにっ」
「え? あゆみちゃんもキスされちゃったの? あはは、あたしだけじゃなかったんだ」
「でえっ!? 華枝さんともしてたんですか? くっ、ゆ、雄二のやつ、女の子の純情を何だと思ってるの、あの不心得者っ、ぜったい許さないんだからぁ――」
 二人は駆け出していた。
 そして地上に降りてくる雄二たちのもとへ、笑いさざめく人々が集い始めていた。

==続く==

●次回予告
 この長い物語もとうとう最終回。雄二と摩耶香はちゃんと元に戻れるのか? そして摩耶香の秘密とは? 作者も読者も本当に完結してひと安心の第十九話「木漏れ日のなかで」。二人の恋の行方は如何に。

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