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天に願いを
18話(その6)
作:赤目(RED EYE)



第十八話
八風神社炎上(その六)

 荒れ狂う紅蓮の炎の中を、イクがゆっくりと近付いてくる。
「イクちゃん戻って! こっちに来ちゃいけない」
 産まず女石の中から雄二がいくら叫んでも、その声はイクに届かなかった。
《――ご安心なさい。石の周りとここまでの筋道は、わたしの力で炎を抑えてあります。あとは勇気さえあれば、あの子はきっとここまで辿り着くでしょう》
 オモイハツルヤ姫の声に雄二が振り返った。
「でもっ」
 雄二が見ると、目の前に幅広の刀身を剥き出しにした一本の剣が差し出されていた。
「これは……?」
 雄二は姫の顔を見た。その背後にも、石の境界面を通して燃え盛る本堂が見えている。
《邪まな者からナラヌガナラヌ鐘を護るための神器――ネダヤシノツルギです。鞘はありませんが、刃は尖ってはいません。この剣は通常の意味での刀ではないのです。さあ雄二くん、手に取って》
 雄二はイクの方を気にしながらも、セーラー服の腕を伸ばして剣を受け取った。
《扱いにはできる限りお気を付けなさい。剣を振るう時、憎しみや怒りを込めてはなりません。純粋に魔物を封じ込めることだけを念じるのです。あとは、あなたになら迷うことなく使えるはず》
 剣は女の子の身体にはずしりと重かったが、なぜか雄二が重いと思った瞬間、それはたちまち軽くなって、入れ替わっている摩耶香の腕にはちょうど良い重さになった。
《それから、あの“邪気”にはくれぐれも油断しないで。あれは、魔物というより本来「神」に近い存在です。この石の封印をやすやすと迂回して雄二くんを閉じ込めたのがその証拠。たぶん元々神だったものが、長い間に堕落して拠り所を失い魔となったのでしょう。おそらくネダヤシノツルギが使えるのも、チャンスを狙っての一回のみ。心して掛かりなさい》
「はい――でも」
 果たして自分なんかに扱えるでしょうか、という言葉を雄二は呑み込んだ。今はもうそんな時ではない。
 振り向くと、イクは最初のときと同じ歩調と透き通るような笑みのまま、もうすぐ近くまで来ていた。イクの途方もない勇気と威風堂々とした高貴さに、雄二は心の底から揺すぶられ、ぎりぎりのところで魔との対決への気概を奮い起こした。
 イクが石の前まで来て、ゆっくりと跪こうとしている。
 雄二は祈るような気持ちでイクの一挙一動を見つめつつ、ふと心によぎった疑問を口にした。
「姫、封印が解けたあと、あなたは……」
《わたしのことは大丈夫、気にしないで。――さあ雄二くん、お行きなさい。イクちゃんが待っています》

 イクは本堂の中をゆっくりと歩いていた。
 暑い――というか信じられないくらい熱かった。
 でも、急いじゃいけない。
 ぼくは、ううん、あたしは、産まず女石の封印を解きにきたんだから。オモイハツルヤ姫の迷いを、あたたかな真心で溶かしてあげるの。
 あたしは、雄二さんを救いたい。お姉ちゃんを救いたい。みんなを救いたい。
 そのためには、本気であること、この胸の思いに偽りがないことを、オモイハツルヤ姫にじっくりと見てもらわなくちゃ。
 ゆっくり、ゆっくり。
 石からの熱気が、じかにやって来てる。
 もう、痛いくらい。
 いよいよ目の前です。
 姫様、わかってくれましたか? きっと、そうであることを願います。
 あたしは、本当に心の底から、みんなを助けたいと思います。
 そして、姫様のお心がきっと安らかな光で満たされますように。
 だから――
 イクは石の前に跪くと、穏やかな表情で目を閉じ、くちびるを石の表面に近付けた。
 接吻するつもりなのだ。
 失敗すれば、本当に大やけどを負ってしまう。
 その直前、チリチリと髪の焼ける音がした。
 イクの顔は熱波を受けて一瞬固く強ばり、そして――
 瞬間。
 イクが感じたのは、“冷たさ”であった。
「あ!?」
 思わずイクは顔を石から離し、身を引いて産まず女石を見つめた。
 イクが接吻したところを中心にして、白熱していた石が急速に青々とした色に変わってゆく。
 凍っているのだった。見る間に石が凍て付いてゆく。
 その変化は、産まず女石だけに留まらなかった。石から離れ本堂の床や壁、天井にまで広がり、燃え盛っていた灼熱の炎を嘘のようにフッと吹き消してしまう。
 本堂の中は、瞬く間に静寂と冷気漂う氷の世界となった。
「これは……」
 イクはどうしていいかわからず、ただ呆然とその様子を見つめている。
 屋外から、大助の声が聞こえた。
「イクさん、危ない。もう屋根がもたない、今助けに――」
 次の瞬間、轟音と共に天井が崩れ、梁や柱が崩れかかってきた。
 だが。
 思わず頭を押えてうずくまったイクの背中に、崩れ落ちる物はひとつとして無かった。なぜか全ての落下物が石の周囲から弾かれ、遠巻きするように落ちていく。
 イクの視界に、誰かの足が目に入った。
 目の前に人が立っている。スカートの足だ。さらに上を見上げると、セーラー服と長い黒髪。
 そしてその顔は――。
「雄二さん、雄二さん、雄二さんっ」
 イクは思わず叫んで、姉の姿をした雄二の胸に飛び込んでいた。
「イクちゃん、やってくれたんだね。本当に、きみって子はなんて毅いんだって思うよ」
 雄二は片手にネダヤシノツルギを持っているため、もう片方の手でイクの頭を優しく抱えながら、心の底から感心したように言った。
「ぼく、毅くなんかないもん、でも、雄二さんや姉さんを助けたいって、それだけで、それだけで……」
 イクは胸の高鳴りと緊張のあとの安堵を噛み締めるかのように、矢継ぎ早に言葉を吐き出した。その声はいつの間にか濡れている。
「イクちゃん、その服は今までで一番似合ってるよ。……ふふふ、できればいつまでもこうして熱烈に抱き合っていたいんだけどな。今はイクちゃんに貰った勇気で、《邪気》を倒すのが先決だ」
 イクは男の子らしい仕草で、ごしごしワンピースの袖で目頭を拭いながら、雄二を見上げた。
「……も、もう、雄二さんったら」
「そうそう、その調子」
 雄二は微笑んだ。
 二人で力を合せれば、きっとみんなを助けられるはずなのだ。
 雄二は崩れた天井の彼方の、くすんだ空を見上げた。
 近い、天が近い。
 今ならきっと届きそうな気がする。いや、届くはず。
「イクちゃん、行こう」
「はい」
 雄二はイクの手を取ると、そよ風に舞う羽毛のように軽々と地上を離れた。

==続く==


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