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天に願いを
18話(その2)
作:赤目(RED EYE)



第十八話
八風神社炎上(その二)

 S市市街を猛スピードで走り抜ける一台の車があった。クリーニング屋の店名が入っている軽ワゴンには似つかわしくない運転である。信号も何も全て無視し、他の車を次々と追い越してゆく。
「あの……華枝さん」
 あゆみの恐々とした問い掛けに、運転席の華枝が前方を見たまま答える。
「なに?」
「車の後ろの方で何か重そうな物がゴドゴトいってますけど、あれは何ですか」
「ああ、あれ?」
 華枝が助手席の方を見てニッと笑った。
「わぁ、前見てください、前……」
 車はセンターラインを越えて三台の先行車をごぼう抜きにしたところだ。
「大丈夫よ。……あれはね、小型のLPガスボンベ。荒事になりそうだから、何か“武器”になりそうなものは、と思って食堂の予備のものを持ってきたの」
「ボンベが?」
「うん。火を付けたらたぶん爆弾の代わりになるかと思って。……おっと」
 華枝は信号無視して突っ込んだ交差点で、あやうくトラックの横腹に激突しそうになったのを、神技的ハンドリングでかわした。
 あゆみはもう真っ青だ。
「教団のみんなは、一大事一大事と大騒ぎして出掛けちゃったけど、八風神社へ行ってから《邪気》とどうやって闘うか全然考えてないんだもの。これはわたしの勘だけど……たぶん霊能だけでは勝てるかどうかわからないと思う」
「そ、そうですね……あの厳重な結界が破られてしまったし」
「四天王の四人は頑張ってくれそうだけど、やっぱり武器はあった方が良いよ、この程度のものでも。……もちょっとエンジンの回転数上げるから、オバチャンから預かったオニギリ、しっかり持っててね」
 華枝は更にアクセルを踏み込んだ。ほぼ軽乗用車の限界までスピードを上げる。
 この車は、手の空いている信徒が全ての車で出払ってしまったあと、困っていた華枝たちの前に現れた、哀れな出入りのクリーニング屋ケンちゃんから強奪したものだ。悲痛な叫びを上げ抵抗しようとしたバイトのケンちゃんは、食堂のおばちゃんが羽交い締めにして押えてくれた。
 エンジン音が耳をつんざくほどになり、ヘッドライトに浮かぶ風景は更に飛ぶように早くなったが、あゆみはじっと耐えた。なにしろ、こんな非常事態なのだから。
 ――朝だというのに空は一向に明るくならず、朝焼け前の薄暗がりのままだ。太陽は既に昇っているはずの時間だが、どこにも見当たらない。
 のみならず、街のあらゆる場所で、魑魅魍魎の姿がゆらめくようになり、朝の営みを始めた人々をパニックに陥らせていた。
 まだ実体化はしておらず蜃気楼のような影が蠢いているだけだが、いつ現世に踏み入ってくるかわからない。
 道路は朝の渋滞もなく、それどころかあちこちで車が停車したり事故を起こしたりしていた。走っている車の速度もいつもより遅い。全てこの異常事態のせいだった。
 そして――。
 華枝たちが目指す八風神社の上空は、真っ黒い霧のようなものが渦巻いており、時々音のない雷が光っていた。
 あきらかに、八風神社で何かとんでもないことが起こりつつある。
 コーナーでドリフトをかましつつ、その八風神社の方をチラと見た華枝は、思わず「あっ」と叫びを洩らし、直線へ出たところで急ブレーキを踏んだ。
 車を止め、外へ出る。あゆみも続いた。
 二人はじっと八風神社の裏山の頂上あたりを見つめている。もうかなり近付いており、薄暗がりとはいえ、山頂の様子が目に入った。
 二人は信じられないものを目撃していた。
 巨大な肌色の生き物らしきものが、山頂付近を四つん這いでゆっくり動いている。それは、裸の人の姿のように見えた。ただ、触手だか手だが判然としないものが肩から何本も生えているが……。
 “それ”は山の木々をなぎ倒しつつあった。
「――あゆみちゃん、あたしと同じもの見えてるよね?」
「は、はい。たぶん……」
「あれって、その辺にいるような妖怪だか何だかの幻影じゃないよね」
「ええ、木をどんどん倒していますから」
「大変よ。とにかく早く行こう」
 華枝とあゆみは再び車に飛び乗り、軽乗用車は急発進した。


 イクたちが八風神社に到着した時、既に世界は異界の様相を呈しつつあった。空は暗く、物の怪の影がそこかしこで踊り人間を嘲笑っている。
 人の思念に共鳴してその力を増幅し、さまざま物理・精神現象を引き起こすという超古代の銅鐸――ナラヌガナラヌ鐘を抑え込んでいた封印が、あきらかに外れかけているのだった。
 本来銅鐸はただの道具であり、封印が外れたからといって、直ちに怪異や不吉な出来事を引き起こすわけではない。がしかし、今は《邪気》という邪なる者の思念が、銅鐸に最も強く影響しているに相違なかった。その結果が、この異様な光景の現出だったのだ。
 裏山にある最後の封印を宿した祠は、山頂にある。《邪気》はそこにいるに違いない。そして、《邪気》に操られた姉さんも――イクはそう推測した。
 裏山の上空に渦巻くドス黒い雲を見るだけでそれは明白であったし、摩耶香がここまで来て自ら魔物に手を貸すはずのないことは、また自明の理であった。昨晩《邪気》に操られてしまったイクは、そのあやかしの術がとてつもなく巧妙で強力であることを身を持って知っていた。だから、巨大な霊能力を持つ摩耶香でも油断すれば魔物のとりこになることは容易に想像できた。
 だが、雄二はどこに――。たぶん摩耶香と同じく妖術に囚われ山頂にいるか、どこかに監禁されているに違いない。
 イクたち一行は、八風神社の境内を通り、山のふもとまで駆け付けた。途中で数人が神社の境内や業田家の住居を調べてみたが、なぜか人気がなかった。
 こうなると、イクたちだけで《邪気》を倒すしかない。ふもとで一旦留まって、すぐに作戦を練る。
「轡馬さん、このまま全員で山頂を目指しても混乱するだけです。神官団の半数はここに残り、《邪気》の行動を阻むべく封魔の儀を行なってはどうでしょうか。姉さんが山頂にいることは明白ですが、雄二さんまでそこにいると決まったわけではないし――」
 イクが、不吉な雷光を放つようになった上空を睨みながら言った。
「うむ、それが良い。ワシとイク殿はここに残ろう」
 イクは一瞬、山頂へ向いたそうな表情を見せたが、轡馬が目で合図して抑えた。
「女性の神官と、それから壱郎も護衛にここへ残ってくれ。あとの者は、ご苦労だが山頂の《邪気》を倒し、摩耶香様を取り戻すべく実力行使をお願いしたい。敵はひと筋縄ではいかん魔物じゃ、どうか心して掛かってくれ」
「轡馬様、ご安心を。われわれの霊能力でチンケな魔物など黄泉の国へ叩き落としてやりますわい」
 男性の神官の一人がそう言った。
「貴殿らを力を信じておるが、油断するなよ。相手には水晶玉もある」
 壱郎が、四天王の他の三人に声を掛けた。
「時郎、三四郎、五十六よ、ここが働きどころだぞ。思い切り、暴れてこい」
 三人は精悍な微笑みを浮かべ頷いた。
「よし、それでは掛かってください!」
 イクが叫ぶと、信者たちは一斉に動き出した。

 《邪気》は山頂にある祠の前から、天願教団の信徒たちが八風神社に到着し、こちらへ登ってくるのをじっと見つめていた。
「ふふふ、ようやく来たか。お前らの行動は端っからの予想通りよ」
 まだ森園美穂に化けたままである。スーツ姿だが上半身は半裸で、八本の腕を孔雀のように広げてゆらゆらと優雅に、しかし不気味な舞を執り行っていた。
 傍らには、水晶玉を抱えて一心不乱に呪文を唱える少年の姿があった。身体は雄二だが、もちろん中身は摩耶香である。その目はうつろで、《邪気》の妖術の影響下にあることは明白であった。
 《邪気》は、摩耶香を操り既に封印を一つ外してしまっていた。やはり奪った水晶玉の力は強力だった。摩耶香も最初から使えば良かったのだ、と《邪気》は不満を覚えた。が、まあいい。残る封印はたったひとつだ。最後のひとつは相当強固な封印だが、摩耶香の霊能力と水晶玉、それに自分の後押しがあればそう時間も掛からず開いてしまうだろう。その時こそナラヌガナラヌ鐘が再びこの世に姿を現すのだ。摩耶香がそれを使えば、どんなに世の中が乱れるだろうか。
「クックック……」
 そう思うと、知らず知らずのうちに薄ら笑いがこぼれる《邪気》であった。
「頼んだぜ、摩耶香よ」
 《邪気》は、ほっそりとした腕を一本伸ばして、マニキュアの指でうつろな少年の頬を撫でた。
「これができたら今度のテストで百点あげるわよ」
 と、森園の声で言い、艶めかしい笑い声を洩らした。
「ぐっ」
 突然、その顔が苦痛に歪んだ。
「ぐおおおおお」
 と恐ろしい呻き声を上げながら、《邪気》は頭を抱えてうずくまった。
 山のふもとに残った神官団が行なっている封魔の儀の効力が、はや《邪気》に及び始めたのだ。
「こっ、こしゃくな木っ端神官どもめ……洒落た真似をしてくれるじゃねえか」
 そろそろ最後の封印が開き始めている。そして、ナラヌガナラヌ鐘が自分の想念に共振し出したことを《邪気》は感じていた。とすれば、自分の魔力は増大しているはずだ。
 信者たちが、山の中腹程度まで迫っている。
 そろそろこの小うるさい連中を蹴散らす時がやって来たようだ。
 《邪気》は頭を締め付ける封魔の呪を跳ね飛ばすように上半身を起こすと、天をふり仰ぐようにして、八本の腕をグワッと一杯に広げた。我が身体を強く、強く、強く……
 そう念じると、みるみる全身に力がみなぎり、膨れ上がってくるのを感じる。そうだ、もっと、もっと……
 湧き出した力は行き場もなく、全身を内側から押し上げた。レモンイエローのスーツや下着がバリバリと音を立てて破れ、散り散りになって舞い落ちた。
 スゥゥと地面が遠ざかる。いや、自分の身体が巨大化しているので、視点が上昇して地面が遠くなったのだ、と《邪気》は気付いた。

「な、なんだあれは……」
 八風神社の裏山のふもとに陣取ったイクと十数人の女性神官たちは、封魔の儀式を一時中止し、山の頂上の方を見上げていた。
 そこに、巨大な女の裸体が出現していた。顔は全体的に醜く歪み膨らんでおり人相は判然としないが、髪型と化粧の跡らしき色彩がこびり付いているので、女と判る。それから、どうやら胸のだぶだぶとした肉ぶとんは乳房らしい。腕、らしきものが肩から八本生えていた。身体付きも全体的にブヨブヨとたるんでおり、こうなると人間というより肉袋に近いと言った方が良いかもしれない。
 少なくとも元は森園美穂と瓜二つの美貌だったはずだが、その面影はもうどこにもなかった。“身長”は二十メートル程度だろうか。
 “それ”――巨大化した《邪気》は、たくさん生えている腕の一本を振るって、木々の太い枝を数本叩き折った。落ちた枝の一部は、中腹あたりにいた信者たちの上に達した。悲鳴と怖れおののく声があたりに響く。
「まずい――封魔の儀を続けてください。上に向かった人達があぶない」
 イクのその言葉で、呆然と悪夢の光景を見守っていた女性神官たちはハッと我に帰り、再び円陣を組んで呪文を唱えはじめた。
「効かんー、効かんーぞ、そんなものは。今のアーターシにそんーな幼稚な呪文が、効くと思っていーるの?」
 《邪気》は、耳を覆いたくなるような不愉快な野太いダミ声で言った。その声は轟音となって周囲に響き渡る。
 どうやらまだ森園と瓜二つの姿のままでいるつもりらしかった。
「小うるさい神官どもには、こーうよ」
 《邪気》は、手頃な岩石をひとつ手に取ると、山のふもとの方へ向かって投げつけた。岩は放物線を描いてイクたちのかなり手前で落ちたが、森の中からゴロゴロと無気味な音が近づいてくる。木々の間を通って、坂を転がってきたのであった。
 気付いた時には、大型冷蔵庫ほどの大きさの岩はイクたちのすぐ目の前まで迫っていた。

==続く==

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