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天に願いを
18話(その1)
作:赤目(RED EYE)



第十八話
八風神社炎上(その一)

 眠っている間中、幼子でも見守るような、慈愛に満ちた優しい眼差しを感じていたような気がする。どうやら視線の主は女性のようだ。――そうかと思うと、時々その人が洩らすクスクス笑い……雄二はくすぐったいような、それでいて全身に満ち足りた幸福感を味わいながら目覚めた。
 天井が目に入る。
 ここは、八風神社の本堂だろうか……。いや、少し似てはいるが、明らかに違う。柱の組み方や装飾が、全く見覚えのないものだった。その建築様式は日本のものだが日本でない――雄二は知らなかったが、大和朝廷成立より遥か以前のものなのだ。
 雄二はようやく、誰かに膝枕をされて、髪を撫でられていたのを知った。
 見上げると、髪を美しく結い上げた女性が微笑んでいた。――微笑み? いや、こんなに近くにいるのに、その人の顔はどうしても明確に「こう」とは認識することができなかった。見えてはいるのに、ぼんやりと霞んでいるような……。
「ここは……?」
 雄二が訊ねると、その人は愛しいわが子をあやすかのように答えた。
《ここは、どこでもない場所。どこでもないのに、どことでも繋がっている場所――》
「あなたは……」
《わたしは、ここに長い間在りつづけ、たくさんの人々を見つめ、その願いが成就するようほんの小さな力添えをしてきた者です》
 雄二は身体を起こした。
 自分の服装を見ると、セーラー服であった。長い髪も視界にかかる。まだ摩耶香と入れ替わったままなのだろう。
 相手の女性はというと、顔立ちこそ認識できなかったが、宝飾をほどよく施した髪飾りや、幾重か重ねた和風の気品ある衣服から、どうやら身分ある女性と知れた。
 そう……セーラー服……セーラー服――この言葉で、何か重要なことを思い出さねばならないはずだったが、まだ寝惚けているのか、雄二の頭は回らなかった。とりあえず、今はこの謎の状況を理解するに努めるしかないようだ。
「あの……あたしは、いつからここに居るんですか?」
《うふふ、女の子のフリをしなくても良いのよ、雄二くん》
「え、えと……」
 女性は手を伸ばして、膝を付き合わせて座る雄二の頬を擦った。そうされてもまったく不快な感じはしない。むしろ、女性の暖かい雰囲気に直に触れ、気持ちが和む。本当に愛情が篭っているからだった。
《まさかあなたがこんな風になって、そしてここへやって来てくれるとは思いもしませんでした》
「――なぜ名前や入れ替わりのことを知ってるんですか」
 女性は、楽しくて仕方がない、という風に首を傾げた。なぜでしょう、と言っているかのようだ。
《ふふふ。あなたのことなら何でも知っています。だって業田家にあなたが生まれた時から、わたしはずっと成長を見守ってきたのですから》
「え……」
《それどころか、あなたの父母が生まれる前のことすら知っています。業田家の人々は代々、わたしの家族のようなものなの。……もっとも、それに気付くのに本当に時間がかかりましたが。あなたのお陰よ、雄二くん》
 女性は、雄二の手をやわらかに握りしめた。
 雄二は面食らうばかりだ。
「ここは、一体どういう場所なんですか」
 女性はそれには答えず、穏やかな口調で続けた。
《……わたしはとうとう子供が産めなかった。その代わり、子供を無事に産みたいと願う人々の願いを、その手の温もりを、一年に一度だけ冷たい石を越え感じて――それが本物なら心ばかりの後押しをしました。みんな幸せになればいいと思いながら。赤ん坊が生まれる度、わたしは満足した。でもそれは母としてのものではなかった。母親はいつも別にいるんですもの》
「石……?」
《でも、あなたがここに来てくれた時、気付いたの。こんなにも長い間、わたしのためだけに石を護ってきてくれた人々――あなたたちこそが、わたしの家族であり、最も大切な人たちなんだって。そして、雄二くんは今わたしの一番大切でかわいい子供です。わたしはとっくに子供を持つ母になっていた――》
「あ……まさか石って、産まず女石……」
 女性はちっちっち、と指を振った。
《もうわたしは産まず女ではありません。失礼なことを言わないで》
 呆気に取られる雄二を尻目に、女性はまたひとしきり上品な笑いを洩らした。
「じゃあここは、あの石の中なのですね。では、あ、あなたは、オモイハツルヤ姫……」
 雄二は信じられないという顔をした。
《はい。初めまして、雄二くん》
 丁寧にお辞儀する姫を前にして、雄二は返礼も忘れ口をパクパクしていた。
《……本当はもう姫じゃなくて奥方だけどね》
「伝説の……嘘だ、そんなの」
《まあ雄二くん、女の子が人前でそんなふうにしちゃダメよ……うふふふ》
 座ったまま、腰を抜かしたような格好になってしまった雄二を見ながら、オモイハツルヤ姫は優しい顔になっていた。
《あなたを見ていたら、男とか女とか、そんなことに拘っていた自分が本当に馬鹿らしくなったの。女は子供を産まないと駄目とか、男は穢れがないから尊いとか、わたしが思っていたこと全部、間違いだったのかもしれない。わたしには自分を笑う余裕がなかったのね、たぶん。だから遠い昔にいたわたしの夫の愛にも素直に応えられなかった》
 雄二は固唾をのんでいた。
《なぜあんなに意地になっていたのか、自分でもわからない。でも、わからないまま、あの祝祭の前の晩、わたしは男になって全てを清め天に召されたいと願い、それが偶然神殿にあったナラヌガナラヌ鐘を鳴らしたことで……命を落としてしまったの。おバカさんでしょう、笑ってくれていいわ、雄二くん》
「ううん……どうも本物らしいから言うけど……きっと姫様は真面目過ぎたんじゃないかなぁ?」
《そうね――あなたくらい何時もボケてたら、あんなに凝り固まって悩まずにすんだかも》
「ぬぁっ!? 酷い姫様だなぁ、これでも真剣に答えたのにー」
《あらぁごめんなさい、雄二くんを見ていると、真面目に悩むのがバカらしくなっちゃうのよ。ホホホホ》
 雄二はちょっとむくれてソッポを向いた。
《でもね、あなたが気付かせてくれたのは事実なの。男も女も関係ない、本当に人を想う大きな愛、強い気持ちに》
 雄二が視線を戻すと、姫は真摯にこちらを見つめていた。
《挨拶をしたばかりだけど、そろそろお別れの時が来ました》
「――え、もう?」
 姫は頷いた。
《イクちゃんがあなたを想う強い気持ちに、わたしは心を動かされました。もう男も女も超えた、大きな愛の力が在ったの、あの小さな男の子の中に――》
「イクちゃんって……あっ」
 雄二はその名前を聞いて全てを思い出した。セーラー服姿の自分は森川先生に化けた《邪気》に襲われて、気付いたらこの産まず女石の中にいたのだ。――なぜ今まで忘れていたのだろう。
「親父やお袋は、摩耶香ちゃんは一体どうなったんですか!?」
 思わず身を乗り出す雄二に、姫は厳かに宣告した。
《雄二くん、みんなが助かるかどうかは一重にあなたの力如何にかかっています。もちろんイクちゃんも》 
 姫がさっと右手を広げると、周囲の古代神殿の光景が一変し、一面火の海になった。
 雄二は思わず顔を伏せたが、なぜか熱くない。
 よく見ると、自分たちの周りには、ゆらゆらとうごめく透明な壁が張り巡らされているのだった。どうやら産まず女石の物理的な境界らしかった。
 音も聞こえない。
 おののきながらも炎に焼かれる室内を見渡した雄二は、ある事実に気付いて打ちのめされた。
 燃えているのは、八風神社の本堂だったのだ。
 そして、その炎の中に、ひとり立ち尽くす影が――。
 色白で栗色の髪の、ほっそりとした少女だった。
 美しい。
 猛り狂う業火の中にあって、その少女の周囲だけ、魂を吸い寄せられるような美の静謐が漂っている。神にしか許されないはずの美しさの高みであった。
 少女は、優雅な仕草で、ゆっくりとこちらへ歩み寄ってくる。
 その顔に雄二は見覚えがあった。
「――イクちゃん! イクちゃん、来ちゃ駄目だっ。こんなところから出て早く逃げるんだ!」
 だが雄二の必死の叫びも、石の境界に阻まれて届いていないらしい。
 渾身の力を込めて境界を突き崩そうとする雄二だが、無駄な努力のようだった。
 そうするうちにも、美しい少女と化したイクは、天上に棲む者だけに認められた祝福の笑みを浮かべながら、ゆっくりと石に近付きつつあった。

==続く==



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