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天に願いを
15話
作:赤目(RED EYE)



第十五話
女狐なんか怖くない

「ちょっと、やめなさいよ。あなた本気であたしを襲うつもりなの? どうかしてるんじゃないの――」
 雄二が、緊迫した表情でそう言いながら後ずさる。相手は、剣道の防具に身を固めていた。どう見ても、セーラー服の少女のピンチといった構図である。
「うるさい、問答無用!」
 剣道男は、竹刀を振りかざして襲いかかってきた。

 少し時間を遡る。
 雄二はイク達と別れたあと、タクシーを拾える大通りに出るため、普段の登下校ルートからは少し外れた裏道を歩いていた。雑木林の中を抜ける人通りの少ない道だが、これが近道だったのだ。タクシーを使うのは、摩耶香の先回りをして八風神社に辿り付くためである。
 だが、歩き始めてしばらくすると、後ろから誰かが小走りにやって来る気配がした。
「そこの方、ちょっと待って下さいませんこと?」
 雄二は振り向いた。
「あれ、綾小路さんじゃないの」
 言ってしまってから、雄二は内心しまった、と思った。
「――よくあたくしの名前をご存知ですわね」
 綾小路はちょっと鋭い眼を光らせながら、雄二を探るように見た。
「うん、ええと……ゆ、雄二くんから聞いたのよ。さっきね、うん、さっき」
 またもや言ってしまってから、まずいと気付いた。“さっき”といえば、雄二になりすました摩耶香が、この綾小路を手酷く振ったばかりではないか。
「そうですか……やはり屋上で雄二さんからあたくしのことを聞かれたのですね」
 綾小路は、普段の様子からは考えられないような、敵意に満ちた目で雄二を睨んだ。
 (やっ、やっべー)
 雄二は縮み上がった。
「み、見てたんだ綾小路さんも、あたしと雄二くんの……」
「ええ、隣りの校舎の屋上から、双眼鏡を使いましてね。あたくしったらこんな覗きみたいな真似を恥ずかしいのですが……これも雄二さんのためですの」
 綾小路さんてこんなストーカーじみた人だったのか、と雄二は寒くなった。だがとりあえず話は聞かれてないようだった。
「そ、そうなんだ。あ、あのね、綾小路さんのことを聞いたって言っても、別に根掘り葉掘り聞いたわけでは……」
「あたくし」
 雄二の話を完全に無視しつつ、綾小路が天を振り仰ぐようにして言った。
「雄二さんが好きです」
 (ひええ)
 雄二はアセった。
「どうしてかしら、あの方は近頃急に変わられてしまって、本当に素敵になられました。以前は居ても居なくても変わらないボーッとした人でしたのに」
 雄二はズッコケそうになった。(ボーッとしてて悪かったな。これって、摩耶香ちゃんがオレの身体に入ってからの話じゃんか)
「あたくしは、あの方にあたくしだけを見て欲しいのです。他の女性に心を開いて欲しくありませんの。……あなた、お名前はなんとおっしゃるのですか?」
「は? ご、業田雄……じゃない、み、峰谷摩耶香ですけど」
「そう、峰谷さん。あなたと雄二さんの関係がどうなっているのか、あたくしは知りません。でも、双眼鏡で見る限りでは、とても親しそうでしたわね」
「え、ええ、まあ、ある意味他人じゃないし……」
「な……! い、今なんとおっしゃったのですか!?」
「へ? 他人じゃない……って、そういう意味じゃありません!」
 雄二は長い髪を左右に打ち振って慌てて否定した。
「あたしの家も宗教関係なので、雄二くんとは、その、いろいろと……。そ、そう、幼馴染みみたいなものなんです」
「そうなのですか、それで安心しました。いずれにせよ、今後は雄二さんには近付かないで下さい」
「えっ、え? どうしてですか」
「雄二さんはあたくしだけのものだからです」
「だって、さっきあんなに手酷くフラれて……って、あわわ」
 綾小路に凄い形相で睨まれ、雄二は思わず後ずさった。 
「峰谷さん、やはりあなたは危険な方のようですわね。よろしい」
 綾小路はパチン、と指を鳴らした。
 ザザッ、と音がして、雑木林の薮の間から、剣道の防具に身を固めた男子が数人現れた。七森中学の名が防具に入っているということは、全員剣道部員なのだろう。手には竹刀を持っている。
「なんだお前らいつの間に、いや、なんなのあなたたち、びっくりするじゃない」
 剣道男たちは、物も言わず雄二を取り囲んだ。
「では剣道部の皆さん、この峰谷さんとおっしゃる方に、少々竹刀の味を教えて差し上げてください」
 綾小路は、クスクスと笑いながら歌うように言った。
 おかしい、綾小路さんは少しおかしくなっている。一体これは……。
 剣道男の一人が、ずい、と前に進み出た。
「ちょっと、やめなさいよ。あなた本気であたしを襲うつもりなの? どうかしてるんじゃないの――」
 思い出したが、七森中学の剣道部は全国大会でも上位常連の強豪であった。
「うるさい、問答無用!」
 剣道男は、竹刀を振りかざして襲いかかってきた。

 げっ。やられる。
 そう思った瞬間、雄二はギリギリで最初の攻撃を交わした。よく避けられたものだ。摩耶香の身体が身軽で機敏に動くのが幸いしたのかもしれない。
 綾小路が、いつの間にか竹刀を手にして、大儀そうに杖代わりにしているのを見て、雄二はダッシュで最接近してそれをもぎ取った。
「あっ、何をなさるのですか」
「そりゃこっちの台詞でしょうが」
 竹刀を持って振り向きざま、もう次の敵が面を襲ってくる。
 雄二がそれを竹刀で受けた。
 更に二打三打と攻撃を竹刀で受ける。
 綾小路が唖然としていた。防具も何も付けていない女の子が、剣道部の強豪と互角かそれ以上に渡り合っているのである。
 もっとも雄二は、別段不思議とも思っていない。というか、そんなことを考える暇もなく目の前の敵への対応で手一杯であった。ただ、やけに身体が俊敏に動くことは意識していた。なぜか、力も女の子の体格からは考えられないくらい出ているようだ。
 相手が、雄二の長い髪が絡まり片目の視界を遮った一瞬の隙をついて、強烈な突きを入れて来る。防具もない女の子に絶対にしてはいけないレベルの本気の攻撃である。
 雄二が力まかせに相手の竹刀を払った。……はずだった。
 それなのに、相手の竹刀は途中から真っ二つに折れ、ついでに相手も横殴りにされたようにふっ飛ばされて、立ち木に激突した。
 面が半分脱げ、気絶してしまう。
 他の剣道部員たちが息を呑んだ。
 今のは、少なくとも雄二の竹刀は相手の身体に当たっていない。あの攻撃はなんだ?
「峰谷さん、あなた……おかしな技を使うようですわね」
 綾小路が、それまでとはうって変わった、恐ろしい声で言った。
 雄二は油断なく身構えながら、チラ、と綾小路の方を見た。やはりおかしい。まるっきりいつもの綾小路さんとは違うようだ。
「皆さん、何をしているのですか。相手は女の子一人。早く片付けてくださいませんか」
 綾小路が背筋の凍るような声で言う。
 次の敵が雄二に向かって猪突してきた。
 一瞬のうちに「いける」となぜか雄二は確信した。
 だん、と竹刀を突き出しながら踏みこむと、また竹刀が当たっていないのに、目に見えない壁にぶち当たったように相手は弾き飛ばされた。そのまま地面をごろごろと二〜三回転がり、動かなくなる。
 残っている剣道部員は、互いに顔を見合わせた。
 二人が一度に雄二に飛び掛かってこようとしたその時。
「あなた達、何をしているの!」
 と背後から声がした。
 森園美穂先生の声であった。
 全員がそちらを見た。
 雄二は我と我が目を疑った。
 小径を少し戻ったところに、森園先生が立っている。そして傍らには抱き抱えられるように、一人の女生徒がいた。
 その生徒は、綾小路であった。
「チッ」
 剣道部員たちをけしかけていた方の綾小路は、顔を歪めるとパチンと指を鳴らした。
 それが合図だったかのように、残っていた剣道部員たちは糸が切れた操り人形のようにヘナヘナとその場にくずおれた。
「おぼえていろ、業田雄二」
 男の低い声色でそれだけ言うと、“綾小路”はダッと駆け出してたちまち雑木林の奥へ消えた。
 唖然としてその後ろ姿を見送る雄二。
 何か、魔の物だったのだろうか? 自分が摩耶香でないことを、相手は最初から知っていたようだ。
 森園が雄二のところへ駆け寄ってきた。
「あなた大丈夫? どこにも怪我はない?」
「はい……幸い無事でした」
「あら、あなたはさっきの――。可愛いお友達二人を連れたお姉さんね」
 いつの間にか、イクとあゆみのお姉さんにされてしまっているようだ(まあイクと摩耶香は姉弟だが)。
「ごめんなさいね、他校の子にウチの生徒が悪さを……って、ここに倒れている子たちは、みんなあなたがやっつけたの?」
「え、ええ、まあ……。多少、心得がありましたので」
 適当に誤魔化す雄二。
「あなた強いわねー。これじゃあ、わたしが助けるまでもなかったかな? 逆にこの子達が危なかったりしてね」
 雄二は苦笑した。
 時々大ボケを言うようにみえる先生だったが、そんな時は大抵相手を元気づけたり場の空気を柔らげようとするこの人なりの配慮であることを、雄二はよく知っていた。ようやく襲撃されたことからくる緊張感が解けてきた。
「それにしても何でこの子たちはこんなことを。あなた、心当たりある?」
「いえ、それがまったく……」
 とりあえず方便を使う雄二。
「そう、それじゃあ“悪漢”どもに直接訊いた方が良さそうね」
 そう言うと、森園はハイヒールを履いた足でげしげしと気絶している剣道部員をつついた。一人はすぐ目を覚ました。
「あてて……誰だよ一体……ひええ、ミポリンがおれに変な課外授業を施してる!?」
「バカ、何言っているの」
 森園はハイヒールの先で相手の弁慶の泣き所を力まかせに蹴った。
「ウギャーッ」
 部員は飛び起きて面を取った。
 他の部員たちも、そろそろ気絶から醒めつつある。
 森園の尋問によると、なぜ自分たちが雄二を襲ったかという理由どころか、先刻の襲撃についての記憶さえ部員たちには全くなかった。体育館で練習していたところまでは憶えているらしい。やはり綾小路に化けた魔の者に操られていたのだろう。
 あくまで追求の手を緩めない森園に、まあまあと雄二が止めに入った。
「この人たち、きっと誰かに催眠術のようなものを掛けられていたんだと思います。でなければ、か弱いあたしなんかが勝てるわけありませんし……」
 と、殊勝に女の子してみせる雄二。
「そうね……そういえば、さっきここから逃げた女の子だけど、なんだか綾小路さんに似ていたわね」
「え……? 綾小路さんって?」
 危うく、とぼけるのに成功した。
「あそこに立っている女の子よ。綾小路さん、ちょっとこっちへ来て?」
 綾小路がやって来た。顔色が青い。
「体育倉庫の中で縛られているのをわたしが見つけたの。放課後だったので、もしあのままだったら大変なことになるところだったわ」
 と森園。
「はい、あたくし、放課後にある方……と、屋上で話していて、それで帰ろうとして階段を降りている途中、いきなり後ろから……。なんだか頭の中を誰かに掻き回されたような感じで、まだ気分が優れませんの」
 どうやら、偽雄二こと摩耶香との一件の直後、魔物が入れ替わったらしい。
「確かに、少し似ていますけど、全然違う人でしたよ」
 雄二はまたもとぼけた。
「そうよね、考えたら綾小路さんには姉妹もいないし、関係あるはずないわよね。あたしったら」
 森園は納得した。
「もういいわ、剣道部。明日たっぷり油を絞ってあげるから、今日は帰りなさい」
 森園は部員たちを帰した。
「あなたも大通りまで行くの? 名前まだ聞いてなかったわね。――峰谷摩耶香ちゃん? じゃあ一緒に行きましょう。……ところで、さっき校内でショートカットの可愛い子を連れてたわよね……あの子はどんな子なのかな?」
 やっぱりイクのことが気になるようだった。
 三人は歩き出した。



 偽綾小路は、呪詛の言葉を口にしながら、森の中を駆け抜け、街外れまでやって来た。
 長い黒髪は乱れ、目は吊り上がり、鬼気迫る形相になっている。ブレザーやスカートも葉っぱや小枝などが引っかかり乱れた様子になっているが、なぜか息は上がっておらず平静そのものだった。
 たまたますれ違った通行人がギョッとした表情になったのに気付き、偽綾小路は自らの迂闊さを恥じた。
「そうか、俺はいま綾小路鞠子だったよな。十五歳の、花も恥じらうお嬢さまだからな。……あーあー、あたくしは綾小路家のただ一人の娘ですの。雄二さんに近付く女は誰であっても許しませんわ。うふふ……」
 ニヤリと、猥雑な笑いが浮かぶ。後半は、綾小路と寸分違わない声色だった。綾小路の記憶だって読み取ってあるのだ。
 綾小路に化けた魔物は、髪と衣服の乱れを直し、木の葉の類を払い落とすと、澄ました顔でしずしずと歩いていった。
 とある廃ビルの裏口まで来ると、周囲に誰もいないのを確かめ、中へ入ってゆく。
 二階にある元オフィスだった一室に入ると、壁際の姿見の前に立った。
「へへへ、どうだいこの女の子そのものの姿は。完璧な化けっぷりだぜ……おっと、お嬢さんがこんな言葉遣いじゃまずいか。いやですわ、あたしくったら」
 ひとしきり愉快そうに笑うと、偽綾小路は気持ち良さそうに目を細め、鏡に向かって大きく口を開いた。
 突然、偽綾小路の両目が黒く落ち窪み、口も暗黒の空洞になった。
 その口の中から、キラキラとした霧のようなものが天井に向けてドッと吹きだして、それにつれて立っていた綾小路の身体が、空気の抜けかけた風船のように、へなへなとくずおれていく。
 皮、であった。
 顔はもちろん、全身が綾小路そっくりに模された皮を、魔物は着込んでいたのだ。
 魔物、その名は《邪気》である。
 邪気の本体が皮からすべて抜け出してしまうと、綾小路の皮は床の上に絡まるように横たわった。服を着ているのと、皮の肉厚があるせいで、取り込んだばかりの洗濯物のように床から盛り上がっている。もちろん手足やら長い髪もあるので、とても奇妙な光景だったが。綾小路の黒い両目と、半開きのやはり黒い口が、満足そうに微笑みを形作っていた。
 邪気は部屋の中で渦巻きながら、高らかな笑い声を発した。
「俺様のこの変装術で、絶対に摩耶香を邪魔者から守ってやるぜ。特に人格交換術で摩耶香の身体に入っている業田雄二、あいつは最大の要注意人物だ。それがわかったのが今日の収穫だったな。――痛めつけるのには失敗したが、まさか《気》を併用した剣術を使いやがるとは」
 邪気は、どうしても摩耶香に八風神社の封印を解かせるつもりであった。
「まあいい。ゆっくり作戦を考えるとするか。へっへへ……」
 部屋の中には、服を着せたもの、全裸のものを問わず、様々な年代の魅力的な女の皮ばかりが一杯であった。

==続く==


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