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天に願いを
12話
作:赤目(RED EYE)



第十二話
におうだちかな

 これが男の身体なんだ――。
 湯船に浸かりながら、摩耶香は自分のごつごつした腕や胸板を眺めたり、さすったりしている。もちろんこの身体は業田雄二のものだ。
 人格交換の術で雄二の身体に入って三日目。雄二の自宅で風呂に入るのも三回目だが、最初の二回はバレないように振舞うのに必死で、風呂に入っていてものんびりするどころではなかった。
 だがさすがに三日目ともなると雄二のフリをするのに慣れ、ようやく入浴中にくつろぐ余裕ができたという訳だ。
 摩耶香の本来の身体からすると、すべてがひと回りかふた回りほど大きい。まだ完全に大人の体格ではないが、それでも女とは根本的に違う男の骨格であることは間違いなかった。
 いいなあ、というのが摩耶香の正直な感想だ。女と違って、すべての挙動に力がみなぎっている気がする。男より体格的に劣る女は、それでも精神力さえあればすべてにおいて負けないと摩耶香は思っていた。だが実際に男になってみると、頑丈な肉体を持つだけで精神力までが一段パワーアップした気になるから不思議だ。
 特に、誰にも負けたくなくて、それで誰にも頼れず一人でやってきたと自負している摩耶香には、それだけでも男が羨ましかった。
「雄ちゃーん、まだお風呂場のシャンプーあったー? 無くなってたら教えてね、新しいの持ってくから」
 雄二の母の小百合の声が聞こえた。
「ああ、まだあるからいいよ」
 摩耶香は答えると、湯船から出て洗い場で頭を洗いはじめた。
 男になって洗髪も楽になった。乾かす時も、下手をすればドライヤーがいらないくらいだ。もっとも、いつも時間が掛かっていたのは摩耶香の長髪が原因だったが。
 そういえば、いま女の子の身体に入っている雄二くんはどうしているだろう。ほとんど見知らぬ男の子が、自分本来の身体を使っていると思うと、さすがに摩耶香は恥ずかしかった。とはいえそれは摩耶香自身が招いた事態であり、古代の銅鐸を奪うためには仕方ないことだし、第一おあいこと言えた。
 毎日接触している教団の連絡員の話によると、雄二くんはイクがうまく手なずけて従順になっているらしい。イクの指導で除霊も行なっているという話も摩耶香は聞いていた。
 あんなに今回の計画に反対していたイクだが、とうとう私をサポートしてくれるようになったのか。摩耶香はちょっと嬉しかった。

 風呂から上がり脱衣場でひと通り体を拭き終わると、バスタオルを腰に巻いたままの格好で摩耶香は縁側へ行った。雄二の家は和風の造りで、裏庭に面して広い縁側があった。ここで夜風に当たると、とても涼しいことを摩耶香は昨晩発見していたのだ。
 タオルを取って、真っ裸のまま仁王立ちになる。股間の代物の間にも風が通っていき、天国にいるような気分になった。さらに腰を振ると、あそこがぶらぶらしてもっと涼しくなる。
 やっぱり男はいい。いくら女性の社会進出やら自立が進んだとはいえ、女ならこんなはしたない真似は間違ってもできないからだ。
 摩耶香は風に吹かれるまま、しばらくそうしていた。
「?」
 いきなり、背後から殺気を感じた。
 瞬間的に殺気を避け、身体をひねって右へかわす。
 直前まで摩耶香の立っていた位置に凄い速度で竹刀が振り降ろされ、縁側に当たってバシンと音を立てた。
 振り向くと、雄二の父の大助が竹刀を引き上げるところだった。
 神主なのだが、スキンヘッドの巨漢で、怪僧といった方が早い容貌の人物だ。
「ふははは、なかなかやるようになったのう、雄二」
「父さん……驚かさないでくれよ」
 摩耶香はちょっとドキドキしながら答えた。
「気配を殺したワシの必殺の一撃をやすやすとかわすとは……。わが息子ながら、あっぱれである。おーい母さん、これはめでたい。明日はスキヤキにせい」
「もーお父さんったら、また雄二を襲撃しているんですか。いい加減にやめて下さいよ、雄二はもう中学生ですよ」
「なにをいう小百合。ワシはこうして雄二を次代の神主として鍛えておるんじゃ。のう雄二。今後とも日頃から油断せぬよう精進せいよ」
「う……うん」
 摩耶香は気圧されて思わず頷いてしまった。
 いまの一撃は、避けない方が良かったのだろうか。普段の雄二が大助の竹刀をくらっているなら、避けてしまったのは拙かったかもしれない。
 だいたい、大助はなかなか油断のならない人物のようで、さすがに伝統の八風神社の神主だけあり、かなりの眼力を持ち合わせているようだ。
 まさか、人格交換のことも既にお見通しなのでは……。
 摩耶香は、居間へと戻る大助の背中を見ながら、それでもそんな考えをすぐに打ち消した。もしバレていたら、その場でとっちめられている筈――。
 いずれにせよ、今はそんなことを考えても仕方がない。まずは裏山の社の封印解除のことであった。
 摩耶香は動揺を悟られないよう、そのまま縁側でしばらく涼んでから、服を着て雄二の部屋に一度戻り、懐中電灯と天体望遠鏡を担いで出てきた。
「裏山へ天体観測に行ってくるよ。学校の宿題なんだ」
 摩耶香は小百合にそう言って、玄関を出た。もちろん嘘である。明日のために、次の社の下見をしておきたいのだ。
「湯冷めしないよう、早めに帰ってらっしゃいよー」
 台所から小百合の声がした。
 摩耶香は裏山への道を歩き始めた。

「お父さん……」
 小百合が、洗い物の手を止めて、台所のテーブルでビールを飲む大助に心配そうな顔を向けた。
「案ずるな、小百合」
 大助は新聞をテーブルに置いて、小百合を見た。
「あの子は悪い子ではないだろうよ。だが少し心に迷いがあるようだ。もうしばらく見守ってやろうではないか。たぶん自分のしていることの意味は、自分でもよくわかっている筈だから」
 大助の言葉に、小百合はまだ少しためらいつつも頷くのであった。



 八風神社は山のふもとに寄り添うように位置しており、境内へは少し石段を登って入らなければならない。もちろんここに本堂やら社務所、業田家の住居がある。背後には里山があって、普段は人も入らないこの里山の山腹に、隠れるように八つの小さな社があった。
 土社、木社、石社、水社、火社、気社、地社、天社――。
 これらの社で、邪馬台国の時代から伝わるという古代の銅鐸を保護し封印しているのだ。この封印は、銅鐸の力を無力化し腐食を防ぐためでもあるし、悪しき者に銅鐸を奪われないよう護る効果もあった。
 これらの社の封印を、摩耶香は昨日までに土社と木社の分、都合二つを解いてしまっている。そして今日、学校から帰ってから、日没までに石社の封印も解除していた。これで残る封印は五つ。
 ここまでは順調に進んできていたが、だんだん封印が強力になってきているのが摩耶香にはわかった。明日、いきなり水社に取り掛かっても、日没までに終わらないかもしれない。あまり時間が掛かっては雄二の両親に怪しまれる。
 そこで、準備を兼ねて、下見に出たというわけだ。

 摩耶香が裏山に分け入ってしばらくすると、境内を照らしている常夜燈の光も届かなくなり、自分の持つ懐中電灯の光だけになった。人が常に入っている山ではないので、道といってもけもの道のような細いものしかないし、ところどころ崩れていたり岩が転がっていたりして、極めて歩きづらい。
 もちろん無用の天体望遠鏡は裏山の入り口に置いてきたが、登山靴でもない普通の運動靴では足元もおぼつかないところが何箇所かあった。
 里山とはいえ夜の山の雰囲気は独特で、昼間とは気配のようのものがまったく違う。ひとことでいえば人間が踏み入るのを歓迎しないシグナルが全山に満ちているのだ。夜の山は獣と霊の領域であった。
 もちろん、巨大な霊能力を持つ摩耶香はこうした雰囲気がむしろ好きである。獣の方はともかく、霊の方なら大歓迎といってもよい。何も悪性の霊ばかりがウロついている訳ではないのだ。摩耶香は霊と対話することもできたし、必要ならその場で成仏させることもできた。
 そして何より、暗く静かで風もないのに時折木々がざわめく夜の山は神秘的で、異界に近い。精神を集中しなくても、霊能力が昂ぶるのを感じるのだった。

 歩きづらい道を十五分ほど行くと、懐中電灯の光の中に水社が見えてきた。木々の陰に隠れるように建っている小さな祠だ。だが祠の中には強力な封印を形作る御札と聖石が収められている。
 かなり剣呑な結界が張られているので、普通の人間なら近付くことさえできないだろう。まして祠の扉を開けて御札と聖石を取りだすなど絶対に無理だ。
 この結界を超えて水社の前に立ち、封印の効力を無効化してから札と石を取り出す。これが摩耶香のしなければならないことであった。
 とりあえず摩耶香は、結界の全体像を探ろうと、少し離れた位置に立ち尽くしたまま、懐中電灯を切った。
 一挙に周囲が闇に沈む。夜の山の湿った空気が急に肌にまとわりつくように感じられた。
 摩耶香は意識を水社に向け、結界の密度と構造を読み始めた。
 とその時。
「誰?」
 摩耶香は暗闇に向かって鋭い声を発した。
 返事はない。
「そこに居るのはわかっている。姿を現したらどうだ?」
 いま自分が男の子だったのを思い出し、男言葉で続けた。
 しばらくして、押し殺したような笑い声が聞こえてきた。
「クックック……。俺様の気配を一発で捉えるとは、やはりなかなか油断ならんやつだ」
「……名前を教えて貰おうか」
 摩耶香は相手の力量を探ろうと、時間稼ぎをすることにした。
「名前? 俺様には本来そんなものはない。だが人間どもは俺を《邪気》と呼ぶようだ」
「ふん。その邪気が一体こんなところで何をしている? 悪しき者が入って良い山ではない」
「面白いことを言う奴だ。ではお前こそ、こんな時間にこんな社の前で何をしている?」
 摩耶香は沈黙した。
「フフフ、答えられねえか。そうであろう、この山にあった封印のうち、三つを解いたのはお前なのだからな。あの強力な封印をいともた易く破るとは、底知れぬ霊能力を持つ奴だ。気に入ったぜ」
 邪気は、ひとしきり高ぶった笑い声を上げた。
「どうだ、お前。俺と手を組まねえか? 俺はお前が残りの封印を破るのを手伝ってやる。俺様の助けを借りれば、今後の封印解除がずいぶん楽になるぜ?」
「断る。お前のような者の手を借りるほどオレは陥ちていない」
「人の親切は黙って受け取るもんだぜ、ククク……。お前は封印されている古来の銅鐸が欲しいんだろう? お前はどうしてもそれが欲しいんだ、違うか?
 お前がそれを使って何をするつもりかは知らん。だが、お前がそれを使えば、世の中が乱れに乱れそうで、俺は楽しみで仕方がないんだ。だから――」
「黙れ! 悪霊の分際でっ」
 摩耶香は一挙に精神を集中すると、邪気がいる方向に向かって《気》のパワーを思い切りぶつけた。
 だが手応えはない。するりと後方へ抜けてしまったようだ。
「フフフ、俺様に《気》を使った小細工は効かねえよ。俺自身も《気》の集合体なんだからな。俺は悪霊とは違うんだよ」
 邪気の愉快そうな声はだんだん上方へ移動しつつある。
「お前はただの男の餓鬼でないな。魂は別人が宿っているようだ。――まあいい、一度考えておけ。俺様の助けが今に必要になるからよ」
 邪気の嘲笑は上昇していき、夜空へと消えた。
 怒りと不安にかき乱された摩耶香を残して。

==続く==

●次回予告 ばいーん。ぷるぷるぷる。



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